大井戸へ  春日山城址:上杉景勝屋敷跡   二の丸へ

上杉景勝屋敷跡 (98kB)
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上杉景勝屋敷跡
 「御館の乱」で勝利をおさめ、謙信公の跡目を相続した景勝公の屋敷と伝えられている。景勝公は謙信公の姉千桃院の子で、直江山城守兼続という知将を得て、豊臣秀吉の五大老の一人にまでなった。
 景勝屋敷跡とその周辺の屋敷跡は、総じて大規模で、尾根を巧みに利用して段を削出し、数段で一つの屋敷が形成されている。
 春日山神社から谷愛宕にかけての屋敷跡群が雛壇状に並んで造られているのとは対照的である。景勝屋敷を中心とする屋敷跡群が地形に逆らわず定形化していないのは、春日山城の古い段階での普請を示しているといえる。
 
上杉景勝屋敷跡入口と前段の曲輪 景勝屋敷碑と入口方面 曲輪奥の景勝屋敷碑
上杉景勝屋敷跡入口と前段の曲輪景勝屋敷碑と入口方面曲輪奥の景勝屋敷碑

御成街道
 時の関白近衛前嗣が通ったことから御成街道と呼ばれています。
 謙信は二度の上洛を通じて、前嗣と親交を暖めました。お互いに年も近く、酒が好きだったといわれています。謙信が、後奈良天皇・正親町天皇と拝謁できたのも前嗣の力添えによるものでした。
 前嗣は、永禄3年(1560)謙信を頼って越後府中に下向し、三年間滞在しました。当時、京都に次ぐ大都市といわれ、繁栄の極みにあった越後府中文化は、前嗣の来訪によりさらに、洗練されることになったのです。
 
柿崎和泉守屋敷方面からの御成街道 本丸への登り階段 二の丸方面からの御成街道
柿崎和泉守屋敷方面からの
御成街道
本丸への登り階段二の丸方面からの御成街道

柿崎和泉守屋敷跡
 上杉謙信の重臣柿崎景家の屋敷跡と伝えられる春日山城でも最も大きな郭の一つです。また、城内の山地で唯一ハンノキが自生する場所で、植生から水分を多量に含む土地であったことがわかります。ここに池、もしくは水堀があったことが考えられます。
 池であったとすれば、春日山城で唯一庭園を合せもった郭の景観が想像されます。
 屋敷へは、大手道から木橋をかけた南側の空堀を渡って入るように古絵図に描かれています。また、郭の東側を通り、景勝屋敷へ登る古道も残っています。
 
柿崎和泉守屋敷跡(東三の丸方面) 柿崎和泉守屋敷跡石碑 柿崎和泉守屋敷跡(御成街道方面)
柿崎和泉守屋敷跡
(東三の丸方面)
柿崎和泉守屋敷跡(石碑)柿崎和泉守屋敷跡
(御成街道方面)

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