春日山城址
―― 高峻な山上に累々たる城郭を連ねた謙信の居城 ――
その後、謙信公の父為景公・謙信公・景勝公の三代にわたり普請に努め、現在見られるような大城郭になったと考えられる。 春日山城の盛時は上杉謙信が城主のときである。 春日山は、山頚城平野の西北に位置する標高182m、比高169mの別名鉢ヶ峰山上と山麓にあった。 戦国時代に八つの要害な山城と称せられた七尾城、一乗谷城、稲葉山城、観音寺山城、小谷城、吉田郡山城、富田月山城とともに春日山城は堅城としての名が高い。 春日山城の特徴は、山頂の本丸跡から山裾まで連続する屋敷跡群と、裾野に巡らされた総延長1,200mの総構え(通称監物堀)である。
本丸跡の後方西に一段低い所に大井戸があって夏でも水の枯れることがない井戸郭、山里郭があり、その北の峰に毘沙門丸及び御花畑があった。 また西方には、鐘撞堂や景勝屋敷跡等があって、南方に柿崎郭、三の丸、東に二の丸などの郭があり、重臣たちの屋形が構えられた。 山麓にも館や政庁があったが謙信のころの城郭の主体は山上であった。 上杉景勝のころになると、山上の生活が不便なため、いろいろな建物が山麓に造られ、城下町が形成されていった。 しかし、近世大名の居城としては不便なことが多かったので、堀忠俊が城主のとき、平地の海辺に福島城を新しく構築して移ったのである。 春日山城が廃城になった時期は、慶長12年(1607)だったが、山が高いため郭跡の形状は割り合いに残り、戦国期山城の構想を良く伝えている。
本丸や天守台跡の曲輪も広いですが、そのすぐ近くの景勝屋敷跡もかなり広いです。 千貫門跡と2つの空堀跡が実戦で使われたらさぞや凄かったでしょうね。 春日山巡りコースには三の丸からの三郎景虎屋敷コースと千貫門コースがポピュラーですが、麓からの大手道コース(大手道→南三の丸→柿崎和泉守屋敷跡→御成街道→二の丸→本丸)も良いのではないでしょうか。 |
| 春日山城址 平成19年8月13日時点 | |
| ◇交通 |
謙信公銅像前まで、 ・JR信越本線春日山駅より、徒歩約40分 ・北陸自動車道「上越」ICより車で8分(約2km) ・北陸自動車道「上越高田」ICより車で20分(約8km) |
| ◇問い合わせ |
・直江津駅前観光案内所 Tel:025-539-6515 ・高田駅前観光案内所 Tel:025-521-5140 ・〒943-0171 新潟県上越市藤野新田175-1 (上越観光物産センター内) (社)上越観光コンベンション協会 Tel:025-543-2777 |
| 参考文献 | ・現地で入手のパンフレット、及び、解説板 ・「日本名城の旅<東日本編>」(井上宗和執筆・撮影、(株)ゼンリン 東京編集室編集) |