洲本城(別名・三熊城)

―― 海路交通の要所として重要視された山城 ――

本丸広場からの洲本城天守閣 洲本市街からの洲本城天守閣遠望  紺碧の紀淡海峡、大阪湾を眼下に摂州、泉州、紀州、淡州を一望にあつめた三熊山は古来、海路交通の要所として重要視されていた。

 この地にはじめて城を築いたのは、大永6年(1526)、四国の三好氏重臣、由良城主安宅治興である。安宅氏は紀州熊野で熊野灘を本拠とした海賊であった。
 正平5年(1350)三好氏から瀬戸内海賊退治の依頼を受けた安宅氏は、淡路島に由良城を築き、ここを本拠に島内八ヶ所に築城し、一門を配備したという。その八門の一つに洲本城があった。

 淡路一国を手中に治めた安宅治興の跡を継いだのが養子冬康であった。
 天正9年(1581)織田信長から淡路島攻略を命じられた羽柴秀吉の軍勢は由良城を攻め、これを落とし、その余勢を駆って島内に進軍した。
洲本城の冬康はあっけなく、秀吉の軍門に降り、洲本城を開けた。

海側からの洲本城天守閣  その後仙石久秀・脇坂安治・藤堂高虎らが城主となった。
 脇坂安治が城の大改修の工を起こし、今日の洲本城と町の基礎が築かれ、城は現在の規模になった。

 元和元年(1615)徳島藩主蜂須賀至鎮が淡路城主となると、島の中央に位置するここ洲本城に本拠を定め、城を大改修し、寛文9年(1669)その完成をみた。
 城には天守閣があげられ、大小幾つもの櫓と白塗りの塀が巡らされ、三熊山の美しさは、近世の山城として天下にその名が轟いたのである。
 しかし修築がなったころは世はすっかり太平のムードであった。そこで、三熊山の麓に館を設け、平常の生活はこの麓で営まれ、至鎮は 、この洲本城に猛将稲田九郎兵衛示誠を城代にした。
 その後代々稲田氏が居城したが、寛永19年(1642)に至り、三熊山の城を廃し、麓の館をもって藩庁にしたのである
本丸虎口の洲本城本丸石垣  現在、裁判所付近に石塁などが残る。
 山上に残っている石垣は天正年間(1573〜1592)に脇坂氏が築いたもの。

 標高133mの三熊山の市街からよく見える三層の天守閣は、昭和3年(1928)、御大典を記念して、鉄筋コンクリート造り工費一万円で築かれたもので、鉄筋コンクリート模擬天守閣としては、第一号であった。

 頂上の模擬天守閣へは車でも近くまで行けますが、標高133mの天守を目指し、自分の足で20分ほど登ると気分爽快ですよ。ただし、登り口がわかりにくいので注意。
 ここに登ると洲本市街と港を眼下に、紀淡海峡の展望が楽しめます。  洲本観光貸馬組合の貸馬で登るのも人気になっているそうですが・・・。


  洲本城天守閣                    平成12年8月6日時点  
◇交通 洲本バスターミナルから、徒歩約30分
   近くに無料の駐車場もあります。

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