丹波篠山城(別名・桐ヶ城)
―― 徳川政権安定を目指した天下普請の城 ――
中世の終わりには、波多野氏が八上城(高城山)を拠点として丹波一帯に勢力をもっていましたが、天正3年(1575)頃から織田信長の命を受けて丹波攻めを行った明智光秀により、天正7年(1579)六月に落城したといわれています。篠山城は江戸時代初期の慶長14年(1609)に、徳川家康が篠山盆地に築城させた平山城で、別名桐ヶ城と呼ばれました。 慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦で勝利し、江戸幕府を開いた家康は、徳川政権の安定化を図るため、この地が京都から山陰・山陽両道に通じる要衝であることに着目し、豊臣氏の大坂城と西国大名を監視する布石として城郭の建設を構想しました。 あらかじめ、実子の常陸国笠間城主・松平康重を丹波国八上城に移し、築城の適地を探させた。
王地山・笹山・飛ノ山の三つの丘陵のうち、中央の「笹山」を築城地と決め、福島正則ら山陰・山陽・南海の三道十五カ国の二十大名を助役に、一日総勢八万の工事人を動員して天下普請を開始し、僅か六ヶ月で完成させた。普請奉行は播磨国姫路城主・池田輝政、縄張りは築城家で名高い伊勢国津城主・藤堂高虎、石垣建築は近江国穴太(あのう)の筑後・三河・駿河の三人である。 完成した篠山城は、本丸・二の丸が総石垣で築かれ、その周囲には土塁と石垣で築いた三の丸がめぐらされた。いわゆる輪郭式の縄張りである。 ( ありし日の丹波篠山城(桐ヶ城)へ )
本丸の東南隅に天守台があるが、穴蔵を持たない構造で、当初連立式の構想で準備が進められたが、幕府より城郭が堅固に過ぎるとして中止された。 本丸東側の高石垣は堀から直接立ち上がるのでなく、周囲に犬走りがめぐらされ、天守台の所で高さ17mに及ぶ扇勾配をなしています。、さらに伸びて南面の塁壁をなしている形は本邦随一の大塁壁といっても過言ではないようです。 本丸西の二の丸は、南北の出入り口が特殊な構造で、要所に二重櫓・三重櫓・多聞櫓を配し、虎口はいずれも、二重の枡形門で固めるなど天下普請の城にふさわしい壮大な構えであった。 二の丸を内堀で囲んで一辺約350mの方形の三の丸は、外側に広大な水堀を有し、北を大手とし、東と南の三方にそれぞれ長方形の一角を設けた馬出を設けている。
現在は東の馬出と南の馬出が残っており、特に南の馬出は、土塁馬出として全国唯一のものです。篠山城には松平康重が初代藩主として八上城から入り、その後譜代大名の城として松平(藤井)、松平(形原)、青山の三氏が続いて、明治維新に至っている。 明治6年の廃城令で大書院を除き建物は全て取り壊されました。唯一残った大書院も昭和19年(1944)火災訓練の際の失火により焼失してしまったが、平成12年(2000)復元された大書院と共に城郭はすべて昔のままの姿をとどめています。 今も満々と水をたたえた外濠に囲まれた城跡は、桜の名所として知られ、篠山を訪れる旅人や当地の人々の憩いの場となっています。
大書院は大規模な木造平屋建築で昭和19年(1944)に焼失し半世紀ぶりに復元されました。 一大名の書院としては破格とも言える規模と正統的な構えを持っています。 大坂城、名古屋城にも負けないくらいの石垣と内堀、外堀の立派さ、特に、本丸の石垣の高さと形はさすが藤堂高虎が築いた城ゆえと感激です。 石垣の上は、特別な柵もなく、下を見渡すのにはスリル満点ですよ!!! 帰りに黒豆アイスかキャンディを食べるのを忘れずに、甘さ控えもでおいしかったですよ!(ただし、ちょっと高いかな?\210です) |
| 丹波篠山城 平成14年8月12日時点 | |
| ◇交通 | JR福知山線篠山口駅より「篠山」行きバスにて15分、 二階町下車徒歩約5分(南へ500m) |
| ◇開城時間 | ・5月〜10月:午前8時30分〜午後8時まで ・11月〜4月:午前8時30分〜午後6時まで |
| ◇入城料 | 無料(天守台、本丸、二の丸) |
| ◇お問合せ | ・篠山観光案内所 TEL:0795-52-3380 ・篠山口観光案内所 TEL:0795-90-2060 |
| 篠山城大書院 平成14年8月12日時点 | |
| ◇開館時間 | 午前9時〜午後5時(ただし入館は午後4時30分まで) |
| ◇休館日 | 第一・三木曜日(祝日の場合は開館、翌日休館) ※ 武家屋敷安間家資料館(月曜日)、青山歴史村(火曜日)、歴史美術館(水曜日) |
| ◇入館料 | ・大人 :400円(4館共通券:600円) ・大学・高校生 :200円(4館共通券:300円) ・中学生・小学生:100円(4館共通券:150円) [4館共通券:篠山城大書院、武家屋敷安間家資料館、青山歴史村、歴史美術館] |