宇陀松山城跡(別名・秋山、神楽岡城)
―― 大和の国に残る近世城郭の三城のひとつ ――
天正13年(1585)、羽柴(豊臣)秀吉の弟の秀長は、大和国に入国すると、大和郡山城・秋山城・高取城の三城による支配体制を固めた。 秋山城には、伊藤掃部助義之が配され、近世城郭へと改修され、松山城と称されるようになる。 以後、秀長政権の大和支配の拠点として、加藤光泰、羽田正親、多賀秀種らが城主となる。 慶長5年(1600)関ヶ原の合戦後、福島正則の弟福島掃部頭[かもんのかみ]孝治が城主となり、大改修が加えられ、現存する城郭構造となった。 元和元年(1615)、孝治の改易にともない松山城は廃されることとになり、小堀遠江守政一(小堀遠州)らによって破却された。
その後、織田信雄に宇陀郡が与えられ、山麓に陣屋が置かれた。 織田氏は四代にわたって宇陀郡を支配したが、元禄8年(1695)松山騒動が起こり、丹波柏原へ転封となり、以後幕領となる。 山上の松山城跡は、近年発掘調査が実施され、天守、本丸と称されている主要部が全て石垣で構築されていることが判明した。 特に本丸では広大な御殿遺構が検出されている。 また、大門、雀門など虎口からも巨大な礎石が検出されており、櫓門などが軒を連ねていたことが明らかになった。 【史跡旧松山城西口関門】 この門は、旧松山城の名残を留める唯一の遺構で、城の大手筋にあたる西口関門である。
門を含む地域は枡形になり、旧位置に現存する城下町の門として珍しいものである。 【春日門跡】 春日門は、松山城下町の出入口にあたる西口関門(黒門)から続く大手筋正面に位置します。 現在、門跡には、虎口(出入り口)を構成する東西2つの石垣積の櫓台が残っています。 東櫓は、東西4m以上、南北10m以上、高さ約6mの規模を持つ櫓台の南西隅に一段低く、東西約4m、南北約7m、高さ約2mの櫓台が取り付きます。
大宇陀町教育委員会による調査の結果、春日門の築造は16世紀末17世紀初頭にあり、松山城下の建築時に町人地と武家屋敷・城館とを分かつ虎口として造られたことが明らかになりました。 また、現存する櫓台は、17世紀後半の織田家宇陀松山藩時代の向屋敷・上屋敷(藩屋敷)造営に伴う再構築であることが判明した。 築造当初の春日門は、現在とは異なり、南北約10.5m、東西4m以上の東櫓台南端の西へ付け櫓がつく構造をとっています。 西櫓台については、現在と同様な規模・構造をとるものと思われます。 門は、東櫓(付け櫓)と西櫓の間と、櫓間を通り抜け、左折れした所の2ヶ所に位置すると考えられます。
チョット見逃しやすいのですが、春日神社の手水舎と反対の右脇の所に秋山城跡への登山口の案内があります。 山上は、草刈を行っていて、枯れ草が石垣を覆っている状態でしたが、立派な石垣や遺跡が残っていて、特に最高部に天守台がキチンと残っており、そこからの見晴らしは結構よかったです。 また、大宇陀町の町並みは、川沿いにゆっくり歩いてみても風情があり、とっても良い感じでした。 |
| 宇陀松山城跡 平成18年8月12日時点 | |
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| 参考文献 | ・現地解説板 ・歴史群像シリーズ・よみがえる日本の城1(学習研究社刊) |