最も豪華な書院造り建築として知られる二条城は、慶長8年(1603)に徳川家康によって京都の二条堀川に築かれた。
三年前の関ヶ原合戦で勝利し、天下の実権を握った家康が、征夷大将軍の宣下を受けるにあたって上洛時の宿泊所にあてるために建てたもので、石垣や堀も比較的小規模で、二条新御所、二条新屋敷とも呼ばれた。
作事奉行は京都所司代の板倉勝重、建築師は中川藤右衛門、山上久左衛門ら近畿一帯から集められた。石垣・堀の普請は同6年暮れから、天守・御殿などは翌7年夏から着工されたと考えられている。
家康が将軍職に就任したのは同8年2月のことであった。二代将軍秀忠への宣下も、この城で行われた。
二条城が規模を拡大したのは大坂夏の陣(1615)後のことで、伏見城の天守・櫓・殿舎等が移築され、城郭としての内容を整えた。
元和5年(1619)徳川和子入内に備えて女御御殿が造営され、さらに寛永3年(1626)に三代将軍家光が後水尾天皇を迎えるために、同元年から大造営が行われた頃が、最も完備された時期といわれ、五重の天守をはじめ、行幸御殿・御座の間・書院・大広間・遠侍・年寄部屋・御納戸・大番所・金庫米蔵などが整備された。
五重の天守は寛延3年(1750)の落雷でによって焼失し、本丸も天明8年(178)の市中大火災の類焼によって失われ、ともに以後再建されることはなかった。
幕末になって、文久3年(1863)将軍家茂の上洛の折、殿舎の整備が行われた。
慶応3年(1867)10月15代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、ついで明治17年(1884)離宮となり、昭和14年(1939)京都市に下賜され現在にいたっています。二条城は、平成15年(2003)に築城400年を迎えます。
正門は東大手門とよばれ、城内には二の丸御殿と内濠に囲まれた本丸御殿があり、大書院建築である二の丸御殿はすべて国宝建築物で、豊臣秀吉の残した文禄年間の遺構と家康が建てた慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画・彫刻などが綜合されて、いわゆる桃山時代様式の全貌をこの城に見ることが出来ます。車寄は聚楽第の遺構ともいわれています。
二の丸庭園は小堀遠州の作庭といわれており、また、現在の本丸御殿は明治26年に京都御所内にあった旧桂宮御所を移したもので、大正天皇の即位礼も当城にて催された。
( 二条城 の現状配置図へ (52kB) )
二の丸御殿(国宝)はすばらしい遺構です。平成6年(1994)12月15日世界文化遺産にも登録されました。
うぐいす張りのキュッキュッとなる音は小学校の修学旅行で来た時に聞いた音でしたが覚えていました。
本丸の天守台と入れない本丸御殿(重文:1999/9/10から11/10までの間「本丸御殿・特別公開」が行われましたが、いけませんでした。)などをみつつ、元の位置へ戻り、改めて二の丸の唐門を見上げましたが、お城には似わないような装飾の門の中央には、黄金色に輝く菊のご紋がありました。やはり明治時代に二条城が宮家の離宮になったゆえの歴史でしょうか。
ちなみに1939年(昭和14年)皇室から京都市に下賜された二条城のいまの正式名称は『恩賜元離宮二条城』というそうです。
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