出石城(別名・有小山城)

―― 中世山城と近世城郭をもつ城 ――

出石バスターミナルからの
出石城二重櫓 稲荷郭から見た出石城二重櫓
 室町時代「六分一殿」と称された山名氏が鶴賀城(子盗山)に城を築いたのが起源とされる。
 天正2年(1574)山名氏政は、父の山名祐豊が羽柴秀吉に攻略されたため、その南方二キロほどの出石川の清流をのぞむ海抜321mの有子山山頂に本丸を構える山城を新たに築いた。
 その有子山城も天正8年(1580)羽柴秀吉に攻められ落城し、山名氏は滅びた。

 落城後、羽柴秀長の家臣青木勘兵衛が城主となり以降、前野但馬守英政に代わって、文禄4年(1595)小出吉政が六万石で入封した。

出石城登城橋と二重櫓  その子小出吉英が、慶長9年(1604)に有子山北麓に稲荷郭を中心に本丸、二の丸、下郭を階段式に重ね、平地の三の丸を内堀で囲み、西の出石川、東北の谷山川を自然の防衛線とし、町屋の周囲に城郭風の寺々を配して、要所には石垣積みの木戸を築いて、町全体を城内にいれる構造の梯郭式平城を築いた。
出石城本丸長塀
 周囲に築いた数々の寺院は、見性寺は豊岡街道に、経王寺は京街道に、稱名寺は八鹿街道に、法城寺は奥山街道に、福成寺は日野辺街道にと各街道の出入口に配置された寺院は、いざ戦さとなった時、砦の役目を果たすように配置されていました。見張り台のための高櫓や矢狭間のあるお寺もあります。

 その後城主は元禄10年(1697)藤井松平氏の藤井忠徳の四万八千石と替わったが、宝永3年(1706)仙石政明が五万八千石で入封した。そののち仙石氏は世襲して明治に至った。

出石城辰鼓櫓  維新の際、王政復古に恭順の意を表するため、明治元年(1868)九月から、仙石久利は領民を徴して城郭の破却にかかり、十月勅許を得た。

人で賑わう出石城辰鼓櫓周辺  現在遺されている縄張りは、藤井松平氏在城の元禄10年〜宝永3年(1697〜1706)の間に整えられた三の丸を含む城郭が存続したものである。
 稲荷郭からは二の丸に復元された二重櫓、隅櫓が眺められ、そこからは出石、豊岡両盆地がみわたせます。


 長屋門や櫓しかありませんが、その近くの今でも8時、13時、18時に時を知らせている辰鼓櫓周辺は若いカップル含め賑やかです。
周辺には家老屋敷などいろいろあり、散策しながら、出石皿そばを食するのも良いでしょう。


  出石城                    平成12年8月10日時点  
◇交通 JR山陰本線豊岡駅より全但バス出石行き約30分、徒歩約5分
◇お問合せ先 出石町観光案内所
  〒668-0214 兵庫県出石郡出石町内町111-1
  TEL:(0796)52-4806

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