鉢形城跡
―― 北条氏の北関東進出の一大拠点となった城 ――
城の東方には鎌倉街道の赤浜の渡しがあり、また秩父方面への街道である秩父往還の釜伏峠を下ると鉢形城の正面に当たるなど交通の要衝に当たり、上州や信州方面を望む重要な地点でした。 城の三方を外秩父山地と上武山地の丘陵が取り囲み、城からの視界は良くありませんが、周囲の丘陵の主要な高台に物見台や狼煙台が置かれて、監視や防衛に当てられていました。 鉢形城は、文明8年(1476)関東管領であった山内上杉氏の家宰長尾景春が築城したと伝えられています。その後上杉家の持城として栄えました。 室町末期に至り、上杉家の家老で、この地域の豪族であった藤田康邦に入婚した、小田原の北条氏康の四男氏邦が整備拡充し、現在の大きさとなりました。 関東地方において有数の規模を誇る鉢形城は、北関東支配の拠点として、さらに甲斐・信濃からの侵攻への備えとして重要な役割を担いました。
大手の位置は、城の西側で、城の拡張とともに移動しましたが、最終的には現在の諏訪神社の南側付近にあったと考えられています。また、搦め手に笹曲輪、外曲輪が配置された縄張りであったといわれています。 城主の居館や上級武士の館のあった本曲輪から西側に何重にも深い掘切りを行い、二の曲輪、三の曲輪、秩父曲輪、諏訪曲輪等の曲輪をいくつも造成しました。 各曲輪は、堀と土塁で囲まれるほか、主要な出入口には方形の馬出を備えており、曲輪ごとに部将が定められ管理をまかされていました。また、城の外側は周囲の小河川を上手く取り込み、水掘としていました。 深沢川の南側には、後に城を拡張して外曲輪を造成し、下級武士の住まいなどとしたほか、さらにその南側に殿原小路や鍛冶小路などの小路名が伝わっており、小規模ながら初期的な城下町が形成され、城の守りを兼ねさせていました。
1ヶ月余りにおよぶ籠城の後、本多忠勝らが車山から大砲を撃ち込み、城内の被害が甚大であったことから、北条氏邦は、6月14日に至り、城兵の助命を条件に開城しました。氏邦の身分は前田利家に預けられた。 鉢形城は、開城後を最後に廃城となった。徳川氏の関東入国に伴い、家康配下の成瀬正一・日下部定好が代官となり、この地を統治しました。 鉢形城跡は、戦国時代の代表的な城郭跡として、昭和7年(1932)に国指定史跡となりました。指定面積は約24万平米です。 平成9年度から発掘調査を実施し、調査対象地の一部に堀・土塁、門や四阿などを復元整備されました。
一番奥の諏訪神社の西から北の周囲も堀が確認でき、馬出しがあり、神社の東に土塁の虎口が開き、三の郭へと登れます。 諏訪神社からは3mほどの土塁とみえましたが、三の郭へ入るとりっぱな石積みが西側80mくらいの長さで積まれていました。秩父郭と二の郭をつなぐ橋と丸太の柵はまだ復元されたと感じますが、三の郭の復元された門と塀、石垣は当時の復元ではないようです? 全体の風景の中で妙にアンバランスな雰囲気をかもし出していると思うのは、私だけでしょうか。 |
| 鉢形城公園 平成17年9月10日時点 | |
| ◇交通 |
・JR八高線・秩父鉄道線・東武東上線寄居駅下車、本郭まで約15分 ・東秩父村営バス寄居駅発・和紙の里行き「木持停留所」下車、徒歩約5分 ・関越自動車道花園IC下車、国道140号バイパス〜国道254号線〜県道30号線、約15分 |
| ◇お問合せ |
・寄居町商工観光課 TEL:048-581-2121 ・寄居町観光協会寄居駅南口前・観光案内所 TEL:048-581-3012 ・鉢形城歴史館・寄居町埋蔵文化財センター TEL:048-586-0315 |
| 参考文献 | ・現地で入手のパンフレット、及び、解説板 |