土浦城(別名・亀城)
―― 霞ヶ浦西浦湖の西岸を占める要害の地の城 ――
永享年間(1429〜41)、小田城にあった常陸守護、八田知家の後裔、豪族の小田氏に属する今泉三郎が城構えを整え居城した。 その孫の今泉五郎左衛門のとき、永正3年(1506)、同じ小田氏の部将菅谷勝貞に城を奪われ、奪った菅谷氏は、その子の政貞、孫の範政と共に主君小田氏治をたすけて佐竹氏と度々戦火を交えた。 しかし、菅谷氏は、天正18年(1590)の小田原の役で、北条氏と結んだため佐竹氏や徳川家康の軍勢に攻められ、小田氏とともに滅亡。のち土浦は、結城秀康が領し、その支城となった。 関ヶ原の戦いののち慶長6年(1601)土浦に藤井信一が三万五千石で入封した。
土屋氏は、子の政直のとき天和2年(1682)駿河田中に移ったが、その後土屋・大河内氏を経て、貞亨4年(1687)土屋政直が再び九万五千石で土浦城主として入封し、常陸国では水戸藩に次いで、大きな領地を支配し、以後土屋氏が11代、約200年間世襲して明治維新に至った。 土浦城の創築は永享年間と伝えられるが、そののち城主は度々代り、近世城郭、大名の居城としての小規模な改築はその都度行われている。その最終的な完成は石高からしても土屋政直、その子時直のころであったと伝えられる。 土浦城の城地は、霞ヶ浦西浦湖にそそぐ桜川の低地にあり、その自然地形を巧みに利用し、全体には土塁と堀をめぐらせて、周辺は沼沢地で、沼沢に水を流入させ、水城、浮城としたものである。
土浦城はそのためその姿が水に浮かぶ亀のようだとかいわれ、”亀城”の別称がある。 城郭は、本丸を中心として二の丸がこれを囲み、東南に三の丸、外丸や亀井郭・西郭・巽郭などがあり、武家屋敷や町屋を含み、北門・南門・西門を結ぶ濠などの堀が五重にめぐらされた総構えのの規模をもつものであった。
城の南門の前には枡形が、北門の前にはS字型の馬出しが築かれ、守りの拠点になっていました。城下町は曲がりくねった道が多く、敵の侵入を防いだり、くい止める工夫がされていました。また、各城門の近くには寺がおかれて、非常事態にそなえて軍備の空間を確保する役目を果たしたと考えられます。 土屋氏の御殿(本丸館)は明治17年(1884)、外丸御殿は明治38年(1905)まで残っていたが、火災で焼失した。 | ||||||
現在城跡は、本丸・二の丸跡が亀城公園となっており、江戸時代の建物としては、本丸表門の櫓門・裏門の霞門、二の丸と外丸の間に移築された旧前川口門(高麗門)があり、復元された建物としては、東櫓・西櫓があり、堀、石垣の一部が残っている。 本丸跡に残る城門は、明暦2年(1656)に城主朽木稙綱が建てたもので、入り母屋造り、両側に切石石台をもつ二層の櫓門で、かって二階の屋根裏に、時刻をつげる大太鼓が置かれてあったところから”太鼓櫓”とも呼ばれている。 | ||||||
現存の太鼓門をはじめ、復元の東西櫓、水堀や土塁など見るところが多いです。 また、土浦市内には歴史的な多数の蔵が多く保存され、これらを中心に散策するのもよいものです。 JR土浦駅の西口高架橋下に水木しげるの漫画でおなじみの『ゲゲゲの鬼太郎&目玉おやじの像』があったそうですが、見逃しましたね。 |
| 土浦市立博物館付属展示館土浦城東櫓 平成16年5月2日時点 | |
| ◇交通 | ・JR常磐線土浦駅西口より北西へ徒歩15分 ・JR常磐線土浦駅西口BDEバスで、「亀城公園」下車、徒歩1分 |
| ◇開館時間 | 午前9時から午後4時30分まで |
| ◇休館日 | ・月曜日 ・国民の祝日(月曜日にあたるときはその翌日) ・年末年始(12月28日〜1月4日) |
| ◇入館料 | 一般:105円、児童・生徒:50円 |
| ◇お問合せ |
・土浦城東櫓 TEL:029-824-0028 ・土浦市立博物館 TEL:029-824-2928 ・土浦市教育委員会文化課 TEL:029-826-1111 ・土浦市観光協会 TEL:029-824-2810 |
| 参考文献 |
・現地解説板、パンフレット ・「郷土資料事典−観光と旅−県別シリーズ・茨城県」(人文社) ・「日本名城の旅−東日本編−」(ゼンリン) |