菅谷館跡
―― 水堀や空堀・土塁で囲まれたいくつもの郭からなる館跡 ――
元久2年(1205)武蔵二俣川の合戦の際、畠山重忠は「菅谷館」から出発したと鎌倉幕府の記録である「吾妻鏡」に書かれています。 また、室町時代の漢詩文集「梅花無尽蔵」によると長享2年(1488)に、山内・扇谷の両上杉氏がこの須賀谷原で戦い、戦死者七百名、馬は数百匹が倒れたと記され、館付近の戦いの激しさを伝えています。 現在の遺構は、本郭、二の郭、三の郭などと、それらを防衛する土塁、空堀などからなり、このような姿になったのは戦国時代のことと考えられています。
「館跡」というと周囲を方形土塁と水堀で囲まれた居館跡を思い浮かべてしまうでしょうが、ここは戦国期の「平城」そのものです。 水堀や空堀・土塁で囲まれたいくつもの郭があり、特に奥の郭を見通せないように盛った蔀土塁など見どころがたくさんあります。 |
| 二の郭 | ||
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二の郭は、本郭の北側と西側を本郭を囲むように配置されています。 三の郭とは堀と高さ3.5〜6mもある土塁によって隔てられています。 | ||
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| 空堀道から入った所からの 二の郭(東側) | 二の郭からの本丸空堀と 土橋(西面) | 二の郭の出枡形土塁 |
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| 二の郭(西側) | 二の郭からの本丸空堀(西端) | |
| 空堀道(二の郭) | ||
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空堀道は、三の郭から二の郭に通する連絡路と推定されます。 この連絡路は幅が狭く、入り組んでいて、敵軍が二の郭にかんたんに侵入できないよう工夫されています。 | ||
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| 空堀道左側の水堀 | 二の郭東脇にある空堀道 | 空堀道と二の郭との間の空堀 |
| 本郭 | ||
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| 本郭への土橋左側の空堀 | 二の郭から本郭への土橋 | 本郭への土橋右側の空堀 |
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| 本郭の南方面から西方面と土塁 | ||
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| 本郭跡(東方面) | 本郭と南郭の間の土塁と空堀 | 南郭からの本丸との間の土塁 (南面正面) |
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| 南郭からの本郭土塁(南面端) | 南郭からの本郭土塁(南西角) | 南郭からの本郭土塁(西面) |
| 南郭 | ||
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| 本郭から南郭へ降りた所 | 本郭南下の南郭(西方面) | 南郭最西部の広場 |
| 搦手門 | ||
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搦手門は、城の裏門にあたります。搦手門の幅は約4間(7m)あります。 門を出た所にある橋は、空堀を築いたときに堀り残し、盛土してつくられました。 | ||
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| 搦手門跡の左側土塁 | 搦手門跡正面と土橋 | 搦手門跡三の郭側の土塁 |
| 三の郭 | ||
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搦手門を入って東西に広がる平地が三の郭です。 この広い郭は、武士や騎馬の集合地として利用されていたのでしょう。 | ||
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| 畠山重忠像のある 三の郭隅の土塁(見張り台?) | 三の郭へ食い込む空堀 | 三の郭跡 |
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| 三の郭の土塁 | 三の郭跡 | 三の郭跡 |
| 西の郭 | ||
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| 西の郭(三の丸・蔀土塁方面) | 西の郭(西部) | 西の郭の土塁 |
| 埼玉県立 嵐山史跡の博物館 平成19年8月11日時点 | |
| ◇交通 |
・東武東上線武蔵嵐山駅下車、徒歩約15分 ・関越自動車道東松山ICから、国道254号線小川方面へ車で約10分 |
| ◇休館日 | ・毎週月曜日(ただし、祝日の場合は開館) (5月1日または2日が月曜日の場合には開館) ・年末年始(12月29日から1月3日まで) |
| ◇開館時間 | ・午前9時から午後4時30分まで(ただし、入館は午後4時まで) ※ 7・8月は午後5時まで開館(入館は4時30分まで) |
| ◇入館料 | ・一般:100円、・学生・生徒:50円(年間観覧券:1,200/600円) ※ 中学生以下・65歳以上・障害者の方は申し出により、無料。 |
| ◇問い合わせ |
・埼玉県比企郡嵐山町大字菅谷757 埼玉県立嵐山史跡の博物館 Tel:0493-62-5652 |
| 参考文献 | 現地解説板 |