―― 南方からの敵の侵略を防ぐために築城した久留里城の支城 ――
築城年代は定かでなく、城址内の物見台付近に建つ北野神社社伝には、長享2年(1488)に里見義実が創建したものとされているが、不明な点が多い。 いずれにしても、里見氏が上総に侵入し、久留里城に居を構えた天正年間前後に、南方からの敵の侵略を防ぐために築城した久留里城の支城と考えれる。 天正18年(1590)に豊臣秀吉の措置によって徳川家康の支配下となり、里見氏の領国は安房一国に減ぜられ、千本城も約六十年で終焉を迎えた。 現在遺構としては、城の中心部は、一の台・二の台・三の台と呼ばれる方形をした郭を含めた主郭、物見台・兵庫などが設けられている二の郭がある。 さらに宿場と呼ばれる集落を通り、大手門を抜けて男坂・女坂の登城路と考えられる三の郭で構成され、それぞれの郭は空堀と土塁によって区画されている。 また、主郭の東側には、新曲輪と呼ばれる郭が残されている。
JR上総松丘駅に近い久留里街道(国道410号線)のガソリンスタンド反対側のT字路の角に千本城址入口を示す石柱が立っており、その石碑のある場所を直進します。 切り通しを過ぎると、二手に別れ、左手に進むと男坂、右手に進むと女坂を過ぎて主郭にたどり着きます。 主郭には、北野神社がありますが、土塁跡らしいものがあるのみです。 遺構の多い女坂は、巨大掘切や崖の多い女坂は危険ですので、くれぐれもご用心。 |
| 千本城址 平成19年4月29日時点 | |
| ◇交通 | ・JR久留里線上総松丘駅より東に約500m(徒歩20分) |
| 参考文献 | 現地解説板、「日本城郭大系6 千葉・神奈川」(新人物往来社 発行) |