佐野城址(別名・春日岡城)
―― 築城後間もなく城は廃城となった未完の城 ――
藤成は、延暦9年(790)標高60mの小高い丘に城館のが始まりで、周囲にはこの小山以外全く丘がなく、立地条件の極めてよい場所であった。 慶長7年(1602)、唐澤山城主佐野信吉は、当時この地にあった惣宗寺(佐野厄除大師)を移転させるとともに、築城と碁盤目状の町割を開始しました。 今日見られる佐野の街は、当時の佐野城を中心とした町づくりがその原形となっています。 佐野氏は、慶長12年(1607) 唐澤山城を廃してこの地に移りました。 しかし、同19年(1614)大久保長安事件に連座した佐野家は、所領を没収されて改易となり、築城後間もなく城は廃城となってしまいました。本丸、二の丸、北出丸より構成される城は未完であった。
城は、独立丘陵を利用した連郭式の平山城で、南から三の丸・二の丸・本丸・北出丸と直線的に続く郭で築かれています。これら縄張の主郭部は、全体で東西110m・南北390mの規模を有し、それぞれの間は空堀で区切られ、内堀へと続いていました。 現在、内堀から外堀の範囲は市街化が進み、完全に埋め立てられていますが、主郭部は当時の城割の姿を良好に留めており、貴重な歴史文化遺産として後世に伝えるべく史跡・名勝に指定されています。 城跡は東武佐野線とJR両毛線が重なる佐野駅の北側にあり、城山は現在整備され、噴水池、東屋などのある城址公園となっています。 【佐野城本丸の石畳と石垣】
石畳は、東西2.6m、南北5.6mほどの範囲で確認され、東部には水路と思われる幅20センチ、深さ20センチの溝がある。 石垣は、最も良く残っている部分で、長さ6.4m、高さ1.4mで、いずれも細長い角礫を使用している。 この東斜面には井戸跡もあり、石畳と石垣は、ここへの通路の一部であった可能性が高い。 出土した石畳と石垣は、形状を損なうおそれがあり、保存のために埋め戻しを行なっている。 現在、埋め戻した石垣と通路に沿って、この付近から出土した石を並べている。
城跡駐車場への案内板が道沿いのあちこちにあり、それらに従っていくと、台地にある佐野城跡からどんどん遠くなっていき、一体どこまで行くの?って感じで、城山公園北駐車場にたどり着きます。 この台地のみに残る佐野城跡は、公園になっていて、北から北出丸、本丸、二の丸、三の丸笹曲輪と連郭式に、それらの間は立派な堀切があり、その下は道になってはいますが、橋の上から堀切を眺めると、すごく高さがあるのが実感できます。 城跡公園へは、東武佐野線、両毛線佐野駅からは渡り廊下で直接三の丸広場に出れます。 |
| 佐野城址 平成17年11月13日時点 | |
| ◇交通 | ・東武佐野線、JR両毛線佐野駅の北に隣接、徒歩約3分 |
| ◇駐車場 |
・城山公園東入口駐車場及び1段山駐車場 約40台駐車可能 ・城山公園北駐車場 約83台駐車可能 |
| ◇お問合せ |
・城山公園(城山記念館) TEL:0283−23−0728 ・佐野市役所 TEL:0283−24−5111(代表) ・佐野市観光協会 TEL:0283−62−9855 |
| 参考文献 | ・現地で入手のパンフレット、及び、解説板 ・「関東の城址を歩く」(西野博道著・さいたま出版会編) |