相模眞田城跡

―― 源頼朝伊豆挙兵の石橋山合戦にて討ち死にした勇将の城 ――

郭跡に建つ天徳寺の山門と本堂
郭跡に建つ天徳寺の山門と本堂
墓地北側の高さ2mの土塁跡
墓地北側の高さ2mの土塁跡
 眞田与一義忠公は、相模三浦一門の三浦義継の四男岡崎城主岡崎四郎義実の嫡子であり、岡崎城の支城として大住郡眞田に構築したその居城が眞田城である。

 治承4年(1180)8月23日夜、源頼朝伊豆挙兵の折り石橋山にて俣野五郎の家臣長尾新五・新六のために討ち死に。二十五才であった。
 一説には義忠公この時、痰が喉につまり討たれたことにより、喘息・痰咳の神(眞田明神)として崇められている。

 義忠の討ち死の後、眞田城には、その子岡崎盛実が入るが、その彼も岡崎城主岡崎実忠と共に一門の和田義盛の乱に加担し、敗れたために岡崎氏は滅び、眞田城も廃された。

与一堂(眞田明神)横の眞田公力石
与一堂(眞田明神)横の眞田公力石
山門前の発掘された空堀跡
山門前の発掘された空堀跡
 後、天正年間岐阜天徳寺七世義翁盛訓禅師義忠公の菩提を弔うため天徳寺を造立する。

 墓地などへ転用されて、遺構などほとんどなく、わずかに発掘された空堀跡と、北側の2mの高さを誇る土塁跡ぐらいです。
 でも与一堂(眞田明神)のある位置は最高部にあり、見晴らしが結構良かったです。

  眞田城跡                            平成19年2月12日時点  
◇交通・小田急小田原線東海大学前駅より徒歩20分
・小田急小田原線鶴巻温泉駅よりバス・眞田経由東海大学行きにて
                               眞田神社前下車、徒歩10分

参考文献現地解説板

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