青鳥城跡(おおどりじょうあと)

―― 東松山台地の南縁部に位置する天然の要害を利用した平城 ――

本郭入口の虎口跡
本郭入口の虎口跡
 
本郭入口の城跡石碑
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本郭入口の城跡石碑
 
 城跡は、東松山台地の南縁部に立地し、都幾川の河岸段丘を南に見下ろす所に位置します。

 城郭は、本郭と二の郭及び三の郭から成り、史跡の指定範囲は本郭と二の郭の部分で、土塁・空堀・水堀が昭和47年の発掘調査で確かめられています。
 その規模は、東西約550m、南北約30mを測ります。
 二の郭の土塁には、城を守るために、北側の中央部でクランク状に折れ曲がる折邪(おりひずみ)が認められます。
 三の郭は、一部が残存し、二の郭の外側へ同心円状に広がり土塁と堀が築かれていました。
 この城郭は多曲輪形式といわれています。

 城郭の配置(縄張り)から築城の順序は、本郭を最初につくり、その後に二の郭と三の郭が増築されたとみられます。
二の郭跡と本郭側土塁
二の郭跡と本郭側土塁
 
本郭の最高所にある神社への登り道
本郭最高所にある
神社への登り道

 
 この築城方法は、嵐山町の菅谷館跡と類似しています。

 築城時代については、『源平盛衰記』に源頼朝が武州月田川のはた青鳥野に陣をとる寿永2年(1183)とあり、本郭は平安時代末期(12世紀末)には築城が明らかです。
 天正18年(1590)前田利家の軍に落城し、16世紀末廃城となりました。

 築城当初の居城者は定かでありませんが、『妙昌寺縁起』には建武元年(1334)に青鳥城主として藤原斎心入道利行がみえ、後北条時代には山田伊賀守直安が在城したと伝えられています。

( 青鳥城_縄張り図(62kB) )

 青鳥城は、国道254号線に南側を、関越自動車道に東側を削られ、本郭を残しほとんどが宅地、畑化しています。
 本郭とその周辺の空堀は良く残っています。
 また、三の郭北東部分には「おため池」として水堀の一部が残っています。

本郭
神社下からの本郭全景
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神社下からの本郭全景

二の郭
本郭そばの二の郭跡 本郭側の二の郭土塁 本郭と二の郭の間の空堀
本郭そばの二の郭跡本郭側の二の郭土塁本郭と二の郭の間の空堀

三の郭
三の郭の土塁 水堀の一部の「おため池」 水堀沿いの応安2年(1369)に建立された板石塔婆:虎御石
三の郭の土塁水堀の一部の「おため池」水堀沿いの応安2年(1369)に
建立された板石塔婆:虎御石

  青鳥城跡                             平成19年8月11日時点  
◇交通 ・東武東上線東松山駅下車、西方面へ国道254号線に出て、関越自動車道を過ぎ、
 最初の信号「きじやま」を右折してすぐ左側(徒歩約40分)
・東武東上線東松山駅下車、東武バスで八幡神社前下車、
 国道254号線の「きじやま」交差点を渡って、徒歩10分
・関越自動車道「東松山」ICから国道254号線を西進し、
 関越自動車道を過ぎ、最初の信号「きじやま」を右折してすぐ左側(車5分)
◇駐車場・本郭前を過ぎ、200m程直進した二の郭跡(関越自動車道そば)の
 城跡説明板奥に5〜6台の駐車スペースあり。
◇問い合わせ ・東松山市埋蔵文化財センター(下野本528-1)  Tel:0493-27-0333
東松山市商工観光課(松葉町1-1-58)      Tel:0493-21-1427

参考文献現地解説板

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