小田原城(別名・小峯城) 【 平成4年(1992)版 】

―― 秀吉を阻んだ総構えの巨城 ――
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本丸跡からの天守と付け櫓
本丸跡からの天守と付け櫓
 

南西からの天守と付け櫓
南西からの天守と付け櫓
 
 小田原城は、鎌倉時代、土肥郷の豪族であった土肥遠平が小早川村に築いたのが始まりという。
 
 応永二十三年(1416)、大森氏が城主となるが、明応4年(1495)、伊豆の北条早雲が小田原城を奪った。
 これ以後この城は大変貌遂げることになる。

 早雲以来、関東に版図を広げていった後北条氏は、小田原城の整備と拡張を続け、上杉氏・武田氏の侵攻を退けた。
 さらに豊臣秀吉の来攻に備えて、天正十五年(1587)から修築と拡張に力を注ぎ、三の丸外郭に総延長十二キロメートルに及ぶ土塁と空堀による壮大な総構えを築いた。
 天守閣は、五代目氏直のときに初めて築かれたものです。

 天正18年(1590)に押し寄せた秀吉軍三十万の大軍もさすがに攻めあぐね、その間北条氏方は城内にて、あの有名な小田原評定を繰りかえし、最後は秀吉方の調略によって、小田原城を開城し、後北条氏は滅亡した。
常盤木門
常盤木門
 
 近世、関東を領して治めた徳川家康は、小田原城の総構えの破却を命じた。
 建築物については後北条氏時代は定かではないが、近世小田原城には三重天守が築かれた。
付け櫓入口階段から
付け櫓入口階段から
 天守は、寛永10年(1633)、元禄16年(1703)等の大地震により崩壊し、その都度修復されて明治維新まで存続しましたが、藩籍奉還にともない明治3年(1870)11月に取り壊されました。

 小田原城主は、徳川家康の忠臣の大久保氏・城代時代・稲葉氏・阿部氏と変遷したのち、貞享三年(1686)再入封した大久保氏から十代を経て明治維新を迎えた。

 現在、城跡に建つ天守は宝永期の天守を昭和35年(1960)5月25日に、小田原市が市制施行20周年事業として復元、築造したもので。
二の丸隅櫓
二の丸隅櫓
 昔の模型を基とし、鉄筋コンクリート造り、続やぐら付きの複合三重式・地下一階地上四階・総面積1.822平方メートルで、本体高さは鯱を合わせて30mです。

 城内の展示物には、北条氏五代の繁栄の後と、豊臣秀吉の小田原城攻め等が興味を引きます。
 春は、ソメイヨシノが満開で、城址公園の中は花見客で賑やかです。

 天守閣の周りの動物園(ライオンや象もいますよ)と遊園地は、近隣の子供たちにはよいのですが、観光客に若干興ざめかも。

 小田原城                       平成4年4月26日時点  
◇交通JR小田原駅より徒歩10分
◇開館時間午前9時〜午後5時まで(入城は4時30分まで)
◇休館日12月29日〜翌1月1日
◇入場料大人 300円

参考文献 ・現地の解説板、現地入手のパンフレット
・図説 日本の名城 (平井聖・小室榮一編 河出書房発行)

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