水戸城跡(別名:馬場城)
―― 徳川御三家の一つ天下の副将軍で、東北諸大名の押さえとしての城 ――
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| 本丸(一郭) | ||
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この一郭は鎌倉時代に馬場氏が館を建ててから、江戸氏・佐竹氏と城主が代わっても、本城(本丸)であった。 しかし徳川氏は居館を二の丸に建て、この郭は武器貯蔵所とした。 城門は東に 寺門、中部に中門があったが、現在残る唯一の門は橋のたもとにあった橋詰門のみである。 | ||
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| 水郡線を跨ぐ橋からの本丸跡 枡形内の水戸一高校門(東方面) | 本丸跡説明板のある本丸枡形の土塁(左・北側) | |
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| 本丸跡内部からの枡形南側の土塁(西方面) | 本丸跡内からの 枡形内部の土塁(西北方面) | |
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| 本丸跡に移築復元された 薬医門の橋詰門(表側) | 本丸跡に移築復元された 薬医門の橋詰門(内側) | 本丸と二の丸の間の空堀を 通る水郡線の線路 |
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| 二の丸 | ||
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二の丸跡の遺構としては、大手門枡形及び土塁(茨大付属小、水戸二中の西・三の丸側)が残るのみです。 大手橋は、佐竹氏の城郭拡張によって二の丸・三の丸が築かれた時、慶長元年(1596)に間の空堀に掛けられた橋で、徳川初代藩主頼房が修築してから「大手橋」と称された。 大手橋に接してあった二階造りの大手門は、佐竹義宣が慶長6年(1601)に建てたものであったが、徳川氏の代になっても水戸城の入口の門で、前に下乗の札、後ろに番所があった。楼上では太鼓、または鐘を打って知らせたこともあったが、明治初年に取り壊された。 | ||
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| 現地説明板にあった 大手橋古写真 | 現地説明板にあった 大手門古写真 | 現地説明板にあった 三階櫓古写真 |
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| 旧弘道館前からの二の丸への大手橋(東方面) | 枡形正面土塁前の城跡説明板 | |
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| 大手橋からの二の丸枡形と土塁(東方面) | ||
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| 県道232号線が通る 左三の丸、右二の丸の間の空堀跡(北方面) | 大手橋の上から見る空堀跡 を通る県道232号線(南方面) | |
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| 三の丸 | ||
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三の丸は、北・中・南の三地区に分かれ、重臣屋敷が甍を並べていたが、九代藩主斉昭が天保12年(1841)に中三の丸の地に藩校弘道館を建設したことから、文教学問の中心地区が形成された。 三の丸西側の空堀跡は、台地を掘削して造成された水戸城外堀で、城内と町屋地区とを区画する需要な役割を持っており、古地図を見ると空堀であったことがわかる。 | ||
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| 三の丸小学校正門前の 通り(西方面) | 三の丸小学校正門の 冠木門(南面) | 三の丸小学校東側出入口の 冠木門(東面) |
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| 三の丸西側の南堀と土橋(北方面) | 水戸警察署裏駐車場からの 南堤の土塁(北方面) | |
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| 県立図書館前の土橋からの中堀(北方面) | 県立図書館前の中堀側の土塁 | |
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| 県三の丸庁舎前の土橋からの中堤と中堀(南東方面) | ||
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| 県三の丸庁舎前の土橋からの北堤と北堀(北方面) | 三の丸広場からの 北堤の土塁(北西方面) | |
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| 鹿島神社への土橋からの 三の丸北西側の空堀(西方面) | 三の丸北東側空堀からの 北側土塁と土橋(西方面) | 鹿島神社への土橋からの 三の丸北東側の空堀(東方面) |
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| 特別史跡 旧弘道館 | ||
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弘道館は、水戸第9代藩主徳川斉昭(烈公)が天保12年(1841)この地に藩校を創立し、水戸藩士の子弟に文武の教育をしたところです。 その主義・精神は日本古来の倫理道を基本とし、これに中国に発した儒教の道徳を採用したもので、世に水戸学と称せられた。 現存している正庁の建物は669平米(202坪)、敷地34,167平米(10,353坪)で、明治8年に公園として国から指定を受け、昭和23年に都市計画公園に指定されて以来、弘道館公園を称するに至った。 昭和27年3月に国の特別史跡、さらに昭和39年5月に正庁、至善堂、正門が国の重要文化財に指定された。 [ 現存している旧弘道館正庁の建物平面図 (125kB) ]
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| 大手橋前からの旧弘道館正面(西方面)(25kB) | ||
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| 旧弘道館正面入口からの正門と白壁塀、入館路側の薬医門(東面)(25kB) | ||
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| 道路沿いの白壁塀と 正面入口(北東方面) | 早朝の閉門している入館路側の薬医門(西面) | |
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| 入館路側の薬医門(内側)と 史跡碑(南東面) | 白壁塀に埋め込まれている 正庁への入館門(南東面) | 入館門右側にある 入館券販売所の詰所 |
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| 正庁二の間・三の間のある 建物(南端角部分) | 入館門前からの正庁玄関、出入口のある廊下と資料室建物(南東面) | |
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| 正門前からの玄関(南東面) | 玄関にある徳川斉昭公と 七郎麻呂(慶喜公)の像 | 玄関式台からの正門(内側) |
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| 入ってすぐの溜からの 大番組詰所内部(北西方面) | 正庁諸役会所の床の間に掛る 松延年筆「尊攘」 | >正庁三の間前からの 諸役会所と玄関の間の廊下 |
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| 二の間からの 正庁正席の間(北西方面) | 正庁正席の間と二の間 (東方面) | 正庁二の間からの三の間、 諸役会所の間(北東方面) |
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| 復元された厠内部 | 復元された湯殿内部 | 正庁と至善堂をつなぐ 十間畳廊下(北東方面) |
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| 至善堂への西側入側の畳廊下 (北西方面) | 十間畳廊下からの至善堂 三の間、二の間、御座の間 | 至善堂御座の間からの 二の間、三の間(南東方面 |
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| 至善堂御座の間東側入側からの 四の間と板廊下(北端角) | 至善堂四の間東側に展示の 雲龍水(昔の消火ポンプ) | 至善堂溜の間からの 十間畳廊下(南西方面) |
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| 至善堂四の間の慶喜ゆかりの長持と三の間や 十間畳廊下の農人形(南方面) | 番頭詰所からの 十間畳廊下外側(北方面) | |
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| 弘道館公園 | ||
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公園内には、旧弘道館の建物のほかに、鹿島神社、孔子廟、八卦堂、要石歌碑、種梅記碑、学生警鐘などの史跡がある。 | ||
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| 孔子廟の正門(戟門) | 徳川斉昭(烈公)自鋳といわれる 学生警鐘 | 烈公選定の記碑が 治められている八卦堂(北面) |
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| 弘道館鹿島神社の本殿 (北面) | 神社手水社横の 江戸時代の井戸 | 八卦堂の上欄に 取り付けられている三本の算木 |
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| 史跡・名勝「常磐公園」 (偕楽園と千波湖) | ||
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天保4年(1833)、徳川斉昭が藩内を巡った時、南に千波湖や緑が岡をのぞみ、筑波山や大洗の海を遠望できる高台を藩内随一の景勝地として遊園を設けることを決め、自ら造園構想を練りました。 天保12年から造園工事を行い、翌13年(1842)7月に開園しました。 | ||
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| 公園北側入口にある 好文亭の表門(北西面) | キリシマツツジ越しの 好文亭(東面) | 仙奕台からの千波湖 (南東方面) |
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| 旧弘道館(三の丸) 平成22年5月14日時点 | |
| ◇所在地 | ・茨城県水戸市三の丸1丁目6番29号 |
| ◇交通 |
・JR常磐線・水戸駅北口より、国道61号線を渡り、銀杏坂を上がり、 三の丸小学校正門を右にまわりすぐ、徒歩約8分 |
| ◇駐車場 | ・旧弘道館の無料駐車場か、図書館or県庁舎の有料駐車場(300円/1時間)を利用 |
| ◇観覧時間 | ・午前9時〜午後5時(2/20〜9/30) ・午前9時〜午後4時30分(10/1〜2/19) |
| ◇休館日 | ・12/29〜12/31 |
| ◇観覧料 | ・大人:190円、 ・小中学生:100円、 ・70歳以上、障害者手帳所有者:無料 |
| ◇問い合わせ |
・弘道館事務所 TEL:029-231-4725 ・偕楽園公園センター TEL:029-244-5454 |
| 参考文献 | ・現地で入手のパンフレット、及び、解説板 |