小峯御鐘ノ台大堀切は、東堀、中堀、西堀の3本からなる戦国時代に構築された空堀です。
北条氏は、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めに対し、総構といわれる周囲約9kmの堀や土塁を構築し、その中に城のみならず城下町までを取り込んだ戦国期最大級の城郭を築きました。
この大堀切東堀は、総構以前に構築された三の丸外郭に相当し、本丸へと続く八幡山丘陵の尾根を分断しており、敵の攻撃を防御するために築かれた空堀です。総構とともに小田原城の西側を守る最も重要な場所であったと考えられます。
東堀は、幅が約25〜30m、深さは堀底から土塁の上面(天端)まで約12〜15mあり、堀の法面は50〜60度という急な勾配で、空堀としては全国的にも最大規模のものといえます。
発掘調査によると、堀には堀障子や土橋状の掘り残し部分のほか、横矢折れと呼ばれるクランク部分などが設けられていることが確認されました。こうした堀の構造は北条氏が積極的に用いたもので、戦国時代の小田原城の特色をよく表しています。
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