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報徳二宮神社のある小峯曲輪の北堀 (85kB)
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報徳二宮神社のある小峯曲輪の北堀 (85kB)

小峯曲輪
 報徳二宮神社の境内は、戦国時代北条氏によって造成された古い曲輪にあたります。江戸時代前期は雷曲輪、後期には小峯曲輪と呼ばれていました。雷曲輪は全国にも例のない面白いに名称ですが、由来ははっきりしません。小峯は天守閣の裏手、西側一帯を指す古い地名なので、これにちなんだものでしょう。
 小峯曲輪を囲む北側の空堀は、石垣を用いない土塁と空堀だけの、戦国時代の城の原形をよく留めている貴重な遺構です。堀幅は神社境内の土塁から21m、深さは現状で5m余りですが、実際の堀底はさらに2〜3mは深くなるでしょう。
 また、堀底には、堀障子と呼ばれる畝状の仕切が設けられていたと考えられています。
 正面右手急斜面の高台は、本丸の裏手を守る曲輪状地形の屏風岩(現在遊園地)です。小峯曲輪北堀は、今公園路となっている屏風岩と本丸の間の本丸西堀と、神社裏門出口の辺りで合流し、本丸の南麓、現在の私立図書館(南曲輪)前から、常盤木門下の九輪橋の方へ向っていました。
 
本丸西堀と神社裏門出口の辺りで合流している北堀 小峯曲輪西側の空堀 小峯曲輪南側の空堀
本丸西堀と神社裏門出口の
辺りで合流している北堀
小峯曲輪西側の空堀小峯曲輪南側の空堀

南曲輪
南曲輪の南辺の水堀(小峯曲輪方面) 南曲輪の南辺の水堀(御茶壷曲輪方面) 南曲輪の向かいにある三の丸の御感の藤
南曲輪の南辺の水堀
(小峯曲輪方面)
南曲輪の南辺の水堀
(御茶壷曲輪方面)
南曲輪の向かいにある
三の丸の御感の藤

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