小泉城跡(別名・冨岡城)

―― 豊臣秀吉の小田原攻めとともに破れ、廃城となった城 ――

本丸東側の堀
本丸東側の堀
高さ2mの土塁で囲まれた方100m程も本丸内部
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高さ2mの土塁で囲まれた
方100m程も本丸内部
 小泉城は、延徳元年(1489)冨岡主税介直光が縄張りをしたことに始まり、以後冨岡氏六代、約100年余の居城として栄え、威容を整えたものである。
 現在の城跡は、小田原北条氏の傘下に入ってから改築されたものと考えられている。

 城の形態は平城で、本丸、二の丸、三の丸からなり、中心部は回字型をもつ囲郭式平城で、県内でも有数の城跡である。

 中心となる本丸は方形100m程で水面から3mの高さの土塁で囲まれ、その周りを幅10m程の水堀が旧態のまま完全に残り、三の丸の一部の水堀と土塁がかなり良好な形をとどめている。
 本丸北東隅の「櫓台跡」と西南隅の「祈り」と「櫓台跡」は、正面、北面、西南面を防護する横矢櫓の備えを明確に残していて、戦国期城郭の特徴をよく遺存している。

三の丸から見た本丸土手(西面)
三の丸から見た本丸土手(西面)
三の丸北側に僅か300m程残る外堀
三の丸北側に
僅か300m程残る外堀
 天正18年(1590)、小田原北条方に組みしていた冨岡氏は、豊臣氏の小田原攻めとともに破れ、廃城となった。

( 小泉城祉案内図へ (36kB) )

 「大泉町」は、昭和32年、小泉町と大川村が合併して誕生し、昭和35年に「首都圏都市開発区域」の指定を受けてからは工場誘致や市街地整備を順調に進め、関東でも指折りの工業都市として現在に至っています。平成15年3月末現在、人口は4万2千人を超えています。

 そのような市街地にも関わらず、良く外堀・内堀などが埋め戻されずに、本丸を囲む土塁などを含め良好に遺されています。現在では、城の内公園として整備されています。

  小泉城跡                           平成17年11月13日時点  
◇交通 ・東武小泉線小泉町駅、又は終点西小泉駅より、徒歩約5分
◇駐車場 ・城の内公園入り口(二の丸)に、駐車場あり
◇お問合せ小泉町役場  TEL:0276-63-3111(代表)

参考文献 ・現地で入手のパンフレット、及び、解説板

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