岩槻城(別名・白鶴城)
―― 大田道灌によって築かれた古河城包囲の一つの城 ――
岩槻城は完成すると道灌の養子大田資家が城主となり、その子資頼が大永2年(1522)北条氏綱に攻め滅ぼされ落城した。 そののち太田氏が再び岩槻城を奪回したが、さらに北条氏の支配下に入った。 天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐時、岩槻城は浅野長政、本多忠勝などの軍に囲まれ激戦の末落城した。 徳川家康が関東に入ると岩槻城は高力清長が二万石で入封し城を修築した。 城は河川や沼沢地を利用した平城で石の算出がない地方であり、石塁で構成されていた。 江戸時代中期以降は、藩の石高が少なかったためもあり、広い本丸、二の丸は空き地になっていた。
つづいて阿部、板倉、戸田、藤井、小笠原、永井と城主が替り、宝暦6年(1756)大岡忠光が二万石で入封すると以降世襲して明治に至った。 城の建物は明治になって壊された。現在城跡にある黒門(大手門)、裏門は明治以降県庁の正門などに使われていたものが現在の位置に移築されたものである。 昔元荒川沿いの沼地の中に築かれた岩槻城は、難攻不落な土地であったことが想像できるが、現在は公園化して、子供達が遊んでいた。 それにしても、各地の城址と同様、跡地が野球場、テニスコート、公園化しているのは残念である。 |
| 岩槻城 平成14年4月29日時点 | |
| ◇交通 | ・東武野田線岩槻駅より徒歩約25分(東北に約1.5km) |
| ◇お問合せ | ・岩槻市立郷土資料館 TEL 048-757-0271 |
| 参考文献 | 現地解説板、「日本名城の旅・下巻」(日地出版 発行) |