石垣山城(別名・石垣山一夜城)
―― 関東地方では初の総石垣、天守を持つ石垣山一夜城 ――
![]() 史跡石垣山は、JR早川駅の西方約2.5km、国道1号線から東へ約1kmの小田原城まで僅か3kmのところにあり、標高257mの本丸からは小田原城やその城下はもとより、足柄平野や相模灘、遠くは三浦半島や房総半島をも望むことができます。 石垣山は、もと笠懸山、松山などと呼ばれていましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が後北条の本拠地小田原城を水陸15万の大軍を率いて包囲したとき、その本拠地として石材の少ない関東地方では初の総石垣、天守を持つ城を築いてから石垣山と呼ばれるようになりました。 この城が石垣山一夜城とか太閤一夜城などと呼ばれるのは、築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採したためと言われています。 しかし、実際には約四万人が動員され、天正18年の四月初めから六月下旬までの八十日間が費やされました。
![]() 城の縄張りは南北方向に走る尾根を軸にして、その最高点に本丸と天守台を設け、南には西曲輪と大堀切を隔てて出城が、また北には二の丸や北曲輪、井戸曲輪等が配置されています。この他本丸の東には南曲輪等の小規模な曲輪群があります。 (石垣山一夜城 歴史公園案内図へ ) 城道は、井戸曲輪の北方から二の丸を通って本丸へ至るルートと、南曲輪から本丸へ至る東口ルートの二筋があり、いずれの城道も関白道へ通じていました。 城内に入ると道路には枡形と呼ばれる屈曲した構造を持ついくつかの門がありました。門には瓦が用いられており、豪壮なその構えには秀吉の威信を示していました。
![]() 石積みは秀吉が連れていた近江の穴太衆による野面積みといわれるもので、小田原藩の管理下におかれていた江戸時代にも度重なる大地震にも耐え、今日まで当時の面影を大変よく残しています。 天守台は、最高所の標高261.5mの位置にあり、本城曲輪からは4m、西曲輪からは10m程高くなっていました。天守台は肩が大幅に崩れているため、範囲確定は難しいようですが約14×18m程の広さであったようです。 「太閤御陣城相州石垣山古城跡図」によれば、総石垣で、石垣高八間(約15m)、平面12間(約15m)と記されています。 |
| 石垣山一夜城歴史公園 平成13年5月20日時点 | |
| ◇交通 | ・JR東海道本線 早川駅から車で15分、または徒歩約40分 ・箱根登山線入生田駅下車、徒歩約1時間(3.5km) |
| ◇お問合せ | 小田原市役所観光課 TEL:0465-33-1302 |