飯野陣屋跡

―― 日本三大陣屋の一つの規模を誇る陣屋跡 ――

三の丸と外郭の間の周堀(北西面)
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三の丸と外郭の間の周堀
(北西面)

 
飯野陣屋濠跡石碑
飯野陣屋濠跡石碑
 飯野陣屋は、飯野藩初代の藩主保科弾正忠正貞が、慶安元年(1648)六月大坂城番となり、前封と合せ一万七千石を領し、侯籍に列して飯野を居所とし、築造したもので、明治維新に至るまで十代二百二十年余りの間藩主の居所でした。
 禄高二万石のうち飯野周辺は約三千石で大部分は関西地方にあり、飯野藩歴代の藩主は、大坂定番、加番や江戸城門番等を勤めることが多く、陣屋には代官がいました。
 元来陣屋とは軍営のことであるが、江戸時代には城を持つことを許されなかった小藩主の居所を称した。

 正貞は、信州高遠の城主保科正直の三男で、母は徳川家康の異父同母妹であり早くから家康に仕え、大坂夏の陣には大いに活躍しました。
 会津藩は本家に当たり、会津藩が相模と房総沿岸の警備を命ぜられた時、飯野藩が名代となり、弘化4年より嘉永6年迄房総沿岸警備を命ぜられました。
 天保13年飯野藩保科正丞の娘が松平容敬の養女となる等深い縁続きをもっています。

大手口への入口右辺の水堀(南東面)
大手口への入口右辺の水堀
(南東面)
本丸大手口と飯野神社への参道
本丸大手口と
飯野神社への参道
 陣屋の面積は、13万平方メートル余(約4万坪)で、本丸・二の丸・三の丸を備え、その堂々たる威容は、日本の三大陣屋(飯野陣屋(千葉)、徳山陣屋(山口)、敦賀陣屋(福井))の位置と称せられ、そのうち現存するのは飯野陣屋のみといわれています。

 周濠は、千葉県指定史跡で幅5メートル、底部がV字形の薬研堀で、延べ面積は6,620平方メートル(約2千坪)であります。
 濠に沿って高さ約2メートルの土塁の一部も形を止めている。

 日照りになるとお濠の水が涸れてしまうので、地元では雨乞いのため竜神の舞を奉納して恵みの雨を降らせました。
 陣屋内に飯野神社があります。祭神は保食命、相殿には建御名方命などを祀ります。
 最初は稲荷塚の墳丘上に鎮座していましたが、宝暦8年(1758)に保科藩主により現在の地に移されました。
三の丸三条塚周辺の水濠
三の丸三条塚周辺の水濠
 
二の丸跡の広場
二の丸跡の広場
 
 大正4年に至り政府の方針に沿って旧飯野村の神社をに本社に合祀して、社号を飯野神社と称することになりました。
 お祭りは毎年十月第一日曜日。
 五穀豊穣を祝って神輿が旧村内を巡行します。
 神社の背後には前方後円墳の三条塚があります。

( 飯野陣屋_概念図へ (59kB) )

 日本三大陣屋の一つの規模を誇る陣屋跡で、主郭周囲を囲む方形の土塁と水堀や、三郭外側の東西200mに渡って一直線に延びる土塁と水堀はすごいです。
 それにしても、広い陣屋跡です。城郭といってもよいくらいです。

◇交通・JR内房線青堀駅から南東に約2km、徒歩25分
◇問い合わせ産業観光課   Tel 0465-74-2111

参考文献現地解説板

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