
主郭部に建つ城跡碑
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西側小郭跡からの 主郭の土塁と空掘
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浜居場(はまいば)の地名は、古代の占いに起源しており、神事や占いごとに関係した場所をいいます。
ここに城塞が出来たのは年(1495)大森氏によって築かれたが、北条早雲の・・・き敗走した大森一族がここに立籠り戦った場所でもあります。
その後北条氏の筆頭家老であった松田氏の家臣小沢孫七郎がこの城を守りました。
この左下内山集落に末裔の小沢家・現存しています。
しかし、浜居場城は、「はまいは掟」という古文書でその存在を誇示しています。
この「はまいは掟」は、戦国期の城内の守備のありようについて述べている貴重な資料になっています。
天正9年(1579)6月19日付けで北条氏の重臣松田憲秀配下の小沢孫七郎らに、浜居場城の管理と警備及び城兵の行動規範についての掟書を下した。その内容は、
@守備兵が城より西方に出ることを禁じ、草木採取の場合は城の東側に限ること。

西側小郭跡郭からの 足柄峠方面
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主郭からの西側小郭跡と空堀
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A人馬の糞尿については遠矢の距離外に処理すること。
B当番の者が場外に出ることを厳禁し、特に鹿や狸等の狩猟目的で山中に入るような事があった場合は死罪にすること。
C昼夜を通して矢倉に番を置き、不審の者は捕縛すること。
D特に夜中の警備は入念に行うこと。
当城は、大森氏時代から甲斐・駿河方面からの古道が通り、足柄城の支城として、古道を押さえ・伝えの砦として機能していたと思われます。
遺構は、主郭部と西方120mの足柄城よりに虎口部があり、主郭部などは、空堀や土塁はその面影を残しています。
主郭は、南北90m東西50mの角ばった卵型でかなり広く、西から北にかけ土塁の跡が見られます。その外側に空堀が取巻いています。
南側は、なだらかな斜面で端は谷に落ち込んでいます。

馬場跡と思われる セントラル広場
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浜居場城ハイキングコース途中の 洒水の滝
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西方の虎口部までの間は、自然地形の尾根のまま続き、急斜面の手前に台形の平坦部があり、そこから20m下に堀切に挟まれた土橋と土塁に囲まれた枡形状の虎口があります。
でも、こんな山の上で、日々いつ来るか判らぬ敵を監視するのも大変だったでしょうね。
浜居場城ハイキングコース途中の洒水の滝ですが、岩石の崩れの恐れがあり、滝つぼそばまでは行けなくなっています。
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