八王子城(別名・深沢城)

―― 関東の山稜、深沢山系に選ばれた要害の城地 ――

復元された御主殿入口の冠木門
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復元された御主殿入口の冠木門
 
 
本丸址と石碑
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本丸址と石碑
 
 
 八王子城は、後北条氏四代当主北条氏政の弟の北条氏照が先に居城の滝山城を武田信玄に攻められ、落城はまぬがれたが要害の地でないことから、永禄12年(1569)から標高470m(比高240m)ほどの高峻な深沢山を選び、山上に築城をはじめたもので、東海道の要衝を占める北条氏の本城小田原に対し、甲州街道のおさえの城として重要視された。

 八王子城は、元亀3年(1572)ごろにほぼ完成したが、築城工事はさらに天正年間(1573〜91)にも続けられたが、未完成のままに北条氏の滅亡を迎えて廃城となった。
 この山上には氏照が築城する以前、豪族の砦跡があったともいわれ、広大な縄張りを示す山城で、本丸のある中心部と山麓居館跡が主な遺構である。

 天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原討伐にあたり、八王子城主北条氏照は北条氏当主の氏政を助けるべく大方の将を率いて小田原城に入ったため、手薄な八王子城を守った城代の諸将は上杉景勝、前田利家の軍の攻撃によって落城した。
復元された御主殿への虎口石段
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復元された御主殿への虎口石段
 
本丸址の広場
本丸址の広場
 
 八王子城が要害の城にあったのにわずか一日の戦闘によって落城したのは城代の諸将の数名いて足並みがあわず、兵力も大城を守るには少なく、兵の戦意もなかったためであった。

 関東の名城といわれた八王子城もあっけなく落城したが、徳川家康が関東に入ると、あまりに山が高峻にすぎることにより廃城になった。

 落城後の八王子城は立入禁止となり、江戸時代は幕府の直轄地として保護されてきたため、現在までよく残っていました。
 城主の居館跡(御主殿跡)周辺は発掘調査とその跡の整備によって、石垣や入口の虎口の階段が復元され、橋もかけられました。

御主殿跡と本丸、曲輪他の案内図へ(38kB)


御主殿から見た橋
御主殿から見た橋
 
 
御主殿内部と冠木門
御主殿内部と冠木門
 
 約2時間あまりで、本丸までの往復と御主殿跡の見学が出来ますが、時間があれば詰めの城(大天守台)まで脚を伸ばすのもよいのでは。くれぐれも本丸へは新道コースで行くほうが途中遺構も多く、楽です。旧道コースは、藪の中、急坂の山道を登るだけの健脚コースです。(私の経験談です)

 新道コースの柵門跡(新道コースと旧道コースの合流点)に到着する20m手前の右側(タバコ捨てるなの白板あり)に細い降り道があり、ここに結構立派な石垣があります。
 なお八王子城のメインの石垣群を見るなら、帰りに山王台から御主殿の奥への下り道のなかばにでっかい石がきれいに積まれて八王子城のメインの石垣群を見ることが出来るそうです。(私はパンフもなく、道もわからなかったので見てません。残念・・・)

 城址入口の管理棟にパンフレットがありますのでそれを持って登れば、便利。ただし、余りに朝早く行くと管理人さんがいないのでないかも。(ちなみに私は7時前で、ありませんでした。)

八王子城址要害地区への登り口
ダブルクリックで拡大図(60kB)へ 柵門跡手前の石垣
ダブルクリックで拡大図(63kB)へ 本丸への入口そばにある八王子神社
八王子城址要害地区への登り口柵門跡手前の石垣本丸への入口そばにある
八王子神社


  八王子城址                               平成14年4月29日時点  
◇交通 JR中央本線高尾駅「北口」よりバスで3つめ「霊園前」で下車、
       すぐ左の道を徒歩約10分で入り口へ
◇問い合わせ 八王子市役所商工課
       TEL 0426-26-3111

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