深見城跡(別名:一の関城山)

―― 矢倉沢往還に近く、境川に隣接した街道や河川交通の拠点の城 ――

南から入った境川沿いの丘陵の藪の中にある城山史跡公園の立て札
南から入った境川沿いの丘陵の
藪の中にある城山史跡公園の立て札
主郭内のけもの道
ダブルクリックで拡大図(102kB)へ
主郭内のけもの道
 
 深見城跡は、境川が裾を巻く台地の縁に築かれ、一の関城山とも呼ばれ、享徳元年(1452)ころ瀬谷郷の住人山田経光が居城したといわれるが、確証はない。
 小田原と江戸を結ぶ矢倉沢往還に近く、境川に隣接しているため、ここに目をつけた北条氏が、街道や河川交通の確保、境目の防衛を兼ねた軍事拠点を置いた可能性が高い。

 台地の端に長方形の曲輪を置き、北側から東側は切り立った急崖となっており、境川との比高差は15m位あり、天然の要害となっています。
 西側は天竺坂の大規模な堀割り、そして南側は台地続きの平坦地形を加工して曲折を多用した二重の堀と、土塁構造が密接に連携した東西2つの虎口(門・出入り口)などを構築し、要害地形を形成しています。
 その空堀の外側に、馬出状の小曲輪を3つ配置し、敵を堀ぎわに近寄らせないように工夫している。この縄張り構造は歴史遺構上、高い価値をもつものです。

主郭南に長く延びる曲輪
ダブルクリックで拡大図(93kB)へ
主郭南に長く延びる曲輪
 
境川方面からの主郭西部の「天竺坂」と言われる空堀(南方面)
ダブルクリックで拡大図(90kB)へ
境川方面からの主郭西部の
「天竺坂」と言われる空堀(南方面)
 発掘調査の成果から、この城の利用は14世紀末頃より16世紀末頃までの年代幅の中にあることがわかりました。
 一方、現存の城跡の構造をみると、軍学による城制に整合することから16世紀戦国時代と思われます。

[ 深見城跡_遺構想定図(現地説明板より) (63kB) ]

 現地には、下水処理場正面入口の横を真っ直ぐ進んだ突き当り、天竺坂の入口の堀切に城跡説明板があるきりで、主郭の周りが杭やフェンスで囲まれています。
 城跡の南東側(東名高速道路側)の民家の中を入っていくと、城山史跡公園の立て札が数箇所にありますが、中は草木で荒れ放題です。
 それでも、城廻ファンの造った?けもの道をいくと、なんとか虎口や空堀に案内してもらいました。

東虎口そばからの西虎口の土塁と空堀(西方面)
東虎口そばからの西虎口の土塁と空堀(西方面) (29kB)
二重の空堀を跨ぐ東虎口の土橋
クリックで拡大図(109kB)にいきます。 西虎口の空堀と土塁
二重の空堀を跨ぐ
東虎口の土橋
西虎口の空堀と土塁 (23kB)
 
主郭南西面の道路から東虎口方面の道(西方面) 東虎口前から境川方面へ続く空堀
主郭南西面の道路から
東虎口方面の道(西方面)
東虎口前から境川方面へ続く空堀 (18kB)
 
主郭の南西面の道路(北西方面) 主郭南の丘陵からの城山史跡公園入口のソテツ 城ヶ岡部落にある城山史跡公園への目印となる標識
主郭の南西面の道路
(北西方面)
主郭南の丘陵からの
城山史跡公園入口のソテツ
城ヶ岡部落にある城山史跡公園への
目印となる標識


 深見城跡                                      平成20年6月14日時点  
◇所在地 ・神奈川県大和市深見城ヶ岡
◇交通 ・小田急江ノ島線・鶴間駅から、国道246号線に向かい、山王原東交差点を渡り、
  下水処理場横を通り、天竺坂入り口まで、徒歩約20分
・鶴間駅東口から一の関経由大和駅西口行バスにて、一の関,or,大和小学校下車、
  東名高速道路沿いに城ヶ岡部落に向かい、徒歩約10分(※ ただし、1時間に1本です。)

参考文献 ・現地解説板、現地入手のパンフレット
・ビジュアル・ワイド「日本の城」 (小和田哲男監修・小学館発行)

go to home page  日本のお城めぐりへ  (C)2008, kみむ