
房総の有力な豪族千葉氏の出目は桓武平氏といい、良文(村岡氏を冠す)の孫忠常の子常将がはじめて千葉介を名乗ったのにはじまるという。
千葉に城を築いたのは常将の三代後の千葉常重が大治元年(1126)、上総(千葉県)大椎(おおじい)城からこの古城に移って整備し、本丸が台地の亥の方向に突き出ているので、別名亥鼻城とも呼ばれた。

千葉氏は源家とのゆかりも深く、前九年の役、後三年の役、保元・平治の乱に合力し、常胤のとき頼朝を援けて勲功があり、栄えた。
以後、室町時代まで関東の内乱に巻き込まれ、同族間の内紛を招き、また里見氏の勃興などで次第に弱まり、康正元年(1455)千葉胤直の時、叔父馬加康胤に急襲されて城を落ち延びて以降は、千葉氏を継いだ康胤の子孫が長禄元年(1457)に本拠を印旛郡本佐倉に移したことから千葉城は荒廃した。
現在は、本丸の一部が公園となり、二の丸には昭和42年(1967)4月に建てられた模造天守閣の郷土館がある。
しかし、当時の城は館形式の中世式城郭であって、丘陵の突き出した部分を数ヶ筋の堀切で区画し、各曲輪に土塁をめぐらした程度のものであった。
亥鼻公園の中に本丸土塁や出丸、堀切の一部が残り、また頼朝伝説で名高いお茶の水もある。
内部に展示されている千葉氏、千葉市の歴史(写真パネルがたくさん)などを見てください。また、館内のプラネタリウムを見るのもよいかも。
閉館間際(16:00)に入るとゆっくり、かつ、説明員の人にいろいろ教えてもらえますよ。(運がよければ入城料もタダに)
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