北の庄城址
―― 柴田勝家とお市の方が落城、焼失した九層の天守を持つ豪壮な城 ――
一向一揆を壊滅させた直後の天正3年(1575)8月、織田信長から越前49万石に封ぜられた柴田勝家は、足羽川と吉野川との合流点に、北ノ庄城を築いたといわれている。現在の柴田神社付近が本丸と伝えられる。 詳細は不明であるが、天守閣は九層を持つ平城で、屋根は悉く立派な石で葺いてあり、その色により一層美観を増した壮大な城であったといわれている。 勝家は、城下繁栄のため戦国朝倉氏の居城があった一乗谷から寺社や民家を北ノ庄へ移転させるなどに努めた。 足羽川に架かる橋(九十九橋)を半石半木の橋に架設したと言われる。 柴田勝家は、まちづくりにも創意工夫を施し、今日の福井市の基礎を築いたと言われる。 その後、天正11年(1583)4月に羽柴(豊臣)秀吉に攻められ、勝家はお市の方と共に自害、北ノ庄城は落城した。
江戸時代においては、この辺りまで武家屋敷が及んでいた。 当時、北の庄通りの東詰に「漆門」と呼ばれた門があった。 慶長6年(1601)初代福井藩主結城秀康が68万石の大名として越前に入国。 一緒にやってきた、養父結城晴朝の屋敷がこの地域にあったことから、「晴朝の門」と呼ばれ、それが訛って「鳩の門」とも呼ばれたという。 明治に入り、この地域に鉄道が敷かれ、官庁街を形成した。 大正10年(1921)に赤レンガのモダンな建物として福井地方裁判所が建てられたが、昭和20年(1945)の福井空襲で焼失してしまった。 その後、裁判所は春山1丁目の現在地に移転し、その跡地は商店街となって現在に至っている。
北の庄城は、ちょっと遠回りになりますが僅かですので、福井城址に行く前に立ち寄ると良いです。 JR福井駅から足羽川に向った柴田神社境内に、発掘・調査された堀、石垣跡や再生された半石半木の橋、勝家公とお市の方の像とわずかの発掘物と復元井戸が展示保存されています。 |
| 北の庄城址 平成17年4月10日時点 | |
| ◇交通 | ・JR北陸本線福井駅下車、北西へ徒歩約5分 |
| ◇問い合わせ | 福井市観光課 TEL 0776-20-5346 |
| 参考文献 | ・現地で入手のパンフレット、及び、解説板 |