唐門へ  越中・古国府城跡(勝興寺):七年ががりで改修された本堂(51kB)  国庁跡石碑へ

 本堂は、前田家十一代藩主治修の援助によって寛政7年(1795)に建てられた。
 治修は、六代藩主吉徳の八男で、延享3年(1746)勝興寺に入寺し、明和6年(1769)還俗して藩主を継いだ。

 勝興寺本堂の平面、構造、形式、細部意匠は、京都の西本願寺本堂(1760年建築・重要文化財)を範例にして建てられており、県内はもとより我が国の浄土真宗寺院本堂遺構のうちでも破格の規模と形式を備えた建物である。

 また、真宗寺院は、江戸時代中期以降、立て替えにに伴い規模を拡大し、内部を壮厳化する傾向が見られるがこの本堂はそれを顕著に示している。

 堂の主要部は、桁行、梁間ともに九間で、梁間を前方六間、後方三間に区分し、外陣、内陣とする。
 外陣は二間の「矢来」と四間の外陣に分け、内陣は外陣より一段高くし、中央の三間を「御内陣」その左右三間づつを「余間」とし、余間の外を「飛檐の間」「さやの間」とする。
 このような間取りは真宗本堂の大型例の典型である。

越中・勝興寺:七年ががりで改修された本堂(51kB)
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七年ががりで改修された本堂

勝興寺・本堂
本堂の屋根を支える猿と経堂(正面)
ダブルクリックで拡大図(83kB)へ  本堂の屋根を支える猿
   本堂の屋根を支える猿と経堂(正面)          本堂の屋根を支える猿
太い柱と精巧な木組み 太い柱と精巧な木組み
本堂の大きな屋根を支える太い柱と精巧な木組み
太い柱にある装飾的な木彫 太い柱にある装飾的な木彫
本堂の大きな屋根を支える太い柱にある装飾的な木彫

参考文献 ・現地の解説板と駅観光案内所で入手のパンフレット

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