本丸へ  G金沢城:櫓跡と石垣  大手門(尾坂門)と新丸へ

 金沢城ほど多種多様な石垣が存在する城は全国に例がないといわれています。
 所々刻印が見られますが、これは石材確保を割り当てられた家臣毎の識別符号といわれています。

辰巳櫓跡(本丸南東部)
旧石川県庁舎跡方面からの辰巳櫓跡とその石垣群(南西面)
ダブルクリックで拡大図(95kB)へ 辰巳櫓跡の石垣群(東面) 金沢城最南端部の辰巳櫓跡上部
旧石川県庁舎跡方面からの
辰巳櫓跡と石垣群(南西面)
辰巳櫓跡の石垣群
(東面)
金沢城最南端部の
辰巳櫓跡上部

丑寅櫓跡(本丸南西部)
辰巳櫓跡下の石垣 辰巳櫓跡下から丑寅櫓跡下までの百間堀沿いの石垣 丑寅櫓跡下の百間堀沿いの石垣
ダブルクリックで拡大図(121kB)へ
辰巳櫓跡下から丑寅櫓跡下までの百間堀沿いの石垣 丑寅櫓跡下の百間堀沿いの石垣
辰巳櫓跡の上部
丑寅櫓跡の上部

金沢城:二の丸からの本丸・戌亥櫓跡と石垣 (93kB)
クリックで 金沢城公園の案内図 へ戻ります。
二の丸からの本丸・戌亥櫓跡と石垣

戌亥櫓跡(本丸北西部)
 本丸の北西角、戌亥の方角に当たることから「戌亥櫓」と呼ばれていた。
 東と北に「出し」という出窓がついている二層の櫓だった。
 乾櫓と書くこともある。
 宝暦火災(1759)の後、再建されなかった。

本丸戌亥櫓跡への石垣と間の通路
ダブルクリックで拡大図(81kB)へ 戌亥櫓跡の礎石 戌亥櫓跡の井戸跡
本丸戌亥櫓跡への石垣と
間の通路
戌亥櫓跡の礎石戌亥櫓跡の井戸跡

鉄門石垣(本丸への入口)
 二の丸から本丸へ向かう際の本丸の正門。
 慶長の創建時(1600年代)には、鉄板を貼った扉がつけられていたことからこの名前が付いたといわれている。
 渡し櫓がのった重厚な門で、本丸の防御にあたっていた。

三十間長屋前からの鉄門石垣 三十間長屋前からの鉄門石垣 鉄門石垣(左側)
ダブルクリックで拡大図(120kB)へ
三十間長屋前からの鉄門石垣三十間長屋前からの
鉄門石垣(右側)
鉄門石垣(左側)

数寄屋敷石垣と切手門
 三の丸の西に位置する数寄屋敷は、藩主の側室たちの住まいがあったところです。
 石積の技法は、石の表面を長方形に仕上げた「切り込みハギ」で、刻印が見られる石垣は創建時のものです。

三の丸西方面の数奇屋敷石垣
ダブルクリックで拡大図(84kB)へ 数奇屋敷石垣 数奇屋敷石垣
三の丸西方面の数奇屋敷石垣
切手門と旧第六旅団司令部 切手門前からの旧第六旅団司令部 旧第六旅団司令部前からの切手門
ダブルクリックで拡大図(87kB)へ
切手門と
旧第六旅団司令部
切手門前からの
旧第六旅団司令部
旧第六旅団司令部前からの
切手門

土橋門石垣
 土橋門は、三の丸の北西にある門で、左右の掘り割りをはさんで、土橋で北の丸と三の丸をつないでいたので、
この名が付いた。
 土橋門は、城内への通用門として需要な位置にあり、虎口を形成する櫓台も重厚なものである。
 この石垣は、「切り込みハギ」の技法が用いられ、土橋門の土台になっていました。
 前の石垣に組み込まれた六角形の石(亀甲石)は、水に親しむ亀を表したもので、防火の願いも込められています。
 文化年間の大火でも。この石のおかげで土橋門の焼失を免れたとも伝えられています。

三の丸側からの土橋門櫓台石垣
ダブルクリックで拡大図(85kB)へ 土橋門石垣 土橋門前からの北の丸への門跡
三の丸側からの
土橋門櫓台石垣
土橋門石垣 土橋門前からの
北の丸への門跡
裏口門跡の石垣 裏口門跡の石垣 裏口門跡の石垣
裏口門跡の石垣

 金沢城 へ戻る  (C)2005,2007, kみむ