岡山城(別名・烏城)

―― 旭川の川面に映える黒塗りの五重天守 ――

本丸月見櫓そばから見た岡山城天守
クリックで拡大図へ(35kb) 月見橋後楽園側からみる岡山城天守
クリックで拡大図へ(30kb)  岡山城のはじまりは天正元年(1573)宇喜多直家が、現在の城跡、西の丸辺りに城を築いていた金光宗高を謀殺してこれを奪い、新しく築いたものである。
 宇喜多直家は備前の国の豪族浦上氏の家来で上道郡浮田の亀山城(沼城)居たが、その知謀で次第に勢力を得た。

 直家の死後あとを嗣いだ秀家は豊臣秀吉の信任を得て文禄3年(1594)からさらに城の大改築を行った。秀秋は沼城天守を移築して大納戸櫓とし、外堀も築いたといわれる。
 ときに秀家は五十七万四千石の太守であり、城もそれにふさわしい大規模なもので、天守は安土城天守に似た五層六階、櫓、城内に林立する名城になった。

 岡山城は宇喜多秀家の居城として輝いていたが、慶長五年(1600)の関ケ原合戦で西軍に属した秀家は改易となり、新しく小早川秀秋が五十二万石で入城した。
天守丸広場からみる岡山城復興天守
クリックで拡大図へ(46kb)  二年在城ののち秀秋が急死した後は、替わって池田輝政の二男忠継が慶長8年(1603)三十一万五千石で入封した。のち池田家が次いで入り、寛永9年(1632)池田光政が鳥取から入城すると以降世襲して、明治維新に至った。

本丸広場から見た岡山城月見櫓
クリックで拡大図へ(48kb)  城はそばを流れる旭川の川筋を変えて堀の代わりにし、旭川湾曲部の小丘を本丸とし、二の丸、三の丸をめぐって、三重の堀があり、北と西の方向に武家屋敷、城下町があった。
 岡山城には櫓35棟、門21棟がり、天守が下見板張りの黒造りであったため烏城といわれた。
 
   後楽園は城の対岸、旭川の中州に造られた広さ寿一万五千平方メートルの広壮な大名庭園である。
 岡山藩主池田綱政の貞享3年(1686)家臣津田承忠を奉行として造らせたもので完成は十四年後の元禄13年(1700)であった。

本丸への岡山城廊下門
クリックで拡大図へ(57kb)  天守は、旧国宝として昭和20年まで存在したが、惜しくも戦災で焼失し、今は月見櫓を残すだけ。
 昭和41年(1966)に、天守閣と不明門、廊下門、六十一雁木上門、周囲の塀などが復元された。
 現在の天守は外観復元されたが、以前にはなかった地階が加えられている。
  (岡山城案内図へ

 白亜の姫路城と好対照の下見板張りの黒造りの天守はまた風格があるものです。
 月見橋を渡って、日本三大名園の一つである後楽園も一緒に巡ってはいかが。
 後楽園側から観る岡山城が外観は最高です。


  岡山城天守閣                   平成12年8月8日時点  
◇交通JR岡山駅より徒歩約20分
◇開館時間午前9時〜午後5時まで
◇休館日12月29日〜12月31日、特別展開催日前後
◇入場料大人 300円、小人(5〜14才) 120円
◇お問合せ 岡山城事務所
   〒700-0823 岡山市丸之内2-3-1
      TEL:(086)225-2096
      FAX:(086)225-2097

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