松寿弁財天、通称松様
昔、昔、文政五(1822)年 6月12日に、
このあたり(多摩区宿河原)村では、多摩川が増水して大勢の人が多摩川の濁流に飲み込まれたそうです。
危うく難を逃れた村人たちも濁流に追い詰められ、多摩丘陵の麓まで逃げてきました。
闇の夜にて何も見えず難儀していたとき、丘陵の松からパッと光がさして白い布が一本するすると下がってきました。
村人たちは「あっ!命綱だ!!」その綱にすがって丘陵にのがれ救われたといいます。
恐ろしかった一夜が明け、村人が松のところへ行ってみると、その場所に綱はなく、白いヘビがいたとの言い伝えがあります、
それで、このあたりを宿河原の中でも
下綱と呼んでいます。
上記は私が、近所の人から聞いた話です(*^.^*)エヘッ
子供の頃の私は(今でも( ;^^)ヘ..)大変な悪戯小僧でした、そんな昔このあたりで、蛇をいじめると、大人の人に、(罰当たり)なんて、
怒られた記憶があり ます。
(また、この辺りの農家では養蚕が盛んであり、蛇は農家にとって害獣のねずみを食べるので大切にしてたからでもある)
おいらが子供の頃は、木が覆い茂り何かでそうな、畏れを感じる場所でもありました。
この畏れこそが自然そのものなのでしょうネ
この社には蛇が祭ってあり、 このあたりでは
”松様”、と呼ばれています。
写真にある麓の鳥居をくぐり急な階段を 上った所に”松様”があります。
子供の頃はこの階段をウサギ飛びで登ったこともありました。
私が思うに、昔の人は、自然を上手に受け入れていたのでしょう、なんて思っています。

多摩川と並び古里を思い出す場所でも有ります。


綱下げ松

綱下げ松について『新編武蔵風土記稿』には、
「旧跡綱下げ松 村の巽の方、岡上に立てる古木樹なり。岡下の田地を下綱という」と有ります。

松寿弁財天にある綱下げの松、昔の松は稲手七本松の一つに数えられていました。
『新編武蔵風土記稿』には「旧跡綱下げ松 南東の方、岡の上にたてる古松樹があり、岡の下の田んぼ
を下綱といいます。樹のあるところは、長尾、上作延、下作延、宿河原村の村境で、この樹を印として
います。三人が手をつないで輪になった位の大樹で枝葉が美しいです。伝説として太閣秀吉が小田原陣
のとき、神宮寺の城へ向かった兵がこの松に綱を結びつけ、それを使って丘下に降りたことから、その
名前がついた」と書かれていますが、多摩川の洪水の伝説も語られているそうです。
昔、文政五(一八二二)年 六月十二日に、多摩川は大洪水となりました。暴れ狂った川は、上流か
ら家を、田畑を押し流し、宿河原村にもおそってきました。
村人はだく流をおしわけ、多摩丘陵の上に非難しようとしましたが、多くの村人が流されていきました。
闇の夜になったとき、丘陵の松からパッと光がさして白い布が一本するすると下がってきました。
恐ろしかった一夜が明けました。村人が松のところへ行ってみると綱はなく、松の下には白い
ヘビがいました。
昔の人は、白蛇は水神様、弁財天の使いと、語ってきました。


別の言い伝え

昔、宿河原村に紋右衛門と言う者がいたとそうな〜
ある夜、紋右衛門宅の木戸をたたくものがいたとそうな〜
紋右衛門こんな夜中にだれだろうといってみたが、だれもいない。
空耳かとおもって、床にはいると、また木戸をたたくのだ。
家人もたしかに聞こえたというので、行ってみると、やはり人影はない。
紋右衛門は、気味の悪い夜だなともどってみると、蚕室から火がでていました。
「あつ!火事だ!!火事だ!!!」叫びを聞いて妻も飛び起きて、けしとめました。
すんでのところで、大火事になるところでした。
「木戸をたたいた人が、おしえてくれたのだ。いったいだれだろう。」
夜が明けて、紋右衛門夫婦が蚕室に、行ってみると、天井の横に白ヘビが、死んでいました。
「そうだ、松寿弁財天さまが教えてくださったのじゃ」2人は、白ヘビを手厚く供養した。
それから、この村では、火事が無くなったという。
弁財天のこうした、ご利益は、広く知られ、毎月の蛇の日には、多くの人がおしよせ、お金をいれる
はこが、底ぬけるぐらいお金がなげこまれたといいます。この人手をねらって、下網には、八十四軒の
茶屋ができ、見世物小屋まで、かかったと言われています。
これを知った代官、中村八太夫は「田仕事もせず松もうでとはならん」と、取りしまったので、
下綱はまたわびしい村になってしまったというが明治になってもお天気の、
変わりめには、弁財天の白ヘビが松の根元にでてきて、首を持ち上げて天気を知らせたというのです。
時は、流れたが松寿弁財天は今も信仰され、ほこらの中には蛇の置物がいくつも供えられていて、
蛇の絵を描いた絵馬も奉納されています。
左には、戦後につくられた平和記念の碑も建てられています。
丘の下からのぼってくる参道の途中には「霊水、久地の井戸」「方位除けの霊水」というわき水があり、
方角の悪いところへこの水をまいて清めました。また、眼病、安産の霊水とされ、どんな日照りがつづ
いても、かれる事が無く、今もわきでいます。