らもんの一生 平成十六年


平成十六年七月十日 第十八回らもはだ

 このサイン入色紙はその後ビンゴの景品に。写真をクリックするとサインが見られます。


平成十六年七月十六日 階段落下で重傷

 作家の中島らも氏(五十二)が十六日に外出先の階段から落下し、重傷を負って関西の病院に入院していることが二十一日、分かった。足を滑らせて転落した際に全身も強く打ったという。
 らも氏は昨年二月、麻薬及び向精神薬取締法違反、大麻取締法違反の両容疑で逮捕。「著作の中で日本では吸わないと公言していたのに、魔が差して大麻を吸ってしまいました」と罪を認め、五月に懲役十月、執行猶予三年の判決を受けた。
 七月に獄中体験をまとめた「牢屋でやせるダイエット」を発表し著述業、音楽活動などを再開した。

(平成十六年七月二十二日 スポーツニッポン)


平成十六年七月二十七日 作家の中島らもさん死去

 作家や劇団主宰者として活躍した中島らも(なかじま・らも=本名中島裕之=なかじま・ゆうし)さんが二十六日午前八時十六分、脳挫傷による外傷性脳内血腫のため神戸市内の病院で死去した。五十二歳。兵庫県出身。葬儀は近親者で済ませ、後日「追悼ライブ」を開く予定。
 神戸市内で十六日未明、酔って階段から転落し頭部を負傷した。
 大阪芸大放送学科を卒業後、コピーライターをしていた一九八〇年代から新聞で「明るい悩み相談室」を始め、肩の力が抜けた軽妙な回答ぶりが話題を集めた。わかぎゑふさんらと劇団リリパット・アーミーを旗揚げしたほか、テレビ番組の構成やラジオのパーソナリティー、エッセイスト、ミュージシャンとしても活躍。酒好きが高じてアルコール性肝炎で入院した経験を生かして書いた「今夜、すべてのバーで」が九十二年、吉川英治文学新人賞を受賞して本格的に小説に取り組んだ。九十四年、「ガダラの豚」で日本推理作家協会賞を受賞。
 二〇〇三年に大麻取締法違反などで逮捕され、懲役十月、執行猶予三年の判決を受けた。

(平成十六年七月二十七日 スポーツニッポン)


平成十六年七月二十八日 中島らも事務所

 突然のお別れとなり、皆さま、さぞ驚いていらっしゃることでしょう。
 きっとらもも驚いて、そして多分「ふっふっふっー」と喜んでいると思うのです。
 とても自分らしいお別れができたから。

 らもは「おれはみんなの笑顔で生きているのだ」と白状したことがあります。
 幸せだったんです。

 今までどうもありがとうございました。
 皆さまもどうぞ、笑顔の絶えない毎日をお過ごし下さいませ。

  二〇〇四年七月二十八日
  中島美代子


平成十六年十月九日 せんべろ忌

 三島由紀夫が「憂国忌」、星新一は「ホシヅル忌」、赤塚不二夫が、、、あっ、まだ生きてるか。

 らもさんの命日を「せんべろ忌」と命名。七月二十六日は自宅にいようが、飲み屋で一杯引っ掛けていようが、全国津々浦々どこかをほっつき歩いていても・・・一人でいようが、仲間と一緒にいようが・・・杯を高くかかげ、心の中で呟く、、、

「らもさん、乾杯!」

  二〇〇四年十月九日
  川村けんと


平成十六年十月十四 追悼ライブ (敬称略)


受付

 開場遅れる

 これだけ出演者が多くて、リハに手間取らないはずがない。案の定、開場時間が遅れるとの告知が。しかし、三十分程度の遅れで済んだのだから立派なもんだ。
 五時半頃開場、受付は大村アトム。パンフレットに名を連ねている長谷川義文、田中恭子もひょっとすると受付を手伝っていたのではないかと思う。
 長谷川義文は「
せんべろ探偵が行く」の装画を描いた人。他には絵本を多く手がけているようだ。
 田中恭子という方は全く存じ上げません。ひょっとして中島らもに「KYOKO」をプレゼントされた人だったりして。


ちんどん通信社

 にぎやかなお迎え

 受付正面でちんどん通信社がお囃子で迎えてくれる。
 初めて見たちんどん通信社だが、春一番リリパット・アーミー公演にも出演したことがあるらしい。
 舞台正面上方に不敵な笑みをたたえた中島らもの写真。右手に献花、骨壷、ワイルドターキー。右手上方に宙吊りのアコギが二本、一本は共鳴筒付きのシングルネック、もう一本は「ロカ」と名付けられたダブルネック。


田中峰彦

 前座と呼ぶには惜しい

 二本目の缶ビールを空けた頃にシタール奏者の田中峰彦登場。開場して間もないので客の入りはまだ一割程度。「昔インド人の役で芝居に出たことがある」とのこと。

 三曲ほど演奏したと思う。ブルースが一曲あったが、あまりシタール向きとは思えない。


福岡風太

 日本一の裏方

 下手より吹けば飛びそなおっさんが登場。骨壷の風呂敷をほどく。

 このおっさん、実は日本一の裏方と言われる福岡風太、春一番コンサートの生みの親であった。


キッチュ(松尾貴史)と久野麻子

 司会はこの二人

 司会はキッチュこと松尾貴史と久野麻子

 久野麻子さんは劇団Mother出身の美人女優。


宮前賢一 (日広エージェンシー社長)

 中島、小そうなったな

 そういって、遺骨に手を合わせる日広エージェンシー社長宮前賢一。

 別に見ていたわけではないが、楽屋ではそういう光景があったらしい。


金子美和

 評価が難しい

 中島らもが大麻所持で逮捕、保釈後に入院した病院で知り合った。「子供の一生」作中歌「砂の国」弾き語り。


桂吉朝 桂雀三郎 (ビデオ)

 中島らもとかけてスパイダーマンと解く
桂吉朝
「よう遊んでもらって、一緒にいて退屈したことがなかった。どう言っていいのやら。中島らもとかけて、スパイダーマンと解く、その心は、、、みなさんでええように考えてください」

桂雀三郎
「アルカリ落語の時にゲストで出てくれました。自作の落語をすると言ってね。長いマクラで、もう終わるんかなと思ったら、いきなり『こんにちわ、甚兵衛さん、いてはります? 勝手に上がったろ。・・・あっ、死んでる!』と言って逃げるように下りはりました。感心したんは、その短い落語に題名がついてたんですね。『甚兵衛の最期』って」

「週刊落maga」Vol.55 2004.10.22 より


原田伸郎 立原啓裕 横山ノック テント 桂九雀 旭堂南左衛門

 お笑い・バラエティ界の友人たち

原田伸郎
立原啓裕
横山ノック
第十八回らもはだに出演する予定だった。中島らもから電話がかかってきて「犯罪者同盟」というコンビ名でやろうと冗談で話していた。
テント
桂九雀
桂吉朝の投げっぱなしの謎かけを解く。「その心は、一旦はまった人は逃れられないでしょう」
旭堂南左衛門


三上寛

 「夢は夜ひらく」「美術館」

♪爆破すべき美術館 そうすべきではない美術館


村上健カネテツ社長

 てっちゃん CMソング唱和

 


山内圭哉 前田一知 吉村久一 コング桑田 樋野展子

 PISS 再結成

 


本上まなみ (ビデオ)

 ピアノ演奏

 ひそひそくすくす大爆笑に収録された第七回らもはだの時に中島らもから贈られたおもちゃのピアノで、モーツァルトのピアノソナタ第十一番第一楽章を演奏。


小堀純 宇梶剛士 G2 升毅 牧野エミ 川下大洋 古田新太

 演劇界の友人たち
小堀純
宇梶剛士
G2
升毅
牧野エミ
川下大洋
「つじさんが」という発言でG2の本名を暴露してしまう。下の方はあつし。
古田新太


ザ・ひょうたんフィルハーモニック・オーケストラ

 中島らも、美代子謹製 ヒョータリン

 


岸本亜紀 (手紙)

 便箋六枚にビッシリと書き綴られた思いを要約。

 


岡田徹 (実業之日本社)

 ちょっと背伸びして一つ大人になる

 


チチ松村

 チチ松村 樋野展子

 「坂道」


野坂昭如

 朝まで生テレビ

中島らも殿
 きみは少し褒められすぎた
 僕は褒めない
 今度会ったら一杯やろう
         野坂昭如

 中島らもが「朝まで生テレビ」に出演したときに、たったの三回しか発言しなかったと云う話は有名だが、最初は、
「何故、日本の広告は外国人ばかり使うのか?」という問題になったときに、野坂昭如が気を利かして「中島らもさん、あなたどう思いますか?」と話を振ってくれたところ、

「それは日本人が八頭身やないからです」

 二回目は、口を開いてから言葉を出すまでの間が長すぎて舛添要一に横取りされる。

 最後は「今年一番気になったこと」と云う質問に、

「双羽黒が相撲取り辞めてプロレスラーになったことです」


鮫肌文殊 ガンジー石原 ひさうちみちお
町田康 大槻ケンヂ いしいしんじ 末井昭

 文学・出版界の友人たち

 


南正人

 ギター持っていけばイヤとは言えんやろ

 「こんなに遠くまで」「ガットギター」


鈴木創士 八幡英一郎

 高校時代からの友人

 


モブ・ノリオ

 

 


忌野清志郎 チャー (ビデオ)

 即興「中島らもの唄」

 忌野清志郎はらもはだ出演が決っていたが逮捕でお流れになったとのこと。おそらく山内圭哉が出た第十回の事だと思う。


元木正実 福井敏 岡部亘 岩井実利

 MOTHER’S BOYS

 


元木早苗 藤谷文子 行岡久恵 天辰葉菜絵

 FATHER’S GIRLS

 


石田長生 清水興

 

 


鮎川誠&シーナ

 

 


大槻ケンヂ 南正人

 

 「プカプカ」「I shall be released」


山口冨士夫

 チューニングからお見せしま〜す

 


町田康

 KYOKO

 


ルイズルイス加部

 ギターソロ

 


ムッシュかまやつ

 

 


盛大なお葬式

 

 


十一月四〜十日 中島らも追悼写真展

 心斎橋アセンス五階

 入ってすぐ右手に記念撮影用のパネル
 左手は覗き穴。中は数枚の写真を使ったパノラマ仕立のらも家書斎。机を挟んでらもさんと奧さんが向かい合っている。らもさんはギターを弾いている。
 その右手にらもさんが所持していた武器類と手錠。更に右には「寝ずの番」「子供の一生」手書き原稿。子供の一生は口述筆記で奧さんが代筆。エッセイで書かれていたように、筆圧が高い。原稿の後ろに鉛筆入れ。執筆に使ったと思われるちびっこい鉛筆が多数。鉛筆と一緒に右手の取れたジャイアント馬場の人形。
 展示品の後ろの壁には追悼ライブの時に展示されていた赤ん坊の頃から最近までの写真を左から右に一本のフィルムのように繋げた絵巻のようなもの。しかし、奧さん可愛いな。
 反対側の壁、記念撮影パネルの裏手には、佐々木芳郎さんが今まで取材で撮影した写真と、その写真が掲載された雑誌のコピー。今思い出せるのは、
 週刊現代で上岡龍太郎と対談、内容は「明るい悩み相談室」。らもさんの髪型がおかっぱで笑える。他に変身ヒーローのパロディっぽい格好をしたらもさんの写真が二点。
 フライデー「PISS結成」
 ???「水に似た感情」酒を飲まずに書いた初めての小説
 ???「明るい悩み相談室」
 ???「さかだち日記」


 

 他は「いろはコピー塾」(どんぶり五六五六か、なげやりクラブで見たことがある)、べかことのツー・ショット (なにわのアホぢから)。
 その左に、佐々木さんの経歴と中島らも以外に撮影した写真の数々がカタログ風に、中島らも略歴、追悼ライブ出演者による寄せ書き。
 そして奧が主題の七月七日中島らもミーツザロッカーズ最終回。追悼写真集「彼の世でアンコール」掲載写真のほとんどが大型パネルになって展示されている。
 左隅に「追悼ライブ」の時に宙吊りにされていたアコースティックギター二本と、生前身に付けていた黒いコート、橙色のマフラー、黒ズボンに赤い靴下、黒い靴二足、そして帽子。
 右隅ではビデオ上映。
「テレビ放映された『追悼写真展』告知」
「お父さんのバックドロップ『予告編』」
「追悼ライブ『潜入撮影』」

「追悼ライブ『潜入撮影』」の内容は、
キッチュによるMC (挨拶、野坂昭如メッセージ、キッチュとらもさんとの出会い、中島らも略歴)
楽屋で、大槻ケンヂ、かまやつひろし、ルイズルイス加部、鮎川誠&シーナへのインタビュー
追悼ライブエンディング「いいんだぜ」

永遠も半ばを過ぎて 〜 あるいは中島らもについて