国際派日本人養成講座【従軍慰安婦】問題(上) |
■一、米軍がレポートする慰安婦の実態■
米軍情報部は、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦からの聞き取りをもとに、以下のような報告書を残している。
慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿泊して、・・・寝起きし、業を営んだ・・・彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。
慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・負債の弁済を終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された[一、二百七十五頁]
将校さんたちに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像をみに行った・・・ヤマダイチロウ(日本兵の恋人)と大邱の母の無事を祈って帰ってきた。[一、二百七十六頁]
「従軍慰安婦」というと、海外では"military sexual slavery (軍用性奴隷)"などと呼ばれるように、日本軍によって郷里から強制連行され、戦地では何の自由もなく、もちろん無給で、ひたすら兵士にもてあそばれた、というイメージが定着している。しかし、この米軍の報告書では、まったく違う実態が報告されている。一体、どちらが真実に近いのか?
■二、慰安婦問題の経緯■
まず慰安婦問題の経緯を時系列的に見渡しておこう。
二、同三年八月十一日、朝日新聞は、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」の一人が名乗り出た、と報道。
三、同四年一月十一日、朝日新聞は、一面トップで「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」と報道。この直後の十六日から訪韓した宮沢首相は首脳会談で八回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束。
四、同五年八月四日、河野官房長官談話、政府調査の結果、「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあった」と発表。
この河野談話によって日本政府は、慰安婦が軍によって強制徴集されたことを公式に認めてしまったことになる。これを契機として、中学高校のほとんどの歴史教科書に、「従軍慰安婦」が記述されることになっていった。
■三、吉田清治の慰安婦狩り■
まず 一、吉田清治の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」では、韓国斉州島での、慰安婦強制連行を次のように、描写している。
「従軍慰安婦」問題とは、本人の意思に反した「強制連行を、軍が組織的に行ったか、どうか」の問題なのである。したがって、吉田の言うような強制連行が事実であったら、これは日本の国家的犯罪となる。
吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定だが、この記事に疑問をもった済州新聞の許栄善記者が現地で調査し、以下のような記事を書いている。
郷土史家の金奉玉は「千九百八十三年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している。
この吉田清治を、朝日新聞は、宮沢首相の訪韓前後一年の間に、四回も紙面に登場させたのだが、秦教授の調査の後は、ぷっつりと起用をやめた。今日では、慰安婦問題の中心的糾弾者である吉見義明中央大教授すら、吉田清治の著作は採用しなくなっている。
次に 二、の自ら名乗り出た慰安婦について。平成三年八月十一日付け朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「日中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が」名乗り出たと報じた。
しかし、この女性、金学順さんは、「女子挺身隊」として連行などされていない事を、八月十四日の記者会見で自ら語っている。ある韓国紙はそれを次のように報じた。[二、二百九十一頁]
そもそも「女子挺身隊」とは、昭和十八年九月に閣議決定されたもので、金学順さんが十七歳であった昭和十四年には存在していない制度である。
さらに「従軍慰安婦」という言葉自体が、当時は存在しなかった。従軍看護婦は、軍属(軍隊の一部)であり、従軍記者、従軍僧は、法令により定められた身分で指定された部隊につく。慰安婦は公娼業者が雇ったもので、それはたとえば、県庁の食堂に給食業者を入れていた場合、その業者の被雇用者は、県の職員ではなく、身分も契約も県とは関係ないのと同じ事だ。「従軍慰安婦」とは、従軍看護婦などとの連想で、あたかも部隊の一部であると読者に思い込ませるための造語である。
金学順さんは、その後、日本国を相手とした訴訟の原告の一人となるが、それを支援しているのが太平洋戦争犠牲者遺族会であり、この記事を書いた朝日の槙村記者は、会の常任理事の娘と結婚している。当然、韓国語も達者であり、金学順さんの話した内容はよく知っていたはずである。
金学順さんが「売られた」という事実を隠し、「女子挺身隊として連行された」というこの記事は槙村記者による、意図的な捏造記事である。その後の訂正記事も出していない。
韓国で慰安婦問題の取組みの中心となっている「挺身隊問題対策協議会」は、元慰安婦として登録された55名のうち、連絡可能な四十余名に聞き取りをした。論理的に話が合うか、など、検証をしつつ、その中から信頼度の高い十九人を選んで、証言集を出版した。
今まで何らかの機会に、強制連行されたと主張しているのは、九人だが、信憑性があるとしてこの証言集に含められたのは、四人のみ。さらにそのうちの二人は富山、釜山と戦地ではない所で慰安婦にされたと主張していて、「従軍慰安婦」ではあり得ない。残る二人が、金学順さんと、冒頭の四〜五千万円相当の貯金をしたという文玉珠さんなのだが、この証言集では、強制連行されたとは述べていない。
結局、韓国側調査で信憑性があるとされた証言のうち、従軍慰安婦として強制連行されたと認められたものは、ひとつもない、というのが実態である。[二、二百七十五頁]
■七、軍の関与とは■
次に宮沢首相の訪韓直前に発表され、公式謝罪に追い込んだ 三、の「慰安所、軍関与示す資料」の朝日新聞記事はどうか。
この内容を「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」とタイトルをつけて、一面トップで報道し、さらに次のような解説を載せた。
この記事が、狙い済ましたように、宮沢首相訪韓のわずか五日前に発表されたことから、絶大な効果を発揮した。ソウル市内では抗議・糾弾のデモ、集会が相次ぎ、日の丸が焼かれる中で、宮沢首相は事実を確認する余裕もなく、八回も盧泰愚大統領に謝罪を繰り返した。(続く)
■ 参考 ■
一、「慰安婦の戦場の性」、秦郁彦、新潮選書、平成十一年六月
二、「闇に挑む!」、西岡力、徳間文庫、平成十年九月
三、「慰安婦強制連行はなかった」、太子堂経慰、展転社、平成十一年二月
四、「歴史教科書への疑問」、日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編、展転社、平成九年十二月二十三日
五、「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」、中嶋慎三郎、祖国と青年、平成八年十二月
六、産経新聞、平成十一年八年二十七日 東京朝刊 四頁 国際二面
昨年、東南アジアを旅行し、バングラデシュのセント・マーティン島という小さな島(ビルマの横に位置します)に宿泊したときのことでした。本当に人懐っこい住人らに囲まれて食事をご馳走してもらい、その後村を紹介してもらい、村長と会話する機会が会った。かなり年をめいた人であった。英語で会話だったので正確な会話を表現できないが彼等はこのように日本を語った。
「日本は良い国だ。我々は日本が好きだ。戦争中にイギリスから我々を解放してくれた。イギリス人は我々を動物のように扱い、こき使ったが、日本人は優しかった。暴力などなにもしなかった。島民は日本の軍人と協力して、平和に過ごしていたんだ」
私は本当に驚いた。彼等が戦争時の日本を肯定してたからだ。ある場所で心無いものがひどいこともしたのは事実であろうが、このように五十年以上過ぎた今でも好意を持ってくれるほど、うまく共存していたのはも事実であろう。彼等島民を日本に連れていって生きた証人として発言してもらい、戦時中の日本を絶対悪のように扱うマスコミの糾弾したいものだ。彼等が発言できる間に日本の誤った歴史認識を変え、日本、アジア、そして地球全体を誇れる国民になれるだろうか。
アジアを旅行し、本当によかったと思う。