はじめに
始めに、この本は、皆さんに大変なショックを与える本であることを申し上げておきます。それは、この本が、皆さんの多くが信じて疑ったことのなかった或「歴史」について、正面から疑問を投げかける本だからです。私は、この本において、その「歴史」を結論として「否定」はしません。ただ、疑問を投げかけるに過ぎません。しかし、その疑問の数々に納得できる答えが得られない現状では、私個人がそれを信じることもできないことは、はっきり言っておかねばなりません。そして、何よりも、その「歴史」についての自由な議論が封じられていることについて強く異議を唱えたいというのが、この本を著す私の意図に他なりません。
では、その自由に議論が行われていない「歴史」とは何かと言うと、「ホロコースト」なのです(ただし、ここで言う「ホロコースト」とは、第二次世界大戦中、ドイツがヨーロッパの全ユダヤ人絶滅を企て、主に「ガス室」という手段で、実際に何百万人ものユダヤ人を殺害したとする「歴史」を指し、ナチスドイツのユダヤ人迫害全般とは区別します)。ナチスドイツが、ユダヤ人を差別迫害したこと自体は明白です。しかし、日本や欧米の「権威」ある歴史家やマスメディアは、それに留まらず、以下の二点を主張、強調しています(本書では、これを「定説」と呼ぶことにしますが、これは便宜的な呼び方です)。
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第二次世界大戦前または大戦中、ドイツは、ユダヤ人を「絶滅」しようと計画した。──「絶滅」である。
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その目的で、ドイツは、アウシュウィッツ他の収容所に処刑用のガス室を作り、その「ガス室」で現実に大量殺人を行った。
即ち、「定説」は、先ず、ドイツは、ユダヤ人をただ殺したのではなく、「絶滅」しようとしたというのです。ここは非常に重要な点なので、よく、ご記憶下さい。皆さんの多くは、「アウシュウィッツ」についてしばしば読んだり聞いたりする機会はありながら、今までこの点にはあまり注意してこられなかったことと思います。しかし、後で論じるように、これは非常に重要な点なのです。ドイツは、あの大戦中、ポーランド人も殺したし、ロシア人も殺した。しかし、「絶滅」の対象とされたのはユダヤ人だけだった、というのが、この主張の意味なのです。この違いは非常に重要です。「定説」側歴史家たちはこの点に固執し、一歩も譲ろうとしませんが、その理由は何なのか? それは本文でゆっくり考えたいと思います。
そして、そのような「ユダヤ人絶滅」の手段として、色々なものが採られたが、特に、「ガス室」が使われたという主張を「定説」側は非常に強調してきました。しかし、本当にそんなもの(処刑用ガス室)が存在したのでしょうか?
こんなことを言うと、皆さんの多くは、「えっ?」と言って驚かれるに違いありません。こうした「歴史」は一点の疑いもない「事実」だと思っている方が、大部分だからです。しかし、これからお話しするように、この「歴史」には重大な疑惑が多々存在するのです。「信じられない」とおっしゃる方が大部分と思いますが、とにかくこの本を手にしたら、どうか最後までお読みになって下さい。私は、歴史の専門家などではなく、一介の内科医に過ぎません。
しかし、この本を読む皆さんは、これから、人生に何度も経験することのない大変な驚きを経験するはずです。「ホロコースト」という言葉とともに語られてきた右の二つの主張──ドイツがユダヤ人を「絶滅」しようとしたという主張、および、その手段としてドイツが「ガス室」で大量殺人を行ったという二つの主張──は、実は、信じがたいまでに多くの不合理と矛盾に満ち満ちているのです。ですから、私は、それらをお話しし、疑問を提出し、「定説」を擁護する人々の回答を待ちたいと思います。そして、それに対する答えが得られない限り、私個人は、先の二つの主張を到底信じることができないことを、ここではっきり言っておきたいと思います。その二点をもう一度くり返しましょう。
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第二次世界大戦前または大戦中、ドイツは、ユダヤ人を「絶滅」しようと計画した。
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その目的で、ドイツは、アウシュウィッツ他の収容所に処刑用のガス室を作り、その「ガス室」で現実に大量殺人を行った。
誤解のないように言っておきますが、ナチスドイツが、ユダヤ人を差別、迫害したこと自体には、一点の疑いの余地もありません。そして、そうした差別政策の一環として、ドイツが大戦中、ユダヤ人を収容所に入れたことも事実です。また、ポーランドやソ連の戦場で、当時多くのユダヤ系非戦闘員がドイツによって殺害されたことなど、「虐殺」と呼ぶべき事件が多々あったことも、細部の検証は必要だと思いますが、私は全く否定などしません。ですから、アウシュウィッツをはじめとする強制収容所の存在や当時のユダヤ人たちの苦難がなかったなどと言っているのではないのです。
当然、私は、当時のドイツのそうした行為を支持するつもりも全くありません。こういう点は決して誤解なさらないで頂きたいと思いますが、こうした誤解をする方が非常に多く、かつ、そうした方がしばしば感情的に反応されるため、真意が伝わらないことが、まま、あります。しかし、どうか冷静に、この後の本文を読んでいただきたいと思います。
もう一度言いますが、ナチスドイツがユダヤ人を差別迫害したことには、一点の疑いの余地もありません。そして、その「迫害」の中には、「虐殺」と呼ぶべき例も、多々含まれています。しかし、今日、多くの「歴史学者」やマスメディアは、それに留まらず、ドイツは「ユダヤ人絶滅」を計画したと主張します。ただ、「虐殺」したというのではないのです。「絶滅」しようとしたと、断言しているのです。そして、皆さんもよくご存じの通り、彼らは、ドイツが、その目的で、「ガス室大量殺人」を行ったと言います。皆さんの多くは、そんな「歴史学者」やマスメディアの主張を全面的に信じておられることと思います。ところが、驚くべきことに、これから述べるように、「ユダヤ人絶滅計画」も「ガス室」も、実は、それらが実在したことを示す客観的証拠は何もないのです。それらは、驚くべきことに、ただ、戦後の「証言」で語られているだけなのです。そのうえ、その「証言」は、不合理に満ち、或いは、相互に食い違っていたりもします。ですから、そんな「ユダヤ人絶滅計画」と「ガス室」の実在には疑問が上がって当然なのです。ところが、本文で述べますが、そうした疑問を語ることが、今日、欧米の多くの国でタブーとされ、法律で禁じられるという状況すら生まれています。これは、ファシズムと呼ぶべきものです。
それなのに、このような言論規制が世界的規模で広がりつつあることを日本のマスコミはきちんと報道しません。また、それを批判もしません。何が真実であれ、歴史に関する自由な討論を国家が規制するというのは、民主主義に対する挑戦であるにも拘わらず、です。そして、本文を読めばご理解頂けると思いますが、現代史に関してこれだけ大きな問題が存在するにも拘わらず、「専門家」を自称する日本の「歴史学者」たちは、それをろくに調べようともしないのです。即ち、この問題は、基本的には歴史の問題ですが、日本では、外国の一部から流される情報が、何ら検証されぬまま、無責任なジャーナリズムや学者によって流布され続けていることの一例ということもできます。
この本は、こうした状況に異議を提出し、歴史の真実が何であったかの議論に迫ろうとする本に他なりません。そして、こうした状況の背後に何があるのかを探ろうとするものに他なりません。
ただし、私は、何が歴史の真実であるかについての最終的な結論は、読者の皆さんの一人一人に委ねることと致します。即ち、はじめに申し上げた通り、私は、この本において、「ガス室」にしろ「ユダヤ人絶滅計画」にしろ、最終的に何も「否定」はしないということです。ですから、私は、ただ不合理を指摘し、疑問を投げかけるだけですが、それは、私が、皆さん一人一人に、この問題を自分の頭で考えて頂きたいからに他なりません。皆さんに自分の頭で考えて頂くという部分が残らなければ、この本を書くことには意味がないとすら思うからです。
一体、「ホロコースト」とは、何だったのか。そして、私たちにとって歴史とは何なのか。この本を読み終わった時、皆さんがこの問いに直面していることを私は確信しています。
一九九七年五月一日
西 岡 昌 紀
読者が語る「ホロコースト」
悪の教典へ還る