Home Search Log Admin
日々之雑感日々之雑感

福祉に関する私の思いなどです。
私が日々かかわっている中で考えていることなどを
わかりやすく書いていきます。


  家庭裁判所ネタ その2
Date: 2008-08-28 (Thu)
下で家庭裁判所ネタを書いたが、今回はその第2段。
私の勤務する施設の利用者についてのことだが、今回は、いや今回も、信じ難いことが起こった。
今回申立てをしたのは、施設の家族会の会長だが、審問の時に家庭裁判所書記官より次のように言われたそうだ。
「お子様の介護保険料の支出について、今後の支出計画に書かれていないようですが、よいのですか?」
実は、家族会会長の子は、まだ30代後半。当然、介護保険料もまだ納める必要はない。…にもかかわらず、この審問にあたった書記官は、介護保険料の支出について、記載を求めたという。
会長は突然予期しないことを言われ、頭の中がまっ白に。いわゆるパニック状態。その場で私に電話を入れてきた。
会長曰く、「書記官から財産目録で今後の支出計画に記載漏れがあるといわれたが、今現在介護保険料はいくら支払っているかわからない。もし、わかるようなら教えて欲しい。」…と。
当然、年齢的に保険料の支払いはしていないので、その場で会長に「まだ保険料を支払う年齢ではないですよ。このことを家庭裁判所に伝えてください。」…と返答した。会長は、「そうだよね、突然言われたからパニックになっちゃったよ」と。
もちろん、きちんと会長は伝えたため、書類の記載不備は無し。
しかし、この書記官。どうも下に書いた書記官と同じらしい。
成年後見について、どうも誤った偏見をもっているのではないかと疑われる。
成年後見制度は、認知症高齢者のための制度じゃないんだよ!
この基本的なとがわかっているのかな?
単に申立ての数をこなすだけになり、本質を見失っていないか?はなはだ疑問だぞ!
この件もこのままにしておくつもりはないので、そのつもりでいなさいね。→家庭裁判所関係者

  あ〜、なんて久しぶりなんだろう
Date: 2008-06-13 (Fri)
ものすごく久しぶりに、更新します。
この数年、コンピュータ数台を自分のデスクに設置して仕事をしてきましたが、その反動でどうしても帰宅してからPCを触ることが億劫になっていました。それで長い間更新作業が滞ったしだいです。(ご心配かけた皆様、生きてますよ!)
ぼちぼちと今後は更新します。
さて、今回はちょっと憤慨したことがありましたので、報告を。
実は昨年4月に異動があって、現在は知的障害者施設に勤務しています。
最近、自分が担当している方の「成年後見開始申立て」に関わる事があったのですが、その中で、どうしても納得できないことがありました。
私が担当している方は、重度の知的障害だけでなく聴覚障害を伴い、なかなかコミュニケーションがとれないことから不安定になり、強度の行動障害を呈する方です。
家族はとてもよい方々で、精一杯面倒を見ておられます。
今回、施設利用を継続することが必要となり、すでに成人になっておられるので、成年後見制度の利用をすることになりました。
たまたま、私は神奈川県社会福祉士会のぱあとなあ神奈川(成年後見・権利擁護事業部)の運営委員長をこの3月までしていたこともあり、本人の障害の程度を考慮して家族と話し合い、成年後見人候補者に、実母と福祉のスペシャリストである社会福祉士の複数後見で申立てをすることにしました。
本人には妹さんがありますが、実母の意向として妹には苦労をさせたくないというものがありました。
申立書には、実母と社会福祉士の複数後見を希望する旨で書いたのですが、実母が申立書を提出しに行き、同時に審問がありましたが、なんとその場で、申立書を見た書記官が、「これじゃ、だめだ!」と言いはなったそうです。
驚いた実母は、理由を尋ねました。すると、「この程度、お母さん、あなた一人でできるでしょ」と言ったそうです。
気の弱い実母は、新たに出された真っさらな申立書に、書記官に言われるまま、自分のみが成年後見人に就任する旨を書き直して、それを受理されたそうです。
私が憤慨するのは、最近、本人の調査に、調査官は施設にはやってこない現状の中で、書類を見た書記官が勝手に。「この程度は家族でできる」と判断し、申立書を書き直させるという行為です。
障害者をめぐる施策は今大きく転換しようとしています。
今後、地域移行が進められる中で、私のケースも施設の異動を余儀なくされることがあると思われます。本人にとっていちばん良い生活のあり方を考えるには、専門家のセカンドオピニオンが不可欠になります。そのために、社会福祉士との複数後見を考えたのです。
今回、本人を全く知らない書記官に勝手に申立て趣旨を変更させられ、なおかつ書類を書き直させたということに対して、私、齋藤は憤慨しています。
知的障害や強度行動障害、自閉症等のスペシャリストである私達が見ても、本人は支援の展開が難しい人です。様々な環境調整、条件整備が必要になる方です。
本人の今後の生活を考えることは、家族だからできるというレベルのものではありません。どうしても、専門的な判断も要求されます。だからこその専門家との複数後見。それを勝手に「家族でできる」と判事でもないのに判断した書記官が現に存在する。
成年後見制度を阻害する要因の一つが、もっとも肝心の家庭裁判所に問題があるとは……。

この件は、ここに書き込むだけで終わるつもりはありません。
きちんとクレームをあげていきます。

  Happy? New Year
Date: 2006-01-02 (Mon)
あけましておめでとうございます。
この1年このホームページをどうしようか悩みながら、放ったらかしにしていた。
いやぁ、この1年もいろいろとあった。
主に職場関係であったのだが、さすがにここに書くわけにはいかないな。
さて、今年はどうなることやら。

とりあえず、インフォメーション。
本年10月1日にパシフィコ横浜で、全国里親大会が開催される。
興味のある方は、ぜひ参加してみてください。開催要項ができたらまた案内を掲載します。

以下、グチ?かな?
しかし、神奈川県里親会、横浜市愛児会、川崎市あゆみの会、(横須賀市里親会)、神奈川県、横浜市、川崎市、横須賀市、全国里親会、厚生労働省などが関係して開催されるのだが、実際の運営が実は大変。
県単位で全国里親大会が開催されるため、通常はひとつの県でひとつの里親会となることが多い。ところが今年は、ひとつの県内に政令市2つ、中核市で児童相談所設置市が1つある。つまり神奈川県を含め4つの里親会と行政、社会福祉協議会etcが関わることになる。この多団体をまとめて事務局体制を作るからである。なかなか足並みがそろわないのは簡単に予想できる。実際……。
仕方がないんだろうが……。
あと9ヶ月、とりあえず成功に向けて全力投球しかない。

……というわけで、このホームページの行方はわからない。
年頭所感にはそぐわないが、偽らざる心境。

  自己決定の尊重 その2
Date: 2005-03-19 (Sat)
先日、ぱあとなあ神奈川(社団法人 神奈川県社会福祉士会 成年後見・権利擁護事業部)のケース・カンファレンスがあった。
会員が知的障害者の補助人に就任している事例についての検討会だったのだが、その中で本人の意思を尊重しながらどのように援助するかが、話題になった。
この事例検討会に出席している会員は、社会福祉に従事している会員がほとんどなのだが、話を聞いていると、どうしてもソーシャル・ワーカーの動きをしようとしていることが、気になった。知的障害者本人の意思ではないところでの援助をしがちなのだ。
事例を提供してくれた会員は、なかなか良い動きをしていて、障害者本人に付かず離れずのちょうどよい距離感を保ちながら、対応している。
しかし、検討会に参加している会員が、自身が補助人になっての動きを想定すると、補助人ではなくてソーシャル・ワーカーになってしまうのである。つまり、「何かをしてあげなくてはならない」や「きちんと生活させなければならない」と考えてしまうようだ。そして、この考えに則って支援することが(援助することが)本人の権利擁護につながっていると思っているようだ。
でも、この考え方はまちがい。
本人の意思を尊重することは、たとえば、本人が堕落して生きようとすることを望んだ場合、これをも認めること。
人には、堕落して生きる権利もある。誰もがきちんと生活しなければならない、ということはない。
ソーシャル・ワーカーとしては奇異に感じることでも、本人の自己決定を尊重すると言うことは、こういう権利もきちんと認めること。
頭では理解できていても、実際は(行動では)認めないことが多い。このギャップをどう考えるか。一人ひとりのソーシャル・ワーカーに問われている。これが頭と行動が一致できるようになると、ようやく本人の自己決定の尊重の「はじめの一歩」につながる。
成年後見人等をしていて自分が変わったところは、こういう考えを取り入れたこと。本来当たりまえのことなのだが、どうも実際はできていないことがほとんど。
さて、福祉従事者であろうがなかろうが、この文章を読んでいるあなた自身は、堕落して生きる権利を認めますか?

  自己決定の尊重
Date: 2005-01-19 (Wed)
この業界で仕事をしていると、自己決定の尊重と言われることや、自分でも言うことが多々あります。
でも、なかなかこれが難しい。
理屈ではわかりやすいのですが、どうにも実感が伴わない場合が多いように感じます。どうしたら、実感を持って考えられるかな?と思っていたのですが、先日職場で同僚と話をしていて、こんな風に考えたら……と思えることがありましたので、紹介したいと思います。
ことの発端は、この下の書き込みの出産についての話からなのですが、予定日を過ぎてもなかなか生まれそうにない……という話をしていたところ、ある同僚が『赤ちゃんが自分で生まれる日を決めてくるので、いつになるかは分かりませんが、陣痛がきたら「生まれたいのね」と喜んでくださいね。』と話していました。
これを聞いたとき、我が子も「そういえばなかなか生まれなかったなぁ」とそのときの様子を思い出していたのですが、同時に、赤ちゃんだって、出産の時からある意味で自己主張し自己選択してると言えるではないか!と、考えるようになりました。
こう考えると、自己決定・自己選択って、誰もが経験している基本じゃないかと。私の中では、どうやって、この理屈を教えるかではなくて、基本に立ち返ることが、一番の早道ではないかと考えるようになりつつあり、何かヒントをもらったような気がします。
自然に、ごく自然に。こう考えるのがよいのかもしれません。
ヒントをくれたすばらしい同僚達に感謝!
お世話になってます!

  久々の書き込み
Date: 2005-01-12 (Wed)
ほぼ5ヶ月ぶりの書き込み。
この数ヶ月は、いろいろなところで成年後見制度の話をする活動と、本業に終始していました。
本業の方は、同僚が出産でちょっとの間職場を離れることになったため、その代理で事業を担当しています。(現在進行形)
代理したのは良いのですが、よくこれだけ平行して業務を進めていたものだと思う!(ちなみにこの職員の福祉センスはすばらしい!と正直に思います。引き継いだのは様々な研修の企画運営なのですが、私自身は四苦八苦している状況にあります)
さて、本日は本業ではないところで感じたことを紹介したいと思います。
昨年度から、地元の障害児の親の会との関係ができ、研修の講師を引き受けていますが、この会の親御さんから、次のような年賀状をいただきました。
*********** ここから ************
(略)
最近若い子達のおめでたがあいついで とてもめでたいです。
兄弟姉妹がいるって いいですものね。
そして私達古株は 仕事に、遊びに、日々忙しくしています。
(略)
*********** ここまで *************
この会の構成メンバーは、若い親御さんが中心です。
お子さんに障害がある方なのですが、とても明るく、すてきな人たちです。
ちょっと前までは、お子さんに障害があると、次の子どもを躊躇される方が多いのが一般的であったと言えます。
私もかつて障害関連の施設に勤務していたときに、よく親御さんから次子の相談を受けたのですが、「兄弟姉妹は大切だと思うよ。是非前向きに考えて。」などと答えていたのですが、なかなか踏ん切れない方も多いのが現状でした。
もちろん、当時と今では、制度や施策はずいぶん違います。
生活のしやすさや、充実した支援が受けられるかは、一概に言えないとは思いますが、家族を増やすということがうれしいですね。
障害児を育てることは、大変です。でも、それだけに囚われてしまうと、大変さしか残りません。兄弟姉妹と一緒に育てることは、もっと大変かもしれません。しかし、兄弟姉妹から受けることのできる楽しさも大きいものです。
それも大切にしていただきたいと思います。
私がうれしかったのは、もう一つ。
>そして私達古株は 仕事に、遊びに、日々忙しくしています。……という部分。
特に、『遊びに』という言葉。すてきです!
障害児の幸せって、家族の幸せの中で初めて意味のあるものとなるんです。
障害児のことだけではなく、家族一人ひとりが楽しく生活ができるということが、とっても大切です。きっと、こういう家庭には笑顔が多いのでしょうね!

最近の私のモットー
「仕事は楽しく!遊びは真剣に! 物事は前向き肯定的に考える!」
まっ、すべては自分の心がけしだいってことですね。

  手帳サーバー復旧!
Date: 2004-08-22 (Sun)
下に書いた手帳発行システムのサーバーは、なんとか復旧した。不具合の原因はOSを入れていたハードディスクに障害が発生したことによることが判明した。結果的にHDDの交換と調整作業で対応したと言うことになるが、下にも書いたが、調整作業がかなり難航した。結局完全復旧したのが木曜日となり、1週間システムダウンしていたことになる。
HDD障害の原因は、経年劣化による可能性と、基本操作ミスによるものの複合と判断した方が良いようだ。
今回は幸いにもOS領域とアプリケーションを入れていたHDDの障害であったが、これがデータ領域(データベース本体)に障害が発生したら……と思うと、ゾッとする。一応アレイシステムを入れているのでミラーリング体制は確保し、なおかつデータのフルバックアップを2週間ごとにしているが、2週間のデータ登録や更新件数は数百件となるため、再入力を考えると時間と労力の無駄は甚だ大きい。

下で基本に返るということを書いた。
今回のHDDの直接不具合のきっかけになったと思われる、人為的な操作ミスについては、正しい操作をすることしか回避方法はない。コンピュータに詳しい者も、そうでない者も原則は変わりない。基本が全てであると言える。
基本を無視して応用しようとする専門家も最近は多い。はたして、それでいいのだろうか?

  職場で…
Date: 2004-08-13 (Fri)
今日、職場で身障手帳・療育手帳の発行・管理をしている基幹システムのサーバーが、突然システムダウンした。
この2か月ぐらいは、だましだまし使ってきた状態なのだが、最近特に安定を欠き、突然フリーズしたりシャットダウンしたりという状況だった。
原因はいくつか考えられる。
この基幹システムはほぼ毎日稼働しており、ハード的に耐用年数が限界に近づいている可能性がある点。
また、この5月以降急に安定性を欠く状況になっていることから、人為的なミスの可能性。

いずれにせよ、システムダウンした時は真っ青。
メーカーサポートと基幹システム開発した業者に連絡をして対応をしたが、極めて深刻な状況にある。
月曜日にハードの交換修理となるが、問題はその後のシステム復旧の方にある。単にOSをインストールすればよいと言う訳ではなく、手帳交付・管理システムに合わせた調整が必要になるからである。
月曜日はシステム・エンジニアに付き合って、徹夜になる可能性が高い。

それにしても、ハードウエア自体の限界は仕方がないと思うが、人為的ミスの可能性も否定できないということが、気になる。基本操作をしていれば、まず壊れることはないはずである。だがそうでない可能性もあると言うことになる。

基本に返る。下に書いたが、その直後の事故。考えることは多い。

  最近……
Date: 2004-08-09 (Mon)
社会福祉に従事するものにとって、対人援助の方法では、そのひとつとしてケースワークという手法を用いる。日本語だと個別援助技術とも言われる。
このケースワークには原則がいくつかあるが、代表的なものにバイスティックという人の原則がある。バイスティックは原則としての次の7つの言葉をあげている。
1.個別化
2.意図的な感情表現
3.統制された情緒関与
4.受容
5.非審判的態度
6.クライエントの自己決定の尊重
7.秘密保持

何が言いたいのかというと。最近私自身がこの基本原則に則って業務を展開しているかどうかが、とみに気になるのである。
現在の業務では、直接対象者とのやりとりはほとんどないのだが、全くないわけではない。この貴重とも言える場面で、自分がきちんと原則に則ったケースワークの手法を使いきれているかどうか?
胸張って「やってる」とは言い切れないことが多いような気がするのである。このような気がする……ということは、やれていないのだろうと、思えてしまう。
どうも「慣れ」という要素がからんでくると、基本原則を忘れてしまうようだ。
今一度、基本に立ち返ることが私には必要だ。
かつて「基本に立ち返って仕事をしよう」と以前の職場の私が所属していたセクションの目標を立てたことがある。この時はセクション自体の目標であったのだが、自分自身の目標でもあったわけだ。
基本・原理・原則……様々な言葉があるが、要は仕事を展開する上で忘れてはならないこと。
「応用は基本の発展系でしかない。基本ができなければ、応用はできない。」当たり前のことだが、当たり前になっていないという事実。全ては基本の応用。基本ができないものには応用はない。……当たり前のことなのだが……。

  里親研究協議会は無事に終了
Date: 2004-07-19 (Mon)
下に書いた第50回関東甲信越静里親研究協議会は無事に終了した。
本大会は終了したが、これから報告書の作成や次回開催権への引き継ぎなどが残っている。今しばらくはこれらの仕事に時間を費やすことになる。
これはこれで結構大変な作業になりそうである。
下にも書いたが、今回の大会では里親だけでなく、子どもにも焦点を当てプログラムを組んだことが一番の特徴になる。今までの研究協議会自体も、里親だけでなく行政や制度に興味を持つ人の参加することができたが、どうしても里親側からの視点での内容になっていた。当事者を考えると、里親だけではなく、もう一方の当事者である子どものことも含めて考える必要がある。しかし残念ながら、この視点が今まで採られていなかった。だからこそこの視点を採ることに意義があったことになる。
児童の福祉制度を考える時、意外に児童本人に意向を確認することが抜ける時がある。児童本人が意向を表明する機会が、案外ないのである。子ども=未成年であり保護されて当り前という観点もあるが、保護することと子どもの意向を確かめることとは別次元のものである。よく『子どもは一個の人格を持った存在である』と言われる。ならば、もっと子どもの言葉に耳を傾けても良いのではないだろうか。
自戒の念を含めて、記しておく。

- Sun Board -