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−それはシンシンと冷たい夜だった−
コーヒーは挽き立ての匂いがいい。私はコーヒーその物よりも、この匂いが好きだ。や
っぱり、女だからかな?、苦いものより、甘いものの方がいい。
でも、この挽き立ての匂いは好きだ。オフィスとかで働いている人にとっては、タバコ
とコーヒーの匂いが混じってそれはそれは苦痛の様な匂いを構成する所もあるだろう。で
も、こんな感じに、コーヒーは良い匂いを出す。甘い、そして少し強い”大人の飲物”を
感じさせる。
私はこの匂いを再現したくて、結局喫茶店まで始めてしまった。行動派な女に男は・・
・・・・ハァ、ま、タメ息だよね?。
ここに来る人は美味しそうにコーヒーを啜る。
「こんなコーヒーは始めてだよ、どこの豆?」
と聞いてくる人もいるが、私自身豆には無頓着なのだ。高かろう安かろうは余り関係がな
い。ようは、挽き立てのあの匂いさえ私が気に入ればいいのだ。だからブランドにもこだ
わらない、時期により、豆が変わるのは多分、それが”旬”なのだろう。
でも、あの時に感じた匂いはまだ出せないでいる。経験の浅さか、私があの時を美化し
ているのか、理由は幾つも上がるが、あの時の匂いは出せないでいる。
−あのとき、それは、シンシンと冷たい夜だった−
それは一方的な私の恋だった。まだまだ青二才だったんだと思う。全てが私主導で、い
つも自分の行動に対して自己嫌悪に陥っては、それをなおそうともしなかった。いや、な
おそうと努力はしていたけれど、どこか冷静になれずにいた。
冷めた自分が私を見ていて、忠告づいている感じの時もあったのだが、好きなった彼し
か見ていない私に、冷めた自分の言葉なんて聞いてるはずもない。いや、聞いていたかも
しれない。
「今度は大丈夫」
と呪文の様に呟きながら、そう私は根拠無く呟きながら前を見ていた。
泣くのは何時も自分だった。周りが見えなくて、自分のした事に自己嫌悪して、で、泣
いた。
どんな時期でも焦っていた。なんでかはわからない。でも、何かに焦っていたみたいだ。
こんな経験は誰にでもあるんだと思う。それを何回経験するか?その回数が多ければ多
い程子供なのかもしれない。それを感じる間は本当の恋や愛を感じる事はできないのかも
しれない。
東京の生活にもなれてきて、その街に何らかの安堵感を感じるようになっていく日々。
家族や友人に何かを自慢したいようなそんな日々に私は彼に会った。
彼はかっこよく見えて甘えた感じもまた”いいな”って感じさせる人だった。付き合お
うとかそんな約束ごと無しになんとなく・・・といった雰囲気で付き合い始めた。
そう、約束ごとが要らない関係だった。
でも、約束事を要らない関係は”見えない束縛”を産み知らない内に自分達で苦しめる
結果になった。
見えない自分、感じる事の無い気持ち、理解しえない心と身体・・・
付き合う義務がこんなに苦しいモノになるとは思ってもみなかった。でも、それはそれ
で幸せだった。そう感じる事のできる自分を好きになれそうだった。
でも、別れというものはいつも突然だ。
「もう、やめようか」
公園の並木道、葉も落ち始めた寂しさが増していく並木道の中で、よりいっそう寒い風
が吹いた。
「なんで?」
「・・・・」
「・・好きな人が・・・できたとか?」
「・・・・」
「あの時、断ったから?」
「・・・・」
「でも、今はそれでも良いって言って・・・」
「ヤなんだ・・・やっぱり」
「・・・・」
「ゴメンネ」
「・・・謝らないでよ」
気が付けばその人を思いきりひっぱたいて見おろしていた。
周りから見れば”強い女”かもしれない。でも、強いんじゃない私は弱虫だ。泣くより
辛い。辛すぎて泣けない・・・涙が出ない・・・。
こんな私でも、お腹が空けば御飯を食べる。トイレにも行くし布団にはいる。
そんな事を考えながらさまよっていた、こういった時周りの幸せそうな声はとても耳障
りだ、走り出したい。でも走り出すのは余計に自分が惨めに見えて足が前に進まない。
・・・死にたい。
自分の事を知らない街の中で静かに死にたい。それが彼へのささやかな抵抗・・・。
そんな考えが急におかしく思えて、自分が狂ってるんじゃないかと思われるくらいおか
しかった。
周りを見てみると、本当に知らない街にきていた。
覚えの無い坂、私の知っている大学の通りよりもオシャレな町並み、四月になったらき
っと綺麗に咲き乱れるだろう桜の並木道。
まるで、小さい頃にみた幸せな感じの夢のデジャブを体験しているような温かみに包ま
れているようだった。
その中に一軒、くすんだ焦げ茶色に包まれた喫茶店。出窓に置かれているスヌーピーも
茶色く煤けている。煤けているけど、それだけで気持ちが暖かくなるような温もりに満ち
溢れていた。表情なんかも、お客にいじられたのか目尻がかすれて少し垂れ目になってい
る。・・・かわいい。
「どうです?、外は寒い、中に入っては?」
煤けたスヌーピーと会話しているときに、一人の老人が声を掛けてきた。ここのマスタ
ーのようだ、結構な歳だろうけれども、ピシッっとした姿勢にパリっとしたYシャツとズ
ボン。そして、チェックの蝶ネクタイ。
ちょっとはげ上がっている感じだけど、その人は優しい笑みを浮かべて
「甘いモノは好きですか?」
と聞いてきた・・・・。
落ち着いた雰囲気に、優しい感じのジャズ、全てが夢のような感じのお店だった。嫌い
だったコーヒーの匂いが気持ち良く感じる・・・。
「コーヒーは飲めますか?」
「あ、いえ、その・・・」
「コーヒー以外だと・・・」
「あっ、コーヒーで・・・・いいです。」
大人になると”酒を飲みたくなる時”というのがあるらしいけど、私は生憎お酒が飲め
ない。だから、私にとってのお酒の代わりは・・・コーヒー。
「はい、コーヒーはもうちょっと待っててね」
出されたケーキはカスタードがたっぷり入った甘いケーキだった。コーヒーと一緒に合
わせるにはいい組み合わせだろう。でも私きっとコーヒーに砂糖いっぱい入れちゃうんだ
ろうなぁ・・・・うにぃ〜。
口の中に甘さが広がって何か飲みたいと思ったタイミングでコーヒーがはいってきた。
−それは、牛乳がたっぷり入ったミルクコーヒーだった。
「これは?」
「コーヒーが苦手な人でも飲める魔法のコーヒーです。」
「魔法のコーヒー?」
「そうです、このコーヒーには三つの魔法が入っています。」
「三つ?」
そういうと、腰に手を当てて、まるでお兄さんが妹に偉そうな事を教えるような感じで、
子供っぽく、可愛く見えた。
「一つ、コーヒーが飲めるようになります。」
「二つ、心と身体があったかくなります。」
「三つ、嫌な事が綺麗な思い出に変わります。」
・・・マスター
「さ、雪が降り始めてきましたね、積もる話でもしましょうか?」
お茶を飲む事、別れた話をする事、楽しい話、辛い話。それに合わせてマスターは自分
の話をしてくれ、泣いてくれ、おどけてみせた。
雪のように積もっていた嫌な気持ちや泣きたい感情は、まるで暖炉の温もりのように、
じんわり溶けて私の中から、ぬけていった・・・。
とてもいいお茶だった。
”雪の降る日に積もる話でも”その言葉が私の気持ちを楽にしていった。
・・・・それは、シンシンと冷たい夜だった。
コーヒーは挽き立ての匂いがいい。私はコーヒーその物よりも、この匂いが好きだ。や
っぱり、女だからかな?、苦いものより、甘いものの方がいい。
でも、この挽き立ての匂いは好きだ。オフィスとかで働いている人にとっては、タバコ
とコーヒーの匂いが混じってそれはそれは苦痛の様な匂いを構成する所もあるだろう。で
も、こんな感じに、コーヒーは良い匂いを出す。甘い、そして少し強い”大人の飲物”を
感じさせる。
私はこの匂いを再現したくて、喫茶店を始た。あの時の味を出すために、でも、あの時
の味が出せないのは、多分今の自分には必要な味ではないのかもしれない。だからきっと、
同じ味なんだろうけれども私は感じる事ができないのかもしれない。
外では雪が降り始めた、粒も大きい。きっと積もるだろう。
雪に驚いてこのお店に駆け込んでくるお客もいる。
「ホット2つ」
彼女連れの彼氏はそう行って窓側のテーブルについた。
その奥のガラス一枚隔てた外には、あの頃の私があの時と同じように煤けたスヌーピー
を見ていた。あのおじいさんから譲り受けた煤けたスヌーピーをその子は見ていた。
「どう?、外は寒いでしょ?中に入りなよ」
私はその子に声をかけた。
「え?、でも・・・」
泣きすぎて目の腫れた女の子は涙を拭きながら返事をした。
「でもって言ってもここは寒いでしょ?」
私は彼女の冷たい手を握りお店へと導いた。
「このお店にはね、あなたみたいな子が元気になれる魔法のコーヒーがあるの」
「魔法のコーヒー?」
「そ、雪も降ってきてるし私と積もる話でもしようか?」
私は、あのおじいさんのお店を引き継いだ。
勿論、魔法のコーヒーを扱っている。
三つの願いはそのままに。
優しいジャズもそのままに・・・。
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