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看護婦の椎名の呼び出しで、急いで私が向かった時には既に遅かった。
彼女、、、皆月は患者側のイスに腰を掛け、椎名と一緒に電話帳をのぞいていた。椎名
は震える手で電話帳をめくり、皆月は楽しそうに電話帳に記載されている人の名前を一人
一人、何かを確かめるように読み上げていった。
「さとうさん、、さとうさん、あ、ここもさとうさん、、さとうさんだけで、せかいは、
あふれかえっちゃうかもしれないね、ね、ね。そうおもうよね、かんごふさん。」
「ええ、そうね、、、佐藤さんがいっぱい、、、、」
椎名の声はいつしか嗚咽に変わっていた。
「椎名君?」
ふと、我に返り私の方を向いた。一瞬安堵の表情になったが、決して助かったという表
情ではなかった。
「状況は?」
「あ、、はい、2時間前にうわごとを言うようになって、、」
「うわごと?」
「はい、、佐々木さんと言う方と話をしているような感じで、、」
「佐々木さん?」
「以前患者さんだったかたです、今はもう、、亡くなられています。」
「記憶野に何かあったのかな、、」
「わかりません、、、」
そういうと、椎名は俯くばかりだった。
私は椎名をナースセンターで休むように指示し、この場を私と皆月だけにさせた。皆月
の表情は、明らかに精神崩壊を起こした患者と同じパターンだった。このタイプの崩壊は、
一気にある程度の幼児にまで精神を戻してしまう。人の幼児期にその子の弟妹が産まれる
ときにおきる「赤ちゃん戻り」に近いもので、この崩壊を起こしてしまった患者が、元に
戻る見込みは、まず無い。
−つまり、私の勝ちになるのだ。
「君の脳のデータは実にいい。特に他の人より肥大している大脳新皮質。そこに何がある
のか興味深かった。それに君は噂によると、どこか不思議な力を持っていると言われてるそ
うじゃないか、、いいね、、実にいい。いい資料になるよ。」
「さとう、さとう、、、、」
「ほら、もう電話帳をみるのもいいだろう、、ここだとアレだ、私の科に移ろう」
「この電話帳には、さがえという名字はありませんよ」
というと皆月は私の顔を掴み、目見た。いや、見られたのだろうか、、、部屋は明るいの
に、瞳孔が開いている皆月の目は明らかに私の攻撃が身体的負担に押しかかってるのは明か
だった、しかし、、、しかし、、、何かが溶けてくるような感じだった。
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気が付くと寒河江先生の耳と鼻から白い泥のような物が流れてきた。私を見て、喜びに満
ちたその顔は、自分の脳が流れ出しているのも分からずただただ喜んでいるように見えた。
何が原因で私が助かったのかも、何が引き金になって、寒河江先生にこんな攻撃を行えた
のかも分からない。しかしこれは勝ったのだろうか?、
「こんな無意味なこと、、、」
ただ一人の研究者の、、、医者のエゴによる犠牲者を考えるとやりきれなくなった。
そして私も、これによって記憶の大半を失ってしまった。妙にスッキリした頭の中が異常
な程に空虚で、悲しくて、ただただ痛いだけだった。
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「ダメだって、、、」
そういうと椎名は、私から離れようとした。
「まだ、大丈夫だって」
椎名の唇は柔らかい、この唇は女の私ですら魅了してしまう。。
「舌いれないで」
「聞こえない」
んっ、、と息を詰まらせて、椎名は離れた。
「今夜、、、ね。」
「…ねぇ、」
「なに……?」
「今度、子供作ろうか?」
「なに言ってるの、作れるわけないよ」
「作れるさ」
「もぉ、……患者呼びますよ」
−終わり−
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