現在:本ホームページをスタートさせたので、イヤが上でも再開せねばならない。再開できなかった主な原因としてはいくつかあるが、今となってはただの愚痴なので、語るまい。聞いてもらえる人がいて愚痴は成立するので、このような場では無意味だろう。と言うことで、取りあえずここでは、現時点に至までの経緯を語ることから始める。 *愚痴は語るまいと言ったが、結局これは愚痴以外の何者でもない事を合わせて断っておく。 *この項は、一番最後から読むことをおすすめします。 1995年−−−その弐 21歳、「今あるネタは使わず他のネタでしかも、僕自身が構築しようと思った構成もできれば外し新しいスタイルの物を書いてみる」などと自分の中で言い聞かせつつも、まるでオブラートに包むように「ベーシックライン」は変えずにお芝居用の脚本「エラトルラ」はスタートした。どのジャンルにおいても、自分の中での処女に当たる作品には、それ以降を示すなにかが十二分に含まれていることは、何かを作ったり書いたりする人には理解できると思う。僕自身が「エラトルラ」に込めてしまったのは「お芝居の崩壊」と「虚構って楽しいのか?」だった。マンガや映像の与える虚構は、それそのものが”嘘”だということが前提になっている、マンガであれば絵だったりするわけだが、お芝居における”絵”が生身の人間であり、そのライブ感覚において虚構のお話をする事に非常に違和感を感じたのだ。「って、それが芝居だろ?」といわれればそれまでなのだが、そんなお芝居において、最初に思いついたのが「バーチャルリアリティのお芝居」だった。 多分一度は誰しも考えるネタだろうと思う、ようはかのオーソン・ウェルズがラジオドラマでやった、ニュース放送である。アレは「火星人が襲来しました…」といった作中のニュース報道をあたかも本当のニュースの用に流した演出上の悪ふざけのようなモノだが、それによりアメリカがパニックになるという事態が起きた(これ以降、ドラマ等のラストに「この作品はフィクションであり……」が入ることになる)。 ここで思いついたアイデアは、脚本を各時点で没扱いになる、理由としては仮にパニックになったときの処理はどうするかという事と、それが成功してしまった場合。アンケートが採れないという現実的な問題だった。ネタとしては役者魂を掻き立てたようだが、結果的にはそれを踏襲しつつ全く別の物語を思いつくことになった。それが「エラトルラ」。この作品は、このサークルの方向性を決めてしまう。 1995年−−−その壱 21歳、大学二年、大学そのもののシステムにも慣れて友達も増えた頃。この物語を作るに当たり、支障をきたす出来事がある。それは”サークルへの参加”友人が立ち上げた演劇サークルに於いてオリジナルの脚本で公演したいということになり、「いい奴が居る」という感じで僕が呼ばれたわけだ。お芝居そのものに関しては(今をもってしても)全く無知に近いとしかいいようがないが、当時の僕は友達のいう「一本だけ」というお願いと、自分の書いた脚本で演じられる物語に誘惑を感じOKといってしまう。これが今の僕の状況の一端を引きずってしまう結果となるのだが、ここで得られたものが多いのもまた事実。人生不思議である。ただ、ここで一つの誤算があったのだ、一応自分の中のタイムスケジュールになった、この物語の制作完成が大幅に遅れることになるのと、参加することによって、この物語用に用意していたネタの類は使うことを僕自身が許さない為、急遽この物語を踏みつつ”全く異となるもの”を考えなくてはならないという問題が起きてきた・・・続く・・・。 1993年−−−19歳。この時点で既に「forget me not」の本タイトルが決まる。この時以降1999年の現在に至るまでタイトルの変更は行われていない。元々、20年事に一作という愚かきわまりない構成と本人のおきまりパターンを入れていくのだから、何か変化の欲しいとこでもあるが、変化が無いのが俺のいいところ(笑) 因みに、浪人中・・・・。 1991年−−−17歳。半裁の紙にこの話の大まかなラフ案を幾つも描きためる。話の流れなどはなく、作りたい画のカットやシーン、そして台詞が、流れなくただの羅列として幾つも組み合わされていくような感じだ。僕が話を作る上での基本的なスタイルが、この時期にほぼできてゆく。作りたいシーンとシーンをどう繋ぐか、一見全く関係のないシーンをどうやって物語として盛り込んでいくか、そして、そこからどういったエンディングが導けるか?等、およそこじつけに等しい制作方法はここで確立していく。「みんなそうじゃないのかな?」いや違うと思うぞ。 この時別件の作品で行った多摩川は、この作品でも重要な舞台になる一回のロケハンで二度美味しい・・・、決して手抜きではない。 1989年−−−当時15歳。この時思っていたのは、「自分のベーシックラインを構築するための物語」所謂パターン化だった。この時に見ていたものとして「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」や「AKIRA」「劇場版パトレイバー(1)」等があげられる。この時期に思ったのは、自分独自の話の構成を持って、それで勝負すると言うこと、どんなに複雑化した話でも、ほぐしてみれば、皆同じ構成なんだという、今考えると非常につまらない事を考えていた。それが、いつのまにか20年おきに一作などという壮大な(謎)話になっていく。 この時点で、「SF」や「ファンタジー」は何でもできる都合のいいジャンルと理解していたので、その中間(?)を行くとか訳の分からないこと思案していた時期でもある。 この時に構成は、結局実際の脚本・コンテに流れても大きく変更されることはなかった。 |