エヴァンゲリオン総括
 エヴァンゲリオンは完結した。
 しかし、主人公であるハズの碇シンジは結局何もしなかった。第弐拾五話「Air」で全てシンジの為だけに用意されていた準備は全て第弐拾六話で帳消しにされてしまった。ミサトがシンジに問いかけた「何の為にエヴァに乗るのか、それにケリをつけるために、もう一度乗りなさい」・・・・が、このケリはつかなかった。この台詞によってうまれるであろう凄惨だが、カタルシスとなりえるストーリーはこなかった。え?何を言いたいのかって?
 僕は、カヲルのダミープラグ対初号機、つまり、弐拾四話の繰り返しでしかない、この状況下でシンジがエヴァと自分に何を見いだすのかを観たかった、しかし彼はその全てのお膳立てを全く無にし、主人公たる”最後の見せ場”を失う。そして、勝手に覚醒し、強引に槍が戻り、人類の補完を始めてしまうという「結局シンジ何もしてないじゃん」の一言で納まってしまう結果が気になるのだ。微妙な心理描写で観る物にいろんな解釈を与えていたシリーズ前半のノリは何処へいっちゃったんだろう。前半あれだけ言葉で表現せずに巧みな演出で行っていったものを、結局後半主人公が語るという形で集束させてしまった。弐拾六話で一番不服だったのはそこ。実写映像の部分もイケてない(というか「これは使えないでしょう」なシーンが多い)
 終わり方その物には文句はない。監督の宮村”アスカ”優子が好きだ!の気持ちはわかるし、あれはもう監督本人の願望の世界そのものだ。
 せめて、量産型と戦って、そこにカヲルを見いだし、精神的に来て、その上で・・・と繋げた方が良かった気がする、シンジは好きかもしれない女の子の為に戦おうとして、その戦った相手が自分を好きだと言ってくれた子で、ってね。公開期間延ばして結局アレかいなんて思っている人もいるのだが(この間二回目観に行った時、客の反応がすさまじかった。「金返せだよ、コレ」っていうのには参ったけど《SFで終わってる分はOKだろうって思ってるから僕は》)、いずれにせよあれで確実にエヴァは終わった。

でも、それで次回作が「ラブ&ポップ(原作 村上龍)」って露骨すぎるんじゃ・・・と思うのは僕だけでしょうか?
今の僕の心配はこれにより、冬コミで、「私の弐拾六話」が乱発するのではないか?という事。するだろうなぁ多分。
 とここまで書いた後でもう一度言っておきます。この文面は「エヴァの弐拾五&弐拾六はあれでOKです。」という所から書いた文章です。その上での総括です。

どっちにしろこれで、「蒼きウル」がやっと動くわけだよね?。楽しみだなぁ。

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