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フロイトが微笑むとき
僕の目指したエンターテイメントの方向性



 仮にも「エラトルラ」をサークルの初のオリジナルとして公演してしまった責任をそれなりに感じた僕は、次作はもっとエンターティナーに徹した僕ライクな(←これが間違いとも言う)物を公演しようと目論見、勢いで書き上げた脚本がこれ、二作目ということもあって演劇としての(表現の)方法論を巧みに持ち込み一級の娯楽作品となっていたハズの本作は公演されることはなかったのです。何故なら、そっちに方向に進むあまり、現在の演劇の必須の要素である”笑い”を除外してしまっている為に、それだけの理由で公演されませんでした。しかし、この時の事と、「エラトルラ」制作時の思いが志村の中での「演劇とは?」という問題を築く上での底辺になった事は確実です。

フロイト〜について
 結局現在に至るも公演されていない本作ですが、「エラトルラ」同様この脚本が「エヴァ以前」であることに注目して欲しい気も親心としてあったりします。これ以降、演劇上効果的な表現などにちょっとでも「エヴァ」っぽいのがあると「エヴァに影響されているでしょ?」とか言われたりして腹立たしいったらありゃしない(笑)。名前の由来は特に無く、一応自分の持っている「名前リスト」から使用しただけです。
月の涙」として小説版が公開中