あさはかな評論
現在以下を公開中
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志村がここ何年か映画館で観ている映画リスト
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ターンエーの運ぶ風
人の犬の関係を
赤ずきんちゃんの物語
式日
デジタルデスクトップムービー?
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ターンエーの運ぶ風
結局「ターンAガンダム」は実に現実的な物語だった事が判明した。かつてガンダムで戦争の中の群像を描いていたが、名作アニメもしくは、おとぎ話のソレにならったかのような本作は、宇宙世紀に始まる全てのガンダムを文字通り肯定し、ターンAによって一度全て埋没させたという衝撃の事実。そして、埋められた過去の歴史は「黒歴史」と呼ばれ人類の過去を記していた(注:劇中に「せいれき」と言っているのは、「正歴」であって「西暦」ではない)。その記録が宇宙を駆けめぐったときに、話を持っていくべきキャラクターが己の考えを吐露し始めるのは圧巻だった、一人はこの記録を教訓に平和を推進しようとし、一人はかつて武勲を讃えられた素晴らしい時代があり、それに進むべきだと主張し、一人は未開の技術で工業を興すべきだと暗躍する。 それぞれの歴史の認識は実際怖い。どれが正しいのかは於いたとして、今の日本の歴史の再認識が 考えられている事も踏まえると、監督である富野氏の確信犯的な何かを感じずにはいられない。かつ てアニメに「リアル」を持ち込んだ監督が、ターンAに於いてまた何かを起こそうとしている。それは、最終回を見るまでは分からないが、ガンダムのデザインが衝撃的で、しかもあのデザインは、今となってはZや、ZZなんかよりも明確に(言い換えれば最初のガンダム以来の)過去のガンダムと判別可能なデザインでかつ新鮮でいて素晴らしい。あのデザインがなければ事実盛り上がらなかっただろうし、話題にもならなかっただろう。その点も踏まえて言う、ターンAガンダムは傑作になる。見ていてドキドキしたのは久しぶりだ!(あのゆったりとしたストーリーテンポのおかげで次の展開が見えないのがまた、いい:笑)。
かつて我々がリアルと感じていた物語の上に存在したおとぎ話。それがそろそろエンディングを向かえる。
関連:
ガンダムチャンネル
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人の犬の関係を
押井監督のライフワークとされるシリーズに「犬狼伝説」というものがある。これは所謂疑似日本史のシリーズとしても捉えられるが、歴史的な敗戦から、復興を目指した日本の別な方向性を描いたシリーズになっている。元々は声優、千葉繁のプロモーションビデオの話が映画になってしまったという経緯から生まれたというものであるが、押井監督の持つ「犬の物語」が非常に色濃く出ている作品になっている。映画として先に制作されているのが、「紅い眼鏡」と「Stray Dog(「ケルベロス −地獄の番犬−」の事である)」どちらも実写映画で、低予算でありながら、一筋縄ではいかない映画作りになっている。特に後者の「Stray Dog」は、主人公が上司を捜し当てるまでの前半部分は非常にできがよく。あそこまで叙情的な日本映画を見つけるのも難しいだろう。
さて、その最新作にあたる「人狼」は、このシリーズの話の流れから行けば、最も古い話にあたる。通常映画のスタイルとしては、続編の場合その前の作品に対して続きを作るのだが、このシリーズは違い、前の作品よりも時間軸としては前の物語を構成する。「紅い眼鏡」は主人公たる紅一が日本に戻ってきたところから始まり、「Stray Dog」ではその紅一が逃亡中の話という具合である。この物語に関してはそのキーになるものとして「ケルベロス騒乱」という事件があるのだが、「人狼」は、その事件を描いたものではなく、その前の話の様である(騒乱事件に関しては、コミック版で知ることができる)。
予告編を見た限りだと、セルアニメーションの限界まで挑戦しているのがよく分かる。実写でやればいいという声もあるが既に昭和30年代の日本は、ファンタジーの世界の領域のような気がしてならない(それは予告編からでも伝わってくる)。制作にあたっているプロダクションIGは、デジタルアニメーションの分野でも評価の高い会社である。そこがあえてデジタルを排除し、セルアニメーションだけにこだわって制作したのかは、映画を見れば一目瞭然だろう。今、日本のアニメーションというものを感じるには最高の一本であると断言する。
関連:
プロダクションIG
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赤ずきんちゃんの物語
前回このコーナーで話した「人狼」を鑑賞してきた。この物語は非常に詩的で重い話だった。ベースとなっている「赤ずきんちゃん」の物語は、今のようにマイルドになっているものではなく。オリジナルにほぼ近い救えない話を使用している。まず、この映画を原作者である押井守が監督していたら、どんな話になっていただろうかと想像すると非常に恐ろしくなる。何故ならこれだけの物語を更に淡々と描くだろうと予想されるからだ。監督として抜擢された沖浦氏により、非常にウイットな印象を感じる画面構成に、男と女といった艶っぽい印象を受けるが、基本的には非常に政治的な話であり、その意味でも映画として非常に重い。それを丁寧に、かつしっかりとした構成に於いて一つの「映画」として構築しているあたりは、さすがである。こういう映画があるにも関わらず世の中って…、もっと映画見ましょうよ皆さん。
この映画は、こっちに遊びに来ていた友人と鑑賞した。本人曰く「久しぶりに満腹な映画」といった。それは納得。赤ずきんちゃんの話は、救えない。結局オオカミに食べられて終わる。「人狼」は、生半可なハッピーエンドは用意していない。終わり方は映画というよりは、「現実」という表現が合う形で終わる。主人公である伏(ふせ)があの後どうするのかは分からないが、そういった想像なんかよりも遙かに、ラストシーンでの、あの静かな衝撃は、その後入る溝口肇の曲と相まって素晴らしい印象を残してくれる。
映画だなぁ、とつくづく思った。
関連:
プロダクションIG
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式日
「新世紀エヴァンゲリオン」の監督庵野秀明と、「スワロウテイル」の監督岩井俊二が手を組んだ映画がある。それが「式日」監督をしたのは庵野秀明、岩井俊二はこの映画に出演している。監督が、映画に役者として出るのはそんなに珍しいことではない。「鉄男」で知られる塚本晋也や「ベルリン」の利重剛等、映画やTVに役者として出ている面々は多く存在する。しかし、岩井俊二の場合、ある意味例外かもしれない。これが、スクリーンデビューになるからだ。
「式日」の原作は藤谷文子の「逃避夢」藤谷は、スティーブン・セガールの娘で、本来は女優である。「平成ガメラシリーズ」では意志の強い女の子を演じている。原作者である本人もこの映画に主演として登場している。本作がどのような作品なのか気になるところだが、この作品、劇場での上映は、行われない。東京都写真美術館でのみの上映である。
東京都写真美術館でこういった映画を上映するのは珍しい試みで、映画と言うものを美術館で伝えていくという点においても、面白い。
映画自身のできにも興味はあるが岩井俊二の演技にも興味は尽きない。さぁ、美術館に足を運んでみよう。
関連:
ガイナックス
円都通信
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デジタルデスクトップムービー?
押井守監督の新作「アヴァロン」がいよいよ姿を現した。この作品は、バンダイの「デジタルエンジン構想」の中でもっとも予算の組まれた「G・R・M(監督も押井守)」の中断に際し、そこで培われた技術を元に、制作が進められていた。撮影の全てをポーランドで行い、戦闘のシーンに関しては、ポーランド軍の全面協力のもと行われた。
実写作品において、押井守の演出方法に関しては、”アニメ的”もしくは”舞台に惹かれた映像作り”が行われていた。アニメ的とは、映画に主軸たる役者が出始めると途端にアニメっぽい動き(この場合は、ギャグにおいての)を行ってしまいそれまで築いて来た物を一度リセットしてしまう、という事を指し、”舞台に惹かれた映像作り”とは、書き上げた脚本を舞台となる場所着くと、その風景に惹かれてしまい脚本を無視して撮影してしまうと言う点にある、無論後者は、良くある話ではあるけれども、押井の場合は、ハードボイルドアクションを、甘いセンチメンタルな映画に変えてしまう。そんな押井が実写において、その二点を出すこともなく(?)一本の映画を作れたことはある意味奇跡に等しいかもしれない、が、それは逆にポーランドの風景や、役者(全て現地調達)が、「アヴァロン」のイメージに近かった事を意味する。
映画は、SFミステリーといった様相を呈している、しかもSFのネタとしても古典的なもの”ネット上の仮想戦争”の話だ。しかし、めざましテレビ等で紹介された映像を見る限りでは、非常に幻想的で、一種の悪夢感を感じるような見事な映像表現になっている、これはかなり期待できる。しかも、ポーランドで撮影した映像を、全てデジタル化して映画を一から構築している点も珍しい、この点においては、アニメと同じ作りなのだ。
来年の年明けから公開される「アヴァロン」個人的にも非常に楽しみな映画の一つなのだ。
関連:
アヴァロン
押井守
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