あさはかな評論

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一人一人の権利
僕の嫌いな言葉
”ふれあいマンガ”って知ってますか?
僕の宗教論
差別論1

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一人一人の権利
 うろ覚え的で正しくないかも知れませんが、その時は、『こいつはこうゆう印象だったんだ』と解釈して下さい。
 小学生の頃、しかも高学年、社会の教科書は歴史と政治。日本史は、”荘園”と云う単語も出てこないとても簡略化されたもの、戦国時代の話になってもちっとも面白くなかったのを覚えている。でも、問題は歴史じゃない。
 問題は政治の方、20にならなきゃ貰えない選挙権。その一人一票はどこか公正な何かを感じていた。少なくとも『数の暴力だ』なんて抜かすひねくれたガキじゃなかった。そんな中、教科書で読んでいて『国民投票』に興味が湧いた。国民一人一人に投票権が与えられていて、国の大事な決め事では、これで決める事になっている。って書いてあった。これを読んで嬉しかったのを覚えている。日本人全員が直接投票によって決める。ある種の民主主義の究極の形がここにあると思った。しかし、国民投票は未だかつて一度も使われていない。何でだろうね。だっておかしいと思わない?有権者の過半数が選挙に参加していないのにさ、その40何パーセントの人間が選んだ議員が国会であーだこーだ、あなた達は日本の大半の人が投票してないんだから、偉そうに決断する権利は無い。大事な決め事は全部国民投票にして下さい。そこでの決断がもし間違いなら、素直に破滅でも何でも負の道に行けばいい。それは仕方がないもん。でも、高学歴を傘にして国会入りしてて、決め事になったら”牛歩”とかいって実行するなんてのは、小学生の学級会よりはるかにレベル低いんじゃないでしょうか?僕はそう思う。政治学者になる気はないから、『打開策はこれだ!!』みたいな知恵はもってないけど、国会中継ってハッキリ言って、みててムカツク!TV朝日の「朝まで生テレビ」と同じくらい見ててムカツク(笑)ま、「朝までー」は結局番組内で多少の答でも導ければ考え直すけど、(話が全然まとまってないわ、話途中で口出しするわ、が一番むかつく)・・・脱線した。まとめちゃうと、一度国民投票やってみろと、少なくとも選挙より投票率はいい。だって選挙で投票しないのは、立候補者に全然魅力(やる気とか、実行力とか、信頼性とか)感じないし、議員に関しては全員ホサれないとね、もう出てくんなって、新党結成っていったって、中身一緒じゃ最悪でしょ。

 あ、そうだ。今度の選挙、投票する人がいない人は、投票しに行かないんじゃなくて、いっその事白紙でだすというのは?。つまり、自分には投票すべき人間がいないという事を自らの一票で主張する。・・・いいなコレ。これで、投票数が80%超えて、白紙投票が半数超えたら、政治態勢変わるかも・・・変わらないんなら、どうしょもないけどね。

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僕の嫌いな言葉
 タイトルにヒネリがない。ま、いいか。僕の嫌いな言葉、一番嫌いな言葉はこれです。
「未来は君達の物です。」 です。まず、これに一言「当たり前だ。こっちがいい大人になってからもお前らは口出しするんか」。自分にそうゆう力無いのに言いたくなる(笑)こうゆう事言う人っていうのは多分僕達にハッパをかけてるんだと思うんだけど、今のこの状況とかみると、この言葉って「こーんなに地球汚しちゃったけど、君達の世代で綺麗にしてね。ウプ。」なんてバカな事言ってるみたいで、頭くるんです。なんか、「しりぬぐい」してねなんて成人式とかでいわれているようで、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!もういい!!
 取り合えず、バトン渡したいんなら、せめて綺麗にしてから渡せ!!微妙なバランスで出来ていた土台壊しまくって、それをしらんぷり、(対応し始めるもの遅いけど)じゃあ、言う事とやる事が違うってもんでしょ

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”ふれあいマンガ”って知ってますか?
 多分ここ読んでる人で知っている人は余りいないと思うのですが、どうでしょうか?まず、これが何なのかから説明しましょう。
 「ふれあいマンガ」というのは、かながわ女性センター(元 神奈川婦人総合センター)という江ノ島にあるセンターが主催するコンクールで、応募条件は神奈川に住んでいる18歳までの人なら誰でもok(高校は3年まで)というコンクールです。テーマは”ふれあい”但し部門は三つ、一コマ、四コマ、ストーリー(10ページまで)のどれかで争われます。
 さて、ここで気がつくと思いますが、このコンクール学年による選考区別をもたないんです(少なくとも第七回までは)。つまり、ストーリー部門に応募したら、幼稚園も高校生も一緒に選考されるのです。このテのコンクールでは、珍しいかと思います。「それは差別だろう。どうみても幼稚園と高校じゃあレベルが違うだろう。」って思う人もいるかもしれませんが、これは”感性”のコンクールです。毎回の受賞作を納めた「おもいやりいっぱい」という冊子は、とんでもな位の才能の宝庫だったりします。読んでて「こりゃ勝てないわ」と感じる物が多くあります。
 しかし、テーマが”ふれあい”なんだけど”ふれあい”って何だろう?。このコンクールのマンガの基調が”福祉”に流れて、聴覚障害者や、視覚障害者を主人公(もしくはテーマ)にしたマンガが多かったりする(因みに最近はイジメがテーマ)
 手前味噌で悪いけど、僕は小6の第一回から七回まで応募してました。・・・え?結果ですか?えーと、選外佳作が一回に佳作が五回、大賞が一回という好成績でした。(第一回から七回までの冊子に掲載されています。)僕自身としてはこれに応募した事によって”福祉とは?”みたいな物に自分なりの答えを見つけました。ま、それは追って”福祉論”みたいな感じで公開すると思うけれど。

 ま、それよりも、ここに掲載されるマンガは皆、純で凄い才能を感じるのもあります(僕は抜いて)。ぜひ一度、この本を一度読んでみて下さい。きっとやさしい気持ちになれますよ。


  ふれあいマンガに関する問い合わせ
県立かながわ女性センター 福祉部
tel 0466・27・2111 内線521

注:冊子は無料ですが、送料は実費になります。


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僕の宗教論
 ”論”ですね。ネタとしてはありがちですが、書いてみたいものだったりするんで、書いてみました。まず、自分の位置ですが、神はいるかもしれないけど、信仰とは全く無関係です。それを踏まえた上でこれを読みましょう。
 僕の宗教観て、元々”倫理哲学”の中の宗教の成立過程とかからの知識がきているので、勧誘とかに来る人には悪いけど大半はねじ伏せちゃいます。今の宗教って大半がアニミズム(偶像崇拝)が入っているっていうのは、まぁ説明はいらないでしょう。でも実際問題として宗教っていうのはその人の拠り所になるだけでいい存在なんだよね。だから、その人にとっての本当の宗教っていうのは、例えば”死ぬかもしれない”なんて思った時に思い浮かぶモノが信仰対象であるもんじゃないかなと思う。それは好きな子かもしれないし、守るべき家族かもしれない。でも、その時神様を考えるのであれば、それは宗教だと。
 僕は神様はまず思わない。それって寂しすぎるしね。あと、いるであろう神様は宗教上の教義にあるように、信仰する全ての人を救わないだろうと。何故か?だってこの考え方って人間のエゴそのものに他ならないでしょ。それにそんなに都合良く行くんだったら、人間なんて生きる事を捨てる事になるし、生きている必要もないわけ、それで精神が満たされなければおかしいはずだからね。ね、そうでしょ。
 きっと、宗教って無くならないと思う。「エヴァ」じゃないけど、心の「補完」の方法の一つであることには変わりないからね。ちなみに霊的な物っていうのもあるとは思う。お墓って落ち着く感覚あるしね。(お墓の土台つくるアルバイトは色々面白かった。”天罰”めいたことも経験したし。自分の宗教観にもいい影響はあったし。高給だったし。OKでしょう)

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差別論1

 このテの話ってやりだすときりないんだけど、まず一発目。マンガって差別の集合体なんですよ。特にギャグマンガ。差別と中傷の集合体で読者を楽しませているのが、本来のギャグマンガ。最近はムチャクチャライトなんだよね。本当にライト。何でかって言えば、例の言葉の規制の問題とかあるんだけど、差別そのものは増えてきた。その顕著な例が「稲中卓球部」。あそこで展開されてるギャグって差別イジメ中傷に他ならない。しかも面白い。あ、本当のギャグマンガがあったって久しぶりに思った。まぁ、あれのヒットに続けなのかは知らないけど、某「○○ンプ」の「○張」はなんかそれを狙いすぎてて嫌だ。
 中学の頃とか、友達と四コママンガを描きあって見せては笑ってた。自分達のキャラクターを作って、そいつらをイジめる。描いてる時はそんないじめているような意志きってないんだけれど、今になって考えてみると確実に、差別とイジメ。自分本人が受けないから、そうゆう風に感じないだけであって、これが実際だったら、・・・・と思ってみると怖くなるのもある。僕自身いじめられっこだったから、マンガを描くそのものの行為はストレス発散が目的だったと思う。今は少し違うけどね。
 差別は基本的にだれにでもある。うん、当たり前だ。僕も持っているしそれは自覚してる。気が付いていない人間が一番ヤバイ。僕自身顕著にそれが出るのが、自分の作った物。演劇サークルに書いたホンなんかはよくそれが出てる。それで「ホンいいね。」って言われると楽しいね。本当に楽しい。「本当に?」って聞きたくなるし、
 いいホンなら差別OKなんてわがままは通用しない。良かろうと悪かろうと、必要不必要は必ずある。それは性表現と一緒。今は基準が変なだけ。(例1:映画「スワロウテイル」がR指定(15未満NG)なのは、学童用品にお金を入れるシーンと両替機で両替して笑うのがダメだったとの事。   例2:花見沢Q太郎と云う人のマンガで、セーラー服の女の子がトイレでHするシーンはダメと言われた。何故かブレザーなら問題は無いらしい)
 ()の中の例みたいな基準(どうゆう理由でそうなのかはサッパリ理解できないけど)のせいで、ある種の狂いが生じているのは確実。作り手は例え好きかってに作っても、そこから超えないといけない壁、しかもワケワカンナイ壁があるに過ぎないと。あ、あれ?差別論はどこへ?・・・・ま、いっか。まとめよう(強引)。
 結局、”差別”を強引に拒否しようとした結果。”隔離”が始まる。大半の人間がいる空間からはずすのだ。流石に文字どおり人里離れた所に老人ホームがあったのにはビックリした。国のシステムに組み込まれてんのか?と思ったりもする。それで思いだしたけど、周りの人って障害者を珍しい物を見るかのようなの目で見つめるよね。「アホ」って言いたくなるくらい、射程内に入ったケモノをみるような感じでスッと。あれは隔離してるっていう証拠。それに荷担してるって事を意識してない目。僕にはそう見える。特にオババサン(志村の造語。おばあさんとオバサンの中間。オバタリアンがこれ?)。
 オババサンはキライ。小学校の頃、西八病院に通院してたときに(漢方治療で婦人科(笑)に通っていた。)確か八王子によって、長崎屋だと思うけどそこのエスカレーターで急いで上に上がりたくって、走っていると前に子供と、そのおかあさんとオババサン前を塞がれたので、しかたなく流れに任せていると、そのオババサンは大声で俺を「気をつけて物取りだ!」と言った後、「なんだ違うのか」と吐き捨て、今なら「ふざけんなクソババァ名誉棄損で訴えるぞ!!」と怒鳴る所だが、その時は悔しくて泣きそうになった。子供心に「ああゆう奴がダメにするんだ」って思った。何をダメにするのかはよく考えなかった。でも、子供に精神的なダメージを与えるには十分過ぎる物には違いない。自分の血縁とは違う、そして自分の血を美化した結果の差別感情、そのオババサンの得てきた歴史的背景を考えるとそれ以外の理由もあるだろうが、いずれにせよ何らかの差別感情があったのは確実だろう。
 これ以上書くとこの人の中傷が始まるのでやめとく。全然知らない人だし、もう生きてるかもわからんけどね。

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