8章 コンピュータの役割..
情報変換...
生命体のcn変換...
コンピュータと意識...
9章 ITで景気は回復しない..
アメリカの好景気とIT..
景気回復に役立つか...
ITと新商品...
10章 日本透明化..
重みつき国会議員...
政治資金透明化...
行政透明化...
特殊法人・公益法人の透明化...
11章 事務作業の無人化..
CbyC時代の生命保険...
CbyC時代の銀行...
CbyC時代の行政...
農林水産省の地方分散...
文部省の地方分散...
 

8章 コンピュータの役割 

 

情報変換

 コンピュータによる情報処理の主役は「変換」と「検索」である。変換がとりわけ重要だ。変換は一個以上のデータに適用される。データは性格から2分される。一つは数値や文字などを表すコード情報である。これをcで代表させる。もう一つは画像、音声などのデジタル化された自然情報である。これをnで代表させる。 変換はc、n 2種類のデータを対象に実施され、4通りの組合わせがある。
(1)   c→c
  コード情報だけを扱う変換。給与計算や在庫管理など、単純事務応用は大半この分野に属している。商品名、人名などの文字情報とそれに付随する数値情報を扱う。体裁を意識しない文書編集、文言だけの変更・追加・削除、文書検索もこの範疇だ。 
(2)   c→n
コード列から自然情報への変換。シナリオから映画を作る映画監督業はc→nの一種である。今は人間にしかできないが、遠い将来、コンピュータでも可能になるだろう。コンピュータ環境の初歩的cn は文字の印刷である。印刷作業の入力はコード情報であり、出力結果の文字は画像だ。やや上級のc→nがHTMLである。インターネットの標準的記述言語であるHTMLはコード情報をもとに視覚効果の高い画面を作り出す。視覚効果を制御する文書編集はこの範疇である。楽譜を元にピアノ演奏を聴かせるプログラムもこの一環だ。c→nの応用分野は限りなく広い。
(3)   n→n
  画像編集がまず該当する。画像の拡大・縮小、部分削除、部分編集、色調変更など。静止マンガからアニメを作るのもこの分野だ。音声・音楽の編集も n→nである。
(4)   n→c
  自然情報からコード情報への変換、これは「認識」である。コンピュータの最も不得意とするところである。コンピュータの黎明期、認識は割と気楽に考えられていた。20年もすれば解決すると期待されていた。根拠のない楽観主義だった。認識の困難さを1個の例題で考えよう。
 線対称の画像、たとえば鏡のように澄んだ湖面に映る対岸の景色を画面上に傾けて配置する。この画像の対称軸をどうやって検出するか。人間なら見た瞬間にわかるが、コンピュータでは膨大な計算が必要だ。人間はポケットの中の硬貨から10円玉を手探りで選び出せる。ロボットにこれを代行させるのは当分無理だろう。
 旧通産省の大型プロジェクトに「パターン認識」があった。この成果は郵便局の自動区分機に応用された。文字認識だけでも十分困難である。とりわけ手書き文字は難物だ。それなのに人間は誰が書いたかまで認識可能である。コンピュータによる認識の困難性はそれが100%ソフトウエアだということである。人間の脳がどのように認識するか、自分の脳がどのように作用するか、人間はまだ知らないのだ。
コンピュータ応用は複雑大規模化するが、どの応用でも上記4変換の組み合わせで構成できる。
 

生命体のcn変換

 コンピュータ世界のデジタル情報と並び、DNAはもう一つのデジタル情報である。DNAには4種の分子があり、それぞれAGCT、4種の記号が付されている。生命体の設計図である遺伝子はDNA分子の長い列で構成され、その長さは人間の場合30億個と言われている。人間の設計図はAGCTの4文字を使った30億個のコード情報で記述されているのである。
 AGCTの指定には各々2ビットで十分である。1バイトには4個のDNA情報を収容でき、人間の全設計図が高々8億バイトのメモリに入ってしまう。人間という複雑・高級な生命体の仕組みが僅か8億バイトで記述できるとは驚異である。いや、人間は複雑でも高級でもないのかも知れない。
 亀の受精卵、鶏の受精卵を暖めれば数十日後にそれぞれ亀の子とヒヨコが孵化する。外部からは情報を与えない。情報源は受精卵内のDNA列であり、そこから得たコード情報を用いて3次元生命体という高度の自然情報が合成されるのである。つまりその数十日間、受精卵の内部で進行していることは一種の「 cn 変換」である。もちろんこの変換は誰かがコードを解釈するのではなく、自動的、機械的、並列的に進行する。
受精卵内cn変換の仕組みが解明されれば、コンピュータの世界のcn変換に何らかの進歩をもたらすだろう。ソフトウエアは初めて神の知恵を利用できるのだ。
 変換を同時並列的に進行させるため、コード情報の完全コピーが全細胞に支給されている。この驚くべき冗長性がシステムを大いに簡明化しているはずだ。コンピュータ情報システムの世界でも冗長性を活用したいものである。
 誕生後の生命体は成長および維持という生命活動を継続する。この場合も細胞内でc n変換が並列進行している。細胞内ではいろいろな蛋白質が造られるときDNA列の必要部分が参照されるのである
地球上のほとんどのコンピュータが何らかの形でインターネットに繋がっている。各コンピュータは内部でcnを始めとする各種変換を進行させている。コンピュータはネットワーク上の1細胞のようにも見える。
 

コンピュータと意識

 やがてコンピュータが意識を持つようになる、という人が案外多くいる。有力な科学者でもそう言う。私は同意できない。意識とは何ぞやと議論を始めると神学論争になるので、意識のかわりに単なる感覚、特に痛覚を取り上げたい。痛覚を持つコンピュータを作れるか。
 感覚の中で最も強烈なものが痛覚と視覚である。木石ではないが所詮は物質でできている人間が痛みを感じるのは不思議である。木も石も痛みを感じない。だから人間にも痛みはない、痛むと思うのは錯覚だ、という説もある。それなら錯覚こそ意識である。人間の認識能力は「視覚意識」そのものだ。意識は認識能力に大きく作用しているように思える。もし「痛い!」という感覚が解明できれば「見える」という感覚も解明され、認識能力の解明が進むと思う。その成果はコンピュータのパターン認識に貢献するはずである。
コンピュータのパターン認識はリンゴとミカンの区別をするが「見ている」という意識はない。だから、殴られて「痛い」と叫ぶロボットを作れても、「痛い」と感じるロボットは作れないはずだ。金属とシリコンとプラスチックでできているロボットが痛みを感ずるはずがない。もし痛いとしたらどこで感じるのか。メモリか、それともプロセッサか。ロボットは絶対に痛くない。
日本には別な一派がいてその人たちは「痛い、と言ってるのだから痛いのだ」と主張する。将来、それも遠くない将来、殴られたら身をよじり眼から涙を流す演技派ロボットも現れるだろう。そうなると「ロボットでも痛いと言えば痛いのだ」という情緒派が増えることだろう。
しかしどれほど演技力豊かなロボットが作られようとロボットは痛くないのだ。加工密度が上がり、メモリやプロセッサの容量や性能がどれほど飛躍し、ソフトウエアがどれほど複雑になろうとも、ノイマン型コンピュータの相似的拡張としてのコンピュータシステムには痛覚を付与できない。何年たとうと、コンピュータがある日突然意識を持つことはない。したがってコンピュータの認識は意識を欠いた認識であり、その能力は人間と同等レベルになり得ない。
それでも物質でできている人間が痛覚を持ち意識を持っている。これは理解しがたいことである。その不思議さが解明され、不思議さを担う論理がコンピュータに実装されたとき、コンピュータは意識を持ち、人間並みの認識能力を発揮するだろう。
米国の物理学者ロジャー・ペンローズは彼の著書『皇帝の新しい心』の序文に「世の中には、人間の心を針金で作れると言う人がいる、たとえばミンスキーのように」と書いている。そのマービン・ミンスキーは人工知能の泰斗であり、人間の心をコンピュータで擬似できると考えている。そのことを解説した本が『心の社会』である。『皇帝の新しい心』は「皇帝の新しい服」(日本では「裸の王様」として知られている)のモジリである。この書名は「心のない王様」を暗喩しており、コンピュータで作られる心などあり得ないとミンスキーを否定しているのだ。
 コンピュータは意識を持ち得るか、現時点でこの議論をしても不毛である。その不毛の議論に敢えて近寄った目的は、人工知能もパターン認識も「意識」の解明なしには人間の水準に到達しないという予想を述べておきたいのである。この予想に科学的根拠はない。 
 

9章 ITで景気は回復しない

 

アメリカの好景気とIT

1990年代、アメリカの情報技術力は地球上で突出していた。IBMDEC、アップル、インテル、マイクロソフト、オラクル、サンマイクロシステムズ、デル、シスコ、クワルコム、ネットスケープ、ヤフー、ナップスター、グーグルと続く名前はこの世界の主要プレーヤーが100%米国産であることを示している。しかもこの前にインターネットを創造した学・軍協力体の存在がある。インターネットこそ時代を画す技術である。アメリカ製造業は情報分野で復活した。復活は投資を呼び、投資は株価を上げ、株高は消費熱を煽り、消費は空前の好況を生んだ。
ネット株ブームは日本にも伝染したが直ちにしぼんだ。あっという間のネットバブルの膨張、崩壊である。この原因は、日本のプレーヤーが核となる技術を持たない張子の虎であることが、早々にばれてしまったからだ。
ITさえやれば全てうまく行くと言う考えは錯覚であった」と正直に述べるエコノミストも現れた。しかし何をどう錯覚していたかが明示されないので教育効果がない。だから今なお錯覚している人が多い。たとえば「IT革命が効果を発揮するのは大企業が本格導入するこれからだ」という意見がある。
その効果とは「社員がやっていたことは殆ど単純事務である。それをITで置き換えることにより社員は、真に人間でなければできない創造的な仕事に専念できるようになる」からだという。
これは本当だろうか。真に創造的価値を発揮できる社員がどれほどいるだろうか。多くの社員は空いた時間に勉強して大学教授にさえなれるかもしれないが、創造的社員にはなれないだろう。相当有能な教授でも松下幸之助や本田宗一郎の代わりは務まらない。創造的社員というのはこういう人たちのことだ。創造性を認められない社員はどうなるのだろう。IT革命が大企業の人減らしに効果を発揮することは間違いない。
 

景気回復に役立つか

あるテレビ局の経済特集番組である。経済評論家が登場し日本経済の内需活性化を論ずる。活性化の切り札は「やはりIT革命の徹底」であると言う。そしてIT活用で有名な企業が2社紹介される。
1社は文房具の翌日配達で有名である。ファックスまたはインターネットで主に文房具の注文を受け、遅くとも翌日中に依頼元に届ける。商品選別、選別確認、発送仕分けを徹底自動化している。これもIT活用のお陰だ。
番組の結論は、「2社ともITを駆使し、良いものを安く早く届けて業績を上げている。日本中がこの2社のようになれば日本経済も再生される」というものである。
これは実に単純な、しかも広く普及している錯覚である。「生産性の錯覚」と名付けよう。
文房具の翌日配達の場合、配達依頼元周辺の文具店の売上に多大の影響を与えているはずだ。メールで発注すれば明日来るのだから、わざわざ文具店に行くことはない。また問屋を通さず、メーカー直に購入する商品もあるという。やがて文具店も問屋も人減らしを迫られるだろう。
俗称IT革命で期待されていることの殆どが「生産性向上」を目指している。「事務のIT化」は生産性向上そのものであるし、いわゆるB to B (企業から企業へ)B to C(企業から消費者へ)での電子商取引も究極目的は効率向上であろう。電子モールも店舗と店員の不要が謳い文句である。インターネットバンクも、ネットでアクセスできるだけでなく、店舗と行員不要による手数料の安さが特長である。効果は「人減らし」だ。結果として失業が増える。内需は拡大しない。
内需活性化のために必要なものは、新しい商品かサービス、つまり新しいビジネスである。新ビジネスが追加の需要を創造し新たな雇用を生むのだ。
 

ITと新商品

B to B B to Cが景気拡大に役立つためには、従来商品が余計に売れるか、売れる新商品がB to B B to Cをきっかけに誕生しなければならない。B to B B to Cにそういう力があるのだろうか。これは肯定も否定もできない。IT応用の新商品を積極的に開発すべきである。
コンピュータ高速化に伴い画像処理技術が進歩した。画像処理を取り込んだコンピュータ応用マシンが続々誕生する。一つのヒットが手術ロボットである。ロボットというよりマジックハンドか工作機械に近い。医師がモニター画面を見ながらマジックハンドを操作する。患者の患部に挿入された小型装置がマジックハンドに連動して精密な手術をおこなう。
手術に際し患者、医師の負担が少なく、いわゆる「名医」でなくとも高度医療が可能になる。1台が数千万円〜数億に達する高額マシンである。使用効果が大きく対象市場が広いから一大産業になるだろう。残念ながら日本で開発されたものではない。日本が人型ロボットに熱中している間に、欧米は形は個別でも市場の広いロボットを開発していた。
もっとも、宅急便という極めて簡明なシステムでさえ、実用普及には運輸省との長い悪戦苦闘が必要であった日本で、患部に機械を入れて手術するシステムを医療器具として世界に先んじて承認させることは、絶望的に困難なことに違いあるまい。今後はこの分野にこそ新商品が増えるのだから、管掌官庁の柔軟な姿勢が望まれる。
日本のアニメやゲームが強いのは管掌官庁が定かでなかったからではないか。大蔵省、農林水産省という重い専属の官庁を背負っていた金融、農業が絶望的に弱いのは偶然でない。
 
 

アメリカはIT分野で新製造業を数多く興した。インテル、マイクロソフト、デル、オラクル、シスコ、EMC、クワルコムなどの大企業は内需はおろか外需も開拓し米国のGDPを成長させた。対抗する新興大企業が日本には一つもない。強いて言えば任天堂である。日本はメモリ、液晶ディスプレイ、ノートパソコンで多少の優位に立ったが、すぐ追いつかれた。
 いまIT活用が叫ばれている。IT活用は生産性を上げる。作れば作るほど売れる時代でないから生産性向上は人員削減につながり、マイナス成長を招く危険性が高い。
IT業で経済を拡大したアメリカ、IT活用で経済を縮小する日本」
しかし不思議なことに、この違いに言及するエコノミストがほとんどいない。生産性向上と新商品開発は経済効果の面で逆向きに作用することを念頭に置いていないようだ。このままでは、国民に誤った経済認識が定着し、日本経済の復活は遠のいてしまう。大切なことは国民全員が正しい経済認識を持つことである。高度の経済学を理解することではない。
 日本国にとって重要なことはITをどう活用するか具体的に考えることである。漠然とIT 頼みの景気回復を夢想しても無駄な年月が過ぎるだけである。


第3部  CbyCの応用
 
 ガラス器製造企業でこんな話がある。あるとき検査担当者が替わった。最初は全品合格していたのに次第に不合格品が増えてきた。検査担当者の目が肥えてきたのだ。最初は見えなかった僅かな疵が見えるようになる。一方,疲労が嵩むと検査が不均質になる。
 コンピュータ化できればこうならない。コンピュータの取柄は指定されたことを高速,忠実に実行することだ。対象がどれほど大量であっても倦んだり飽きたり、むら気を起こすことがない。このような特長をもつコンピュータを部品としてコミュニケーションに適用したシステムがCbyCである。
CbyCはネットワーク経由で多地点を結び各種情報を集積・配布し、各方面の人々に有用な情報リストや集計・統計情報を合成できる。CbyCはこれら情報の合成だけでなく評価も可能だ。情報の特性に応じた評価プログラムにより、平均値とのズレや異常値を自動的に検出できる。人間は指摘された異常の原因究明に専念できる。またCbyCはデジタル化による新しい表現手段を与えてくれる。
CbyCの効果は省力化、社会の透明性増大、新商品の創造である。しかし省力化効果を失業率増大でなく余暇の増大に導くことは容易でない。透明性増大は監視機能増大につながり、一歩間違えれば警察国家になってしまう。デジタル新商品は人間を退廃に導くかも知れない。CbyCは負の効果も持つのだ。
同じ悩みを人間は自動車で経験している。江戸時代の人に自動車を紹介する。どんな坂道でも荷物を満載してひとりで走ると聞けば、彼らは喜んで欲しいと言うだろう。しかしその便利さの代償として毎年1万人の命を犠牲にしなければならないと聞いたら彼らは「いくら便利でもそんなものは使えない」と断るだろう。それでも今日、自動車は街中を走っている。
原子力発電はCO2削減に極めて有効だがチェルノブイリ事故では多くの人命を奪い、広大な地域を不毛にしてしまった。地続きのため心底からの恐怖を味わった欧州では脱原発の動きが強い。もう後戻りのできない自動車と、一部の国で後戻りの努力が始まっている原子力発電。
CbyC技術は自動車、原発につぐ3番目の両刃の刃であるが、おそらく後戻りできないだろう。インターネットはもう止められない。負の効果を抑制しつつ正の効果を積極的に実現するしかない。日本にとっては次の5項目が特に重要である。
 
(1)     日本透明化
日本文化は「恥の文化」であると言われている。かなり当たっていると言えよう。その証拠に社会的に影響大な事故あるいは不祥事が発生したとき、それを組織ぐるみで隠す例が非常に多い。「内部の恥を外にさらすな」という意識である。
 こうして内部意識が強固に育ち,内部の快適さを維持し外部を差別する環境が形成される。企業群と官僚が結託し内部化すると、腐敗としか言いようのない状況を出現し、官僚主導の談合さえ実行される。一部の特殊法人の恥知らずな非効率も内部化が原因だ。外にはばれないと思っている。
 諸悪の根源は不透明性である。密室の談合や恣意的な裁量を排除しなければならない。公的機関は予算の決定と実行の過程をすべて白日の下に晒すべきだ。日本の透明化である。白日の下では腐敗菌も生長しないのだ。
(2)     事務作業の無人化
 単なる効率向上でなく「無人化」を強調したい。保険、証券、銀行、行政など重さのないモノを対象とする業務では、受付から契約、書類発行まで無人化が可能なのだ。この業界の従来型人員シフトは驚くべき無駄のカタマリであった。CbyCを活用すれば劇的人員削減、コスト削減が可能である。
 21世紀の日本は少子化、高齢化、環境悪化に対処するため膨大な費用と労働力を必要とする。少子化、高齢化、環境悪化はいずれもズッシリと重さのある対象である。重さのない対象分野から重さのある対象分野へ、費用も人員も大移動しなければならない。
(3)     教育を含むあらゆる分野の能率、生産性向上
 目的はコスト低減より時間の節約である。3時間掛かっていたものが1時間で済めば素晴らしい。寿命が延びたのと同じ効果だ。文部省はゆとり教育と称して教科を減らしているが、知識がますます重要な時代に逆行している。
 小学課程をゆとりで4年で修了できる技術を編み出したい。そうすれば知育、体育だけでなく情操育や徳育にも時間が割ける。情操育とは自然美、芸術、他人の悲しみがわかる心を育てることだ。徳育とはある程度の忍耐心と自分の行動を論理的に説明する能力を養うことだ。
 時間節約のもう一つのねらいは週休3日である。生産性が上がれば仕事がなくなる。その分みんなで楽しめばよいのだ。旅行を盛んにしよう、そのために休日を増やそう。楽しみが増えれば所得も増えるのだ。
(4)     安全性向上
 不安な時代である。一つは経済的不安、もう一つは犯罪の多発である。
年々の自殺者が3万人を超えている。大黒柱を失った家族の悲嘆、不安、困難はどれほど深いだろうか。自殺はしなくても将来に対する経済的不安は非常に大きい。合理的、効率的社会保障を充実させたい。
 日本を犯罪不能の国にしたい。少なくとも金品目当ての暴力犯を絶滅したい。CbyC技術を用いれば決して不可能でない。日本人の智恵の出しどころである。
(5)     快適性拡大
 日本を美しい国にしたい、都市も田園も川も山も。
廃棄物の完全な還元を実現したい。水も空気も汚染されない国にしたい。
 住居、通勤の条件を快適にしたい。
 自由と楽しみの多い国にしたい。
 快適に死にたい。
 皆がその気になって努力すれば出来ることだ。しかも21世紀の前半に。快適性についてはCbyC以外の技術も重要である。
 

10章 日本透明化

 

重みつき国会議員

政治、行政の不透明性は利権や寄生的天下り官僚を生み、有権者の不公平感を強めている。しかしもっと根源的不公平がある。一票の格差だ。2001年度の選挙区割改訂でも最大格差は2倍を切ることができない。最高裁は2倍なら合憲としているが根拠不明だ。一票の格差は参政権に対する明確な侵害である。解決法はある。議員に重みを付ければよい。
各選挙区の有権者数を定員数で割った答えをその選挙区選出議員の重みとする。重みの全国平均は全国の全有権者数を全定員数で割ったものに等しい。各選挙区の重みを全国平均の重みで割ったものを「正規化重み」と呼ぶことにする。現在、国会本会議場における議員の投票は平等に1票として算出されるが、これを各議員がもつ「正規化重み」に改める。1議員の投票が1.5票であったり0.8票であったりする。かつてのように4倍もの格差があれば、倍議員や半議員も登場することになる。
投票を電子化すれば結果の算出は自動的に出る。こうすれば1票の格差は完全に是正される。議員の歳費にまで重みを付けよとは言わない。
 

政治資金透明化

 資金の入りと出を細大漏らさず明確に記録する。政治献金を受ける団体・個人は受け入れ用銀行口座をそれぞれ指定する。指定口座以外への献金は禁止する。献金者はインターネット経由または銀行支店の自動機から電子的に送金する。
 銀行は指定口座への送金に対し、
@    日ごとに金額、献金者名、日時など全情報を口座所有者あてメールで送る。
A    日ごとに、件数累計、金額累計を更新する。
B    年度末に件数累計、金額累計を税務当局あてメール送信する。
献金を受ける団体・個人は
C    日ごとに送信される情報に基づき、自ホームページ上の献金リストを更新する。
D    年度末に件数累計、金額累計を税務当局あてメール送信する。
E    年度末に年間の複数回献金を献金者ごとに合算し、金額でソートしたリストを税務当局あてメール送信する。
インターネットと関連ソフト、つまりCbyC環境を用いれば@〜Eは完全に自動的に処理できる。これを旧来事務のように手作業で行なったら、手間を食うだけでなく抜け、誤記、計算ミスにより結果も信用できない。
 この方式では献金者名が公開され、密かな献金ができない。しかし政治献金は社会に対する公的な行為であるから、公開は当然である。
 政治資金の使用実績も一件対応に電子的に記録し公開する。
 何らかの方式で電子レシート、電子伝票、電子領収書を発行できるようになったとする。献金を受けた団体・個人が備品・消耗品購入、パーティ催行などで費用を支払ったとき、業者は
@    通年追い番を付した電子レシートを顧客あてメール送信する。電子レシートには日時、金額、用途を説明する摘要、などが記載されている。この形式は自由であるが、業者ごとの形式は一貫しているものとする。
A    同じ電子レシートを自分のファイルにも追い番順に記録する。
 支払った団体・個人は
B    電子レシートが送付されるごとに、自ホームページ上の政治資金使用実績リストを更新する。
 
 献金を受けた団体・個人ごとの献金実績、使用実績が日々それぞれのホームページ上で更新、公開されるのだ。
 有権者はこれを眺めるだけでなく、ダウンロードしてプログラムにより分析することができる。中立的機関が期毎に自動的に全代議士の実績を分析・比較し、特徴あるいは異常をホームページ上で公開周知させることができる。政治になぜ金が掛かるかも明らかになる。
 買収、供応、寄付など法で禁止されていること以外は何に使っても良いものとする。公開され有権者の視線にさらされることが明らかになれば自ずと政治は自律するのである。
個人献金は自由とする。道楽息子に遺産をやるより信ずる政治家に寄進したいとする硬骨の資産家もいるだろう。
 業者、政治家、政治団体ごとに多種多様な帳票様式が生まれるだろう。これを全国的に統一するのは無理であり、ソフトウエアの方に「理解力」を付加すべき思う。ただし、多様な伝票・帳票データを記録する形式、すなわち伝票レイヤ形式は統一しなければならない。この形式は単純であるべきだ。
 

行政透明化

 行政とは省庁・自治体である。
 企業幹部が無能あるいは腐敗すれば企業は潰れる。そして新鮮有能な企業にとって替わられ、関連企業以外の社会一般はあまり困らない。山一、日債銀の事例がこれを証明している。しかし官庁の幹部が無能・腐敗状態でも官庁は決して潰れない。その前に国家、国民生活が破綻するのである。これは全く困ったことだ。
たとえば外務省。対米開戦時の最後通牒の手交遅れから世紀明けの乱脈経理まで無責任さは相当のものだが決して潰れない。また乱脈経理ができるほど金が余っているのも不思議である。金さえ無ければ使い込みもできない筈だ。いまだに1ドル360円で予算編成しているのだろうか。
あれもこれも「行政の内部化」が問題なのである。悪い省庁が自然に潰れる仕掛けはできそうにないからせめて徹底した透明化を図るしかない。
 透明化の基本的方法はホームページによる情報公開である。予算の決定、予算の実施、事業の目的、裁量の根拠などが階層的に楽にアクセスできる仕掛けが必要である。出金伝票の公開もやる。首相や知事や村長の交際費も例外でない。職員の給与以外は秘密にする根拠はない。外交・防衛・犯罪捜査などの例外はある。
 公開されたデータのうち、適切に区切った一部を簡単にダウンロードする仕掛けも重要だ。それらをコンピュータで分析することにより、分野毎の特性を検出でき、行政の問題点が露呈するかも知れない。
 
 自治体が大事にすべきことは、住民からの質問に答えることだ。質問、回答ともホームページ上に公開する。 質問を効率的に捌くためつぎのようなソフトウエアが有効である。
 質問は日本語のメールで送られてくる。
@    質問をソフトウエアで解析し、同趣旨の質問が「質疑応答表」に記載済みであれば、その応答部を回答として質問者にメール送信する。
A    新規の質問であるとソフトウエアが判断すると、ソフトウエアは最適回答者を行政内から選択し、その人あてに回答依頼をメール送信する。
B    依頼された人は回答案か回答拒否理由を書き、自治体の質問窓口にメール送信する。
C    質問窓口管理者は回答内容に応じて適宜ソフトウエアを用いて行動し、最終回答を取りまとめる。
D    ソフトウエアは質問と回答をセットにして質問者に送信し、さらに「質疑応答表」の適切な場所に挿入する。
住民が回答に不満であるときは、回答に意見を付して再度質問する。
 
 行政内の決定を行なう会議はすべてビデオ録画する。また必ず議事録を作成・公開する。議事録自動作成ソフトウエアができればよいが今世紀前半では無理だろう。
 会議録画ロボットも必要だ。発言者、掲示資料、手許資料を適宜選択し、画面配置も最適に録画するロボットだ。これは20年以内に可能だろう。
 議事録もビデオ録画もいつでもダウンロードできる。住民は深夜、休日にこれらを参照し、行政への参加、批判が可能になる。このようにして透明性が高まる。 
 

特殊法人・公益法人の透明化

 特殊法人については効率性と非効率性を、公益法人については公益性と非公益性を公開する。意図的な情報隠しを許さない。これら法人の透明化は第三者の立ち入りがなければ不可能だろう。ISO90011401のような監査を定期的に行なうことが必要だ。もちろん視点は効率性と公益性である。不合格法人、受査しない法人には補助金を打ち切る。特殊法人の場合はトップを入れ替える。公益法人が26000もあるのは日本人として恥ずかしい。
 

11章 事務作業の無人化

 

CbyC時代の生命保険

生命保険は不慮の死亡に遭遇した場合の収入補償であるから、コストをできる限り節減し、保険料の大きな部分を保険金支払いに回す責任がある。
 ところが、全国いたる所で主要駅周辺に保険会社の看板をつけた大きなビルがある。これに収容される人員も当然多いはずだ。ビルと中身にかかるコストは大変な額だろう。このコストは当然保険料から支払われる。この大組織を維持するには契約増大が不可欠であり、結果的に無理な商品企画で逆ザヤを招き、多くの生命保険会社の経営危機に至ったのだろう。
 日本では保険勧誘は主に女性が担当している。保険レディと呼ばれるこの人たちは全国に30万人いるといわれた。なぜこの人たちがこんなに多く必要なのだろうか。彼女たちが幸福であればそれでもよい。しかし1年で30%が入れ替わると言われている。消耗品扱いなのだ。知人、親類縁者をたより、一回りすると行き詰まり辞めて行く。多額の契約で本に紹介されるような華麗な保険レディは例外中の例外なのだろう。
 生命保険は、重さを伴わないソフトウエア型事業として、革命的人員削減が可能である。
 
 生命保険事業に必要な資源は信用、情報システム、少数精鋭の管理担当者たちである。駅前のビルも大勢の保険レディも管理者もまったく必要ない。販売も必要ない。消費者に周知されるまでは活発な広告が必要であるが、ある程度の規模に達したらそれも削減する。
 生命保険システムは社会安定のための一種のインフラストラクチャーである。インフラという点では鉄道に似ている。販売・広告も鉄道スタイルでよい。鉄道は切符の訪問販売をしない。「期末の切符大売出し」などという新聞広告も出さない。必要な人がみずから切符を買いに来るのを待つだけだ。生命保険も客が契約に来るのを待っていればよい。ただし支店で営業員が待つのではなく、ネット上に電子の網を張って待つのだ。
鉄道はその存在が目につきやすいし、毎日のように利用されているので、忘れ去られることがない。生命保険は不幸な人が一生に1度利用するだけであり、健常者の念頭に上る機会が少ないから、知名度の維持向上にはかなりの努力が必要だ。
 生命保険業界の信用が一定水準に達すれば、まともな人は、よほどの金持ちでないかぎり保険に加入するようになる。金持ちこそ進んで大口加入すべきと考える篤志資産家も増えるだろう。
 保険に加入したい人はネット上で情報を得る。比較サイトも多数できる。定評ある比較サイトで意中の保険企業を絞り込み、それら企業のホームページをよく検討した上で最後の1社を選ぶ。大切なことは、企業が必要十分な情報をわかりやすく誤りなく提供することである。
 契約はもちろん電子的におこなう。契約者、受取人の確認も電子処理だ。人も紙も動く必要はない。毎月の保険料も口座引き落としにする。
 被保険者が死亡したときは、受取人からの依頼に基づき、保険会社は亡くなった人が住んでいた自治体に死亡時日を電子的に問い合わせる。こうして死亡が確認できたら、受取人の予め指定されている金融口座に電子的に送金する。
 これら一連の流れはすべてインターネットを経由して自動化可能であり、人手の介入は不要だ。契約事項であるからどこかで双方の確認が必要になるが、通常事務はすべて自動化できる。
人間が対処しなければならない重要な仕事はトラブル処置である。情報システムの構築、運用にコストが掛かるが、IT技術の進展は十分に速いのでハード、ソフトとも急速な低廉化が期待できる。      
 
 以上のような契約・運用の電子化は証券の世界でほぼ実用化されている。
株のインターネット取引である。取引を始める前に口座を開く必要がある。口座開設もネット上で電子的に申し込むことができる。株の売買委託も電子的であるから即座に受け付けられ、1日に何十回でも委託できる。
ただし口座開設、売買委託ともあと付けで紙の書類が送られて来る例もある。まだ紙文化を引きずっている。代金の送受も面倒だ。それでも大きな効率化であることは売買手数料の大幅低減で証明されている。
  電子化証券会社は旧来の証券会社ではなく電子的サービス会社といった方がよい。支店を閉め、営業員をなくし、委託された売買を電子的に取り次ぐだけである。客に個別銘柄を勧めることは一切やらない。稼ぎ手は営業員ではなく強力な情報システムなのである。
 

CbyC時代の銀行   

 CbyC時代の理想的銀行(以降CbyC銀行という)の機能は次のようになる。
 @ペイオフ制度はなし。国が無限に保証する。
 A預金利率は 年利−0.2%、つまり0.2%の預かり料を取る。
 B貸し出し利率はゼロ、つまり無利子で貸し出す。
 C支店なし、すべてネット上で取引する。
 D行員は少数精鋭、事務員はゼロ、少数精鋭のシステム開発・維持要員、開発主力は外部に委託。
 E審査員少数。外部の会計士が有償で立案した貸し付け案件を審査員が審査して貸し出す。
 
 貯蓄には「良い借り手」が必要なこと、また「売れる新商品」が経済発展と国民所得増加に必要なことがわかっている。それには商売人が新たな商売を起こしやすい環境が必要であり、そのためには無利子貸し付けが最適である。銀行は0.2%の預かり料ですべてを賄いきれるシステムを構築すべきだ。
 経済も人口も高度成長期には旨みのある商売の機会が多くあるから利率は多少高めでも経済は成立する。しかし経済低成長・人口低減の21世紀日本では、儲け幅が小さいから、高い利率ではやって行けない。この環境で貯蓄を成立させるには貸し出し金利を低くしなければならない。 
 マイナス金利でも国の無限保証が付けば、自治体、高額所得者などが預金先として利用すると思う。また住宅ローンや教育ローンの金利がゼロであれば一般消費者も加入するだろう。
 
 前世紀末、都市銀行が不良債権漬けに陥った原因は、都市銀行の高経費体質に帰すことができる。豪壮な本店、駅前一等地の瀟洒な支店、高給の行員、秘書と車と個室が付く多くの役員や顧問、これらの費用を得るため何としても資金を運用して利鞘を稼ぐ必要に迫られた。 その結果
 「都市銀行の商工ローン化」
という現象が発生したのである。商工ローンの苛烈な取立てが問題になったとき、業界の体質としてこんな話が紹介された。
 この業界では、「融資金は保証人から回収する、借り手からは利子さえ徴収できればよい」という共通認識があるという。つまり融資が無駄に終わることが前提とされており、融資対象ビジネスの成否は検討外なのである。
 都市銀行の際限ない不良債権続出の原因として担保である土地の値下がりが挙げられている。しかし融資対象ビジネスが順調であれば担保の値下がりは関係ない。融資の際に担保を重視し過ぎ、対象ビジネスの成否の検討が甘かった(無かった?)のである。これが「都市銀行の商工ローン化」現象だ。そこまで追い詰めた主原因は都市銀行の経費の重さであろう。
 CbyC銀行は電子銀行に徹し現金を扱わない。自動機を含め、現金を管理するコストが一切不要になる。また紙を用いた通信をしない。印刷機構を一切所有しない。毎月初め、前月の利用状況を記録した電子通帳をメールで利用者に送る。この写しを光ディスクに保存しておく。
 徹底的電子化は社会自体が現金を用いない「無幣社会」にならないと実現できない。それまでは他行と提携し、他行のATMを経由して現金の入出金を行う。送金ほかの個別サービスにはその都度料金を必要とする。
 銀行は社会の公器であるから預金を遊ばせず有効に利用しなければならない。しかし貸し出し金利ゼロでは貸し出しに関するコストを負担できない。そこでこれを借り手に負担してもらう。
 借り手は「借用・返済目論見書」を会計士と共に作成する。費用は借り手が負担する。返済可能性を会計士が確信できれば、これを銀行に持ち込む。銀行の審査員は会計士の実績と一件書類の内容を勘案し可非を決する。
 

CbyC時代の行政

行政の事務的サービスはCbyC機能により効率化し、利便性も向上するだろう。たとえばパスポートもネット経由で取得可能になる。
一市民として最もお世話になっている行政サービスは自治体のゴミ回収である。あとは治安、道路、上下水道、子供たちの公教育である。いずれも重さのある対象であり、CbyC技術で無人化というわけにいかない。ゴミ回収ロボットができるのは先のことである。 
  たまに住民票など証明書を貰いに行く。これは本来重さのないモノであり、無人化可能だ。しかし行政に占める割合はごく僅かである。この無人化は効率向上より利便性向上が狙いである。
 健康保険と年金で、厚生労働省と社会保険庁にはお世話になっている。この二つは重さのないモノであり、すでにCbyC環境で稼動しているがペーパーレスになっていない。しかしCbyC技術の効用はペーパーレス化よりシステムの変態可能性にある。
  人口構成の変化、経済構造の転換に応じて保険、年金システムは木に竹を接ぐような、あるいはサナギが羽化するような大変更を迫られる。木システムと竹システム、あるいはサナギシステムと羽化システムが並存し、両者間でコミュニケーションを交わすシステム構造になる。 
 

農林水産省の地方分散

 まったく世話になっている気がしないのが農林水産省である。消費者には縁の薄い省なのだろう。食料配給時代ではないから、農林水産省が無ければご飯が食べられなくなるという意識は全然ない。しかし生産者として農林水産省の管轄内にある農民にも農林水産省に批判的な人が多い。
江戸時代に農業は立派に存在したが農林水産省はなかった。各藩が、「農」を懸命に振興したのである。農は「士」のつぎに位置していた。農業、水産業は気候と土地柄に依存する産業であり地方に固有である。地方に固有なものは地方に任せた方がいい。地方と中央のコミュニケーションはCbyC機能により一昔前に比べ革命的に改善されている。中央に残した方が効率的なものを厳選すべきだ。
 狂牛病の不始末を見ても、やはり効率的に機能していないように見える。大学を出てすぐ霞ヶ関暮らしを始めた官僚には、欧州の狂牛病騒ぎも別世界の火事にしか見えなかったのだろう。これが地方の担当者であれば、日頃、地域の畜産現場を見ているだろうから遥かに感度が高いはずだ。インターネットで他県とも連絡を取り合い、有効な手立てを早めに打てただろう。世紀も変わったことだし江戸時代に戻り農林水産省の地方分散を進めよう。輸出入など対外問題は内閣の直属専門機構で対応すべきだ。ネギの仇を車で討たれるのだから総合的取り組みが望ましい。
 

文部省の地方分散

 文部省も江戸時代にはなかった。それでも維新前夜に坂本竜馬はじめ多くの人材が現れた。昭和の偉人と言える松下幸之助、本田宗一郎も文部省教育のお陰とは思えない。二人は大学ではなく野で育った。こういう偉材は文部省の担当ではないのだろう。文部省の狙いは平均的素材の均質な教育なのである。しかしそこでも学級崩壊、不登校など質的低下が著しい。
 世紀末に17歳の凶悪犯罪が多発した。この原因が文部省にあるとは断定できないが、文部省は徳育面で大きな間違いをしているように見える。
 高校進学の選抜には中学からの内申書が少なからぬ影響を持つと生徒も保護者も信じている。内申書には教科の成績だけでなく生活面の既述もあり、徳目面での評価もされると信じられている。生徒は内申書の既述を良くするために、生徒会活動や奉仕活動に参加するという。
 この状況は生徒に偽善を奨励しているようなものだ。徳とは「陰徳を積む」という表現があるように自らの信念で人知れず行なう行為である。他人の評価を得るために行なう「善行」は徳ではなく偽善だ。生徒たちの内申書対策行為に偽善の意識はなくても、心の深層には「やましさ」が沈殿しているはずだ。これは生徒たちに決してよい影響を与えないだろう。
 進学選抜で若い少年少女たちの人格や操行を問うてはならない。徳や人格は年月をかけて磨くものだ。年を経ても磨かれない人はいくらでもいる。みずからを古武士に擬える参議院議員が札付き団体から巨億の不正献金を受けていた。日の丸次官として愛国心や道徳心を説教していた文部次官が業界から一千万円の賄賂を受けていた。それどころかこの次官は、文部省から20億円の私学助成金を受けた私立大学から、自分の主催する財団へ8億円の寄付を貰った。これは限りなく犯罪に近い行為である。
 犯罪的次官が文部省の実質的影響力の最高位にいたのだから、全国の教育に悪影響を及ぼさないはずがない。こういう事態を避けるには文部省の地方分散が望ましい。分散化しても悪い事態は発生し得るがその影響は県内に止まる。むしろ地方同士による競争効果が期待できる。
 大学、高専など全国に開放された機関への予算配分は予め設定された計算方式に基づき実行する。計算方式は政治家、学校当事者、民間の代表により作成する。大学、高専の運営も地方に任せる。中央は一切口を出さない。評価機関はあってもよい。権限を持たず評価するだけだ。
 地方相互間の交流、連絡、協力、競争はインターネットをはじめとするCbyC技術により、江戸時代とは隔絶した効率で実行できる。「米百俵」まで遡らなくても、多くの優れた教育物語が地方から聞こえるようになるだろう。
 
 アメリカは州の独立性が強く法律も個別の部分がある。これが州間の競争を促し経済を発展させたという。同じことを日本が江戸時代にやっていた。藩は独立国に近く、独自に教育と産業の振興に熱中したのである。藩間競争による日本の水準向上が明治の近代化を実現させたのだ。
 コミュニケーション革命を機に地方間競争に戻ってみてはどうか。過度の中央集権は政治の失敗の被害を拡大してしまう。地方間協調には十分発達した情報基盤を使うことができる。
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