ピアチェーレ室内合奏団第2回演奏会

  「『大地の歌』〜室内楽で聴くマーラーの交響曲」について

                     (運営委員を代表して)

 『第5』と『大地』。いずれも、マーラーの作品の中でも広く知られている作品です。

 マーラーは未完を含む10曲の番号付き交響曲と、『大地の歌』と名付けた番号無しの

歌付き交響曲で、自らの心情をその溢れる才能を用いて吐露しています。彼の交響曲は

いずれも大編成の管弦楽によって演奏されますが、それは前述の目的を達成する為の必要

不可欠な手段であって、当然の事ながら、見かけ上の効果ということが目的だった訳では

ありません。

 つまり、彼の作品は、当たり前と言えば当たり前ですが、オリジナルの編成で演奏する

ことが、彼の意図し、産み出した音楽を再現する上で最も適しているのです。

 ではなぜ我々はあえて、彼の作品を室内楽という、大編成の管弦楽とは比較にならない

ほど小さな編成で演奏することに挑むのか?これは当然と言えば当然の疑問でしょう。

 しかし、分厚いオーケストレーションを最低限の音楽的骨子に削り落とすことで、彼の

本当に言いたかったことにかえって近付き易くなるのではないか。さらに、室内楽という、

数々の演奏形態の中でも最も演奏者と聴衆の心理的距離が近くなる、ある種スリリングな

編成で演奏することは、小編成による演奏で浮かび上がった彼の音楽と言葉と魂を、

(奏者と聴衆が)より共有しやすくなるのではないか。そんなことを考えて、我々はあえて

この高山の征服を決意したのです。

 作曲者の選択した演奏形態(編成)が最良と考えるのは当たり前、というような意味の

事を前に述べましたが、そのような考え方自体、実は比較的最近のものであり、過去の

作品を都合良くアレンジする事は古くから当たり前に行われていたことなのです。当の

マーラー自身もバッハの作品に対し、編成を大きくし、さらに別々の組曲から楽章

(舞曲)を抜粋して一つの組曲にする、という大胆なアレンジを行っています。他にも、

シューベルトの弦楽四重奏曲『死と乙女』を弦楽合奏用にアレンジしているのは有名

ですし、ベートーヴェンの『第九』にだって大胆なアレンジやカットを敢行しています。

それは彼が、彼の信条と音楽性からそれが最も演奏効果があると考えて行ったからであって、

彼自身にはそれらの曲を冒涜しようなどという考えは毛頭なく、むしろそのような大胆な

アレンジによって原曲の良さが伝わり易くなると考えたからに違いありません。それを

考えれば、オリジナルの編成で演奏することが尊重されるのは当たり前としても、そのこと

だけが良くて、他の形態ではだめ(=作曲者の意図が全く伝わらない)と決めつけるのは

危険ですし、シェーンベルクが『大地』をこのような編成にアレンジしたのも、我々が考え

たのと同じ理由であったかどうかは別としても、やはり何らかの意図あるいは理由があって

こそのものだと思うのです。

 話が少しそれましたが、『第5』も『大地』もマーラーのメッセージが色濃く出ています。

『第5』のアダージェットは妻アルマへの愛の告白だという説もありますし、『大地』に

込められた深い死生観、諦念についてはいまさら述べるまでもないでしょう。それらの

メッセージを掘り起こし、我々なりに咀嚼し、我々の中でそして聴衆の皆様と共有するには、

この編成はむしろ最適だと思います。

 我々の演奏を通して、マーラーのメッセージが皆様に伝われば、これほどの喜びはありま

せん。一人でも多くの方々に我々の演奏を聴いて頂きたいと願っています。

                        (記:佐々木、2000年12月23日)

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