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雑記帳(off time編)

     このページの作者、chachakyの独り言です。お暇な方、chachakyの本音を知りたい方はどうぞ。
     日記を書ける程まめじゃないのでそんなに更新しないと思います(^^;)

     

こちらでは、off timeについての話題を集めています。

       FILE  1 なぜHPを作ったか(2000.4.1)

          2 ホンとにみんな見てるの?(2000.7.12)

          3 iMac来る!(2000.8.4)

           4 父のこと(2003.3.30)

           5 柳昇師匠よ、永遠に(2004.1.25)NEW


FILE 5:柳昇師匠よ、永遠に  (2004.1.25)

 父が亡くなった話のすぐ次にこの話を書くのもどうかと思うのだが、やはり書いておきたい。

 春風亭柳昇師匠。昨年6月に亡くなった、現代落語の名手である。

 とはいっても高座で噺しぶりを見ていても全然偉そうな感じはない。師匠の噺しぶりを見ていると、

なんかこちらものんびりしてきて、あったかい気持ちになったものだ。あの独特の間といい、飄々とした

噺っぷりといい、言葉では表しようのない、なんともいえない雰囲気を持っている噺家だった。

 「え〜、わたくしは春風亭柳昇と申しまして〜、大きなことを言うようですが春風亭柳昇と言えば今や

我が国では〜・・・私一人でございます」というあの有名な口上。あれで一気に柳昇ワールドに魅せられて

しまった人も多いと聞く。私もその一人だ。子供の頃、『花王名人劇場』や『笑点』で見た師匠は、それは

もうまるでスーパーマン、というかスーパーおじいちゃん(失礼)であった。その時に感じた憧れや尊敬の

思いは今でも変わらない。

 落語通の方、なかでも古典落語好きの方にとっては、師匠はそれほど大きな存在ではないという人も

いるかもしれない。たしかに(古今亭)志ん朝師匠のような、上手く言えないがなんかこう、圧倒的な

勢いというようなものはなかった。常に脱力して噺をしている感じも、取りようによっては不遜な感じを

受けた人もいるかもしれない。でも、柳昇師匠がいなかったら、今ただでさえ減っている落語ファンでは

あるが、とっくに今の半分くらいになっていたのではないだろうかとすら思える。

 昨年末、テレビでの追悼特番を期待していたのだが、残念ながらラジオでしかやっていなかった。あの

なんともいえない柔和な表情で話す柳昇師匠の「結婚式風景」を、もう一度映像で見てみたいと切に思う。

FILE 4:父のこと  (2003.3.30)

 父が亡くなった。

 本当に、「ある日突然」という表現がぴったりな、小説かドラマのような出来事だった。

 真夜中に家の電話と携帯電話が交互に鳴り続けているのを相方(妻)が先に気づき、私を起こした。

 寝ついてから1時間弱しか経っていないのに起こされた、まだ朦朧とした頭で電話に出ると、動転した

母の、悲鳴のような声が聞こえてきた。ただ事でないことは事情を聞かずとも瞬時に理解できたから、

走れば1分もかからない距離なのにもかかわらず車を飛ばしていった。でもそのときはまだ、母から

決定的な言葉を聞いていなかったし、過去に1度だけだが急病で倒れた父を救急車代わりに車で病院へ

連れて行ったことがあるから、今回も同じ事だろうと思っていた。でも、実家に入った私の目に飛び込ん

だのは、すでに誰の手にも奇跡の起こせない状態になっている父の姿だった。

 * * * 

 そこから先は、この場で語るにはふさわしくないので省略したい。

 * * * 

 事実の検証が終わり、息つく暇も無く仕事場や親戚縁者への連絡、諸々の手続きを終え、さあ寝ようかと

いうことになったのは、あの電話から24時間後だった。

 その日から始まって、小さな箱に入って家に帰ってきた日までの1週間の間、通夜に家族3人で文字通り

一晩中父の思い出を語った時間を除いて、まさに悲しむ暇もない位の日々だった。季節柄、斎場の都合で

1週間もかかったが、本来はせいぜい3〜4日だそうだから、きっとこれでも楽なほうだったのだろうと

思うが、さすがにこればかりは経験が無いから分からない。(2年前に亡くなった伯父=父の兄のときも

2月で、同じような状況だったのだ)

 その伯父であるが、その時は父が実質的な喪主となって葬儀を行った。今思えばその時の経験が無かったら、

私は右も左も分からず、ただただ呆然としていただけだったろうと思う。伯父には失礼だが、父の後始末を

一応は滞りなく終えることができたことの一つの要因は、伯父があのタイミングで逝ってくれたことだと

思えてならない。

 * * * 

 父が亡くなった事実に接したのは日付が変わった後だが、実際に逝ったのは日付が変わる前だった。

その前日、父は両親(私の祖父母)に会い、帰りの足で私たち家族に会いに来た。孫(私の娘)の

桃の節句を祝いに。

 逝った当日は会社で大きな会議があったそうだ。帰宅した時には遠方に嫁いでいる娘(私の妹)と、

一番下の弟(同、叔父)へ電話している。偶然ではあるが、まさに「ほうぼうに挨拶してから」逝って

しまったのだった。

 告別式で母の代わりに遺族挨拶に立った私は、「逝くまでに人様の手を煩わせることもなく、誰にも

最後の瞬間を見せず、不平不満の一切を心の内にしまいこみ、深夜に一人で、まさに眠るように

旅立ったさまは、父の人となりそのものであると思えて仕方がない」と言ったのだが、その言葉には、

そんな裏づけとなる事実があったのだ。

 * * * 

 父が逝った日の夜のことだ。私は会社で部長から漢字検定の問題集なるものを手渡され、冗談半分で

解いてみた。正解率はたしか7割程度だったろうか。読めない漢字を飛ばしながら、心の内で「こんなん

じゃあ、親父に怒られるだろうなあ」と思いながら解いたのだ。時刻からいってそのときはまだ帰宅前

だったようなのでいわゆる虫の知らせではないのだが、かといって普段はそんなことを考えることは

ないから、やはり不思議なものを感じずにはいられない。

 * * * 

 こんなことを書きながらも、未だに私の中で事実として受け止めきれずにいる。残業していると

携帯電話が鳴って「まだ仕事か?いま美浜(近所の飲み屋)にいるんだけど来られないか」という声が

聞こえてきそうなのだ。だいいちいくらなんでも早すぎる。あれだけ仕事に打ち込んでいたのに、

定年前の最後の大仕事と言っていたプロジェクトを完成させずに逝ってしまうとは。はたちになったら

二人で飲もうね、と1歳半の孫にしつこく乾杯を教えていたのに。

 私にだってこれからを期待していたことはあった。どうしてヴァイオリンを弾きたかったのか、

なぜそれを諦めて私に習わせたのかを、父の口から直接聞いてみたかった。仕事のことだって、

職種は違うけれど勉強になる話がもっともっと聞けるはずだった。特にこれから先、5年後、

10年後の私にとって勉強になる話が・・・。信頼する上司はいるけれど、彼等をもってしてもやはり

ある分野においては父には敵わないのだ。そうまで思っていながら、なぜ今までもっときちんと

親父と話をしなかったのだろうかという後悔もある。

 * * * 

 今は、毎晩実家へ寄ってから帰る日々だ。四十九日忌までに遺族が功徳を積み、追善供養をしないと、

良いステージ(正式に何というのか忘れてしまったが要するにそういうことだ)で仏に生まれ変われない、

というのが仏教の教えだそうだからだ。私自身は仏教徒ではないけれど、少しでも父のためになるのなら

と思って、毎日お焼香をしている。酒も、白木の位牌の前で家族と共に飲むとき以外は口にしていない。

 * * * 

 本当に実感が湧くのは、納骨が終わり、祭壇が片付いて、実家には位牌があるだけになってからなのだ

ろう。いや、もしかしたらもっと後かもしれない。家庭や仕事のことで困ったときや苦しいときになって

初めて、父を失った大きさに気づくのかもしれない。

 いや、そればかりではない。クラシック音楽は全く分からないにもかかわらず、それでも私が団員として

出る演奏会を欠かさず聴きに来て、しかも一度もうとうとすることもなく聴いてくれたことを考えれば、

きっと演奏会の度に父のことを思い出すことになるのだろう。もっとも生前は、本番の後に一緒に聴きに

来た人たちと飲む酒が楽しみなのだと私には言っていたのだが。

 父が喜ぶような(そして、聴いた後の酒が美味しくなるような?)演奏が出来るかどうか。それも

これからの私の新たな課題となっていくのだろう。

FILE 3:iMac来る!  (2000.8.4)

   ついにやってきました、待ちに待っていたこの日が。今まで何度となく処理速度の遅さ、メモリ不足とそこからくる

  度重なるフリーズの嵐に泣きながら耐えてきた日々に、ようやく別れを告げられました。メールソフトが使い慣れた

  EudraからOutlookに変わってしまったのは残念だけど、そちらはそちらで使いやすいし。え、もちろんwwwブラウザは

  ネスケっすよ!(なら何でメールソフトもネスケにしないんだと言われそうですが…)

   まあしかし、68kがPowerPCになろうが、ボディがパソコンぽくなくなってしまおうが、やっぱりMacはMac。この、

  まるで人間と会話しているかのような(と言うと大袈裟か)操作性の心地よさ。これは使った人にしかわからんでしょう

  ねー。癒し系だの地球に優しいだのが流行り出す何年も前から「人に優しい」という言葉がぴったりだっただけあるよなあ。

  少なくともパーソナルユースに限って言えば、シェアだけで選んじゃいかんですよ、というのが私の今も変わらぬ持論で

  あります。

FILE 2:ホンとにみんな見てるの?  (2000.7.12)

   いやはや、ぼ〜っとしているうちにカウンタがいつのまにか398!あんまり自分では空けないので、いったいどこの

  どなたが空けていらっしゃるのだろうか、もしや突然クレームとか来やしないかなどと、戦々恐々の日々であります。

   そうはいっても結局何の反応もないので、このタイトルのような気分になったというわけです。ま、別に世の中に対して

  何か訴えかけたいとか、大企業の製品にクレームつけようとか、世界のみなさんのお役に立つような情報を提供しようとか

  いうわけでもないから、いいんですけどね。でもメールきたこと一度もないしねえ。まあしかし、着実に数は増えている

  ので見られているということなんでしょう。

   そこで、カウンタ400もうすぐ突破するだろう記念ということで宣言。長らく工事中だった「chachaky's select」の開

  設と、あわせてトップページのレイアウト変更を500カウンタ到達までにやります。いつになるのかなあ、と思ったあな

  た、時期を早めて私を苦しめようと思うなら毎日このページを訪れてせっせとカウンタを上げることですな。はっはっは。

  …会社のHPも作らなくちゃいかんのになあ…。

FILE 1:なぜHPを作ったか  (2000.4.1)

   なぜなんでしょうねえ。今となっては自分でもよくわからない(^^;)。

  経緯はというと、so-netのu-pageが無料になったという知らせが来て、無料ならやってみるか、と始めた…という何とも

  単純な話です。しかもしばらくは最初の1ページだけを作り(しかもso-netのHPで簡単に作れてしまう)ほったらかしに

  しておいたという、これまたなんともやる気の無い展開だったわけであります。

   しかし、それでもページの存在を知る数少ない人達から「更新しないの?」と言われ続け、また先にページを開設して

  いた友人に「元来筆まめなので今後は水を得た魚のように展開していくだろう」などとHP上で紹介されるに至り、ようや

  く2ページめを作るに至ったのでありました。

   そうこうするうちに、新しい団体(ピアチェーレ室内合奏団)設立と演奏会開催が決まり、よせばいいのに「HP作る

  ぞ!」と決意してしまう。で、今ではそちらの方(とりわけ団員用ページ)が本家よりも充実しているという有様。ま、

  気長に頑張りますわ。


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