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↑どうもマウスで字を書くのは苦手だ(^^;)

コンサートマスターとはどうあるべきか?
私chachakyが日々考えるそんな疑問と
試行錯誤をありのままに
書き綴って参ります。
目次
1.まえがき
2.定義と役割
 

1.まえがき

 私が所属していた大学オケには、代々のインペク(インスペクター)に伝わる「インペクマニュアル」があった。なにせ門外不出なので読ませて頂くことはおろか現物を拝ませて頂くことすらなかったのだが、仕事内容や心得などをまとめられたその冊子が、作成した先輩が卒業して後何年にも亘って引き継ぎ書類の一つとして手渡されてきていたことに感嘆し、また羨ましくも思ったものだった。それで私も大学3年生の終わりに、2年間のコンマス業の最後の仕事としてコンサートマスター=コンマス向けのマニュアル、題して『コンマスマニュアル'92』を作った。先日、卒業後12年(執筆後13年)になろうかというのにまだ受け継がれていると知ってさすがに驚いた。実を言うとどんな内容だったか細部に関しては思い出せないのだが、おそらく今読んだら赤面するような間違いもあるだろうし、間違いとは言わずとも12年前と今とでは当然見解が変わっている部分もあるだろう。そんなわけでこのページは、『コンマスマニュアル'92』の全面補筆改訂版を作成するつもりで作ってみようと思う。

 ・・・とまあ大上段に構えて書き出してはみたのだが、今回はマニュアル的要素だけではなく、私の個人的な「コンマス論」や悩み、試行錯誤なんかも書いてみたいと思う。私の人生の終わりまで完成することなく、更新され続けていくことになるだろう。まあそれはともかく、そういうことを書いていくことで「コンマスとは何か?」という問いの答えを発見し、まだ見ぬコンマスの理想像に一歩でも近付ければと思うし、もしアマオケのコンマスを目指す、もしくは現在その職責におられる方の何らかの参考になればと思いながら、少しづつ内容を増やしていきたい。

(Jan.26th&May 30th,2005)

2.定義と役割

 先日、白金フィルの副団長・T嬢からメールがきた。曰く、いま白金フィル用語集を作っているのだが、コンマスの項について検討グループで叩き台を作ったから意見を聞かせて欲しい、というものだった。

 そういえば、「まえがき」で書いた『コンマスマニュアル'92』も、定義で始めた。そもそもコンマスとは何ぞや、ということである。

 何かを論じようとすれば前提条件を明らかにしておかなくてはならないわけだから、それは当たり前かもしれない。

 でも、用語集にのせるコンマスの説明は定義に加えて役割、資格要件なども書かなくてはならない。なぜならそれは「白金フィルの」用語集に載せるものであって、白金フィルが作る「オーケストラの(一般的な)」用語集、ではないからだ。つまり私がここで何年もかけて少しづつしか書けないだろうと覚悟している内容を、たった数行でまとめる、というとんでもないことなのだ。定義を書くこともそうそう簡単ではないのである。

 それはともかく、そういえば『コンマスマニュアル'92』ではどんな風に書いたんだっけ。

 たしかこんなふうだった。

 「concertmaster(英・伊) Konzertmeister(独) 第1ヴァイオリンの首席奏者が務めるが、第1ヴァイオリンの首席であると同時に弦セクションおよびオーケストラ全体の首席奏者でもある。卓越した演奏技術と共に高い音楽性、人格を求められる。指揮者が音楽作りを行うのに対して、コンマスはアンサンブル作りが主な仕事であり、指揮者の補助として、時には指揮者の代わりに、アクションによって拍を明示する。」

 手元に残っていないので、もしかしたら定義の項では書かなかったことも多少含まれているかもしれないが、少なくともマニュアル全体を通しては書いている。

 先日私がT嬢に宛てて返送した、叩き台へ加筆・修正した定義(説明)はこうである。

 「【コンサートマスター】1stヴァイオリンのトップが務める。自パートは元より、弦楽器全体ひいてはオケ全体を音楽的にリードしていき、かつ指揮者の指示を的確にオケメンバーに伝える役割を担う。その為第二の指揮者などとも呼ばれるが、指揮者もまたコンマスとの情報交換を通じて指揮をするという一面もあり、必ずしも副指揮者的な役割のみとは言えない。」

 私の中で上記二つは全く矛盾しないが、同時にどちらも言いたいことを伝え切れていないように感じている。うまい表現が見つからなかったり、文字数を考えて削ったりしているからだ。うまく二つを足していい文章を作れればと思う。

 ここで定義の話から役割論に移ってしまうが、既に役割に触れられているのでお許し頂きたい。

 まず、上記のうち一番目に出てくる「指揮者は音楽を作り、コンマスはアンサンブルを作る」という表現について。

 実はこれは、それこそもう15年以上も前の話になるが、当時NHK交響楽団のコンマスだった徳永二男氏のお話を、私になりにアレンジしたものである。全日本大学オーケストラ大会という、大学サークルの管弦楽団が集まってのフェスティバルがあったのだが、そのレセプションで直接私が伺った話の中で出てきた言葉だ。当時の私はパーティーのマナーなど全く知らなかったし、先輩に「まだ帰ってくるな(=もっとお話を伺ってこい)」というサインを出されていたこともあって、徳永さんからずっと離れずに様々な質問を浴びせていた。内心かなりうんざりされていたと思うけれど、そもそも私が伺うまでは「あの」徳永さんということで畏れ多くて誰も近寄らなかったせいか全ての質問に答えて下さった。今となってはそこまでする勇気も度胸もないので、いい経験になった。

 話が逸れたが、その時に徳永さんがおっしゃっていたのは「指揮者は音楽をやり、我々はアンサンブルをやる」というものだった。棒の見方とか、ザッツの出し方、リードの仕方というような話の中から出た話だったように思う。指揮者の棒に合わせて音を出す、というのが大原則、というよりそれがほぼ全てだと思っていた私には驚きだった。そうか、大学オケに入りたての頃、トレーナーの先生に「楽器は弾けてるから、これからは(指揮)棒の見方を覚えなさい」と言われたのはもしかしたらこのことだったのか、と両者が漠然とではあるがつながりかけた瞬間でもあった。とはいえその時の私にはその話をさらに深めていけるだけの知識も経験も話術もなかったので、ここから先は徳永さんのおっしゃったことではなく、私の後付けの解釈だ。

 確かに指揮者は棒で曲の開始と終了を示し、曲のテンポを提示し、テンポの変化を指示する。拍子が複雑な曲では「今、何拍目ですよ」という指示が明確になり、その回数も多くなる。場合によっては交通整理の巡査よろしく、各楽器にキュー(出番の指示)を出す。そういう仕種を見れば、指揮者はアンサンブルも含めて「一切の権限を握っている」と思われても不思議ではない。

 しかし、そういうのは指揮者の仕事のほんの一部に過ぎない。しかもオケ全体に関わることに関してはやっているが、逆に各楽器間の連関などというのはある程度オケに任せている。その任されたオケの頂点にいるのがコンマスなのだ。もちろん音楽の流れがあるのでどの箇所もコンマス、ということはないのだが、一応はそうなる。そして指揮者は本当はそういうところをなるべくオケに任せて、もっと音楽的に深い、というと誤解されてしまいがちだが、要は音楽の技術面ではなく表現面に関する部分について、リハの時間を割きたいと考えているのである。最も分かりやすい例で言えばダイナミクスの調整は技術面のことでもあるがそれ以上に表現=解釈から直接反映されるものであるから、そこが重要になってくるのだ。

 対するアンサンブルも勿論表現と密接なかかわりをもつけれども、基本的にはお互いがザッツを揃え、音楽的に適切なテンポを維持し、様々な音楽上・演奏上の決まり(様式等)に従って演奏することという、技術的な要素が占める割合が大きい。しかしそれは、相手がこう演奏したらこちらはこう演奏するというような、キャッチボ−ルのような、対話のようなものが重要で、極めて創造的な行為でもある。そしてこれは、こと演奏者間の営みについては指揮者がどう頑張ったって、曲を指揮している最中に出来ることではない。おそらく徳永さんはこのことを言いたかったのではあるまいか。ほんの少し、「ここは棒振りには立ち入らせない俺達の領分だぜ」みたいなニュアンスもこめて。

 二番目の定義に出てくる「指揮者もまたコンマスとの情報交換を通じて指揮をするという一面もあり、必ずしも副指揮者的な役割のみとは言えない」という部分に付いても、上のことが含まれている。つまり、コンマスのアンサンブル能力を信じているから、指揮者は場合によってはコンマスを見ながら棒を振る。棒がコンマスにつけているという状態である。

 この文でもう一つ大事なことは、それに似ているが若干異なることだ。

 指揮者とコンマスとの関係は、野球におけるバッテリーの関係に似ている。指揮者はピッチャー、それも監督兼任だ。キャッチャーを務めるのがコンマス。

 まあ野球も昔と今とでは違っているから、当然キャッチャーの役割は変化している。ここで例えとして想定しているのは現代野球におけるキャッチャーである。

 彼等は配球の組み立て、守備陣形の指示といった基本的かつ重要な仕事で卓越した頭脳を発揮しているだけでなく、打撃センスも一流だし、もちろん肩も強い。以前は「キャッチャーは相手の攻撃をインサイドワークで抑えてナンボ、打つ方は2割5分もいけば御の字」だったのが、今はインサイドワークは当たり前、その上でどれだけ打撃で良い成績(3割打てるか、ホームランは・・・)を収められるかというのが一流の尺度になっている。

 もう一つ、彼ら一流のキャッチャーは監督の戦術、さらに言えば考え方をよく理解していて、インプレーのグラウンドでは監督の代行、文字通り現場監督として他の選手に接している。それだけでなく監督やコーチに対しても、疑問点があれば確認し、間違っていると思えば衝突を恐れずに意見を述べる。また彼らは逆に監督から意見を求められることもある。

 コンマスとは、彼らのようなキャッチャーに例えられるのではないだろうか。指揮者の解釈や意図をよく理解し、指揮者同様音楽全体の流れを感じ取って、次の指示をオケに出す。オケはコンマスを見てアンサンブルをする。指揮者もコンマスを気にしながら、時にコンマスに合わせて振る。いいコンマスはそれらがうまく機能する為に、自パートはもちろん、他のパートの音をよく聞いているし、弾く前の準備=曲全体の勉強もしっかり行っている。だからこそオケにも指揮者にも信頼−時には尊敬−されるし、コンマスの意見に耳を傾けるのだ。

 もちろん人間同士のことだから、相性とか好き嫌いはあるし、そういったことが演奏に影響しないとも限らない。だから人付き合いは上手な方がいいし、それが無理でも誠実さなり明るさなり、とにかく演奏面以外で何かしら人に好かれるものを持っているべきだ。高い人格が求められる、というのはそういうことで、なにも聖人君子たれというのではない、と私は解釈しているが、同じ表現をコンマスの定義に使っている人は多いので、皆そういう意味で使っているのかどうかは解らない。

 私の理想とするコンマス像は、ここに出発点があるのでした。

(June 4th&Sep.30th,2005)

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