| 私の声 インデックス |
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1998年 1月 26日 生体肝移植ブーム 実績づくりに奔走する大学病院
1997年 12月 9日 患者主導のインフォームドコンセント 「手術理解書」のすすめ
1997年 9月 17日 どうやって止める? 日本医師会の暴走
1997年 8月 24日 ステロイド薬害と私の娘のアトピー皮膚炎治療
1997年 7月 22日 診療報酬監査特殊法人を放置する市民の責任
1997年 6月27日 何人殺せば気が済むんだ 厚生省 !! 高カロリー輸液欠陥問題
1997年 4月25日 「脳死は死」 臓器移植法案成立の意味するもの
1997年 3月16日 「こんなに多い医療過誤」の「医療機関索引」は、「危ない病院のリスト」か?
1997年 2月 3日 「こんなに多い医療過誤」に収録した報道記事の用語索引を拡充
1996年12月21日 GVHDに対して薬害AIDSと同じ対応を繰り返す厚生省
1996年10月 1日 日本での乳房温存療法の採用率が欧米の半分しかない理由
空を飛ぶ飛行機の安全性に客が疑問を持てば、航空機産業は成り立ちません。 飛行機が墜落し、その原因を突きとめられなかったり、再発防止対策を取ることができなければ、業界全体の死活問題につながります。 したがって、行政を含め、航空機業界の安全確保に対する取組みは徹底しています。
「事故調査専門家の養成・組織化」 「事故現場再現装置 (ブラックボックス、操縦記録装置、フライトシミュレーター等) の技術革新」 「事故を未然に防ぐための乗務員教育」 など、番組は実例を元に様々な事故対策を紹介してくれました。
一見すると、航空機産業と医療の間に、接点は、なさそうです。 果たしてそうでしょうか。 583人の死者を出した史上最悪の航空機事故を見てみましょう。
KLM機の機長は、経験豊富で技術に優れ、パイロットの教官さえ務めるような人物だった。 しかし、事故直前、かなり苛々した様子だった。
機長が一度エンジンを全開にしたとき、年若い副機長は 「機長、まだ離陸許可が出ていません」 と恐る恐る発言した。 「そんなことは、分かっている。早く、離陸許可を取れ」 と副機長を一喝する機長。 おびえた調子で管制官と交信する副機長。
そんな事実が、交信記録やブラックボックスの解析で明らかになった。 その直後、離陸を強行した機長を止めるものはなかった。
2人は、1度は治療法の変更を上司である安部英に進言しました。 しかし、それをはねつけられると、再度働きかけることはしませんでした。
どうです? 1977年、カナリア諸島で起きた大惨事と全く同じ構造でしょう。
現在、安部英を被告人とする刑事裁判が進んでいます。 安部英の責任は追及されるべきでしょう。 しかし、個人を責めるだけでは、事故の再発は防げません。
さて、1977年の大惨事以来、航空機業界はどうしたでしょう? 彼らは、その事故の原因を「機長ひとりの責任」とするのではなく、
「絶対的な権威を持った機長とその行動に反対できなかった副機長。としています。 そして、「乗務員同志の人間関係を円滑にするための教育プログラム」を実施することで、事故の再発防止を図ったのです。
この人間関係が史上最悪の事故を引き起こす原因となった」
その教育プログラムが実施される前は、機長と副機長、そして客室乗務員の間に身分の高低があったそうです。 教育プログラム実施後、「客室と操縦席との間にあった(心理的な)壁が取り払われた」と、スチュワーデスが発言していました。
医療界は、航空機業界が実施した事故再発防止の対策を取れるでしょうか? 1人の教授を頂点にする「医局講座制」という封建制度、さらに医師−薬剤師−看護婦−医療技師間の身分制度を解体しない限り、薬害エイズの再発は防止できないのです。
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