医療過誤裁判 私の場合 インデックス
最終更新日: 2004年05月28日、 アクセスした日: 10月20日

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「裁判は公開が原則」とはいっても、我々市民が裁判で公開されている情報に接することは、ほとんど不可能です。

そこで、私が巻き込まれた医療事故を基に、医師と患者の両者が学んで、よりよい医療システムを生み出すことを目的とし、裁判所に提出された書類をベースに情報を公開することにしました。


名古屋高裁 民事訴訟

2004年 5月 27日 (木) 13:00 名古屋高裁 1003号法廷
判決

患者の死因
手術に伴う出血を契機に、急速に腎不全に陥り、血液凝固因子の低下、血液止血凝固異常の出現、止血不能状態となって、DIC を誘発し、腎不全などの多臓器不全となったことによって死亡した。

病院の賠償義務
採血時のデータなど詳細に検討するとか、あるいは再検査してどちらの検査結果の方が信用性が高いかを検討することもなく、肝切除術を敢行した。
手術前の検査結果から肝切除術を施行すべきではなかったにもかかわらず、本件手術を施行した過失により患者を死亡させたもので、遺族に対し、不法行為に基づく損害賠償義務を負うべきである。

逸失利益
死亡した当時は無職であり、本件手術を施行しなかったとすると、腫瘍の直径が 2.1 〜 5.0 cm の場合の 5年生存率が 44.6% であることから、就労が可能で収入を得ることができたとは認められない。 生存期間につき年金を受領したとしても、生活費 60% を控除した金額は、遺族年金額を下回るので、逸失利益を認めることはできない。

慰謝料
肝切除術の適応がないにもかかわらず、本件手術が行われて患者が死亡したこと
腹腔鏡下切除術は、当時一部の大学病院において施行され始めたばかりの段階で、健康保険の適応もない状況で、この術式の適応や問題点が明確になってはおらず、試行的な要素もあったにもかかわらず、本件手術に先立ってこの点の説明をしていなかったこと
本件手術が行われず他の治療が行われた場合でも、本件手術が行われた時点から少なくとも 5年程度は生存が可能であったと推測されること
など本件に現れた一切の事情を勘案すると、慰謝料は 15百万円が相当である。

弁護士費用
2百万円が相当である。

遺族 (被害者の長男) 意見書

1995年 6月、父が医療事故で死亡してから、9年もの年月が経とうとしています。

父が受けた「腹腔鏡下肝切除術」は、慈恵医大青戸病院事件の腹腔鏡下前立腺摘除術と同様に、高度先進医療に指定されている治療法です。 現在、腹腔鏡下肝切除術の実施を承認された特定承認保険医療機関は、3つの大学病院しかありません。そのような手術が 9年前、しかも大学病院でもなんでもない半田市立半田病院で行われ、父の命が奪われたのです。

手術が先端医療であり、半田病院で 2例目の手術であるという説明はなく、「術後 1週間で退院できます」と、あたかも簡単な手術であるかのような説明を受け、父は手術を受けたのです。私たち家族への説明は、父が手術室へ送り込まれたあとでした。

父が亡くなってから病院へ説明を求めましたが、納得のいく説明は得られず、カルテの開示すら拒否されました。 父の医療事故は、院内で報告されもせず、「ICUで 1名亡くなった」という統計的な数字に隠されたのです。

提訴に至るまで 2年、1審判決まで 6年、本日の控訴審判決までさらに 1年。合計 9年もの間、私たちは苦しんできました。医療事故後、すみやかに事故原因を検証する仕組みがあれば、こんなに長い間苦しまずに済んだのではないかと思います。医療事故報告制度の早期確立を望みます。

被告の半田病院に対しては、「患者を尊重し、安全に配慮した医療をしてほしい」と思います。被告医師に対しては、「判決を真摯に受け止め、反省してほしい」と思います。

判決は、定年退職し、当時無職だった父が亡くなったことによる逸失利益を認めてくれませんでした。 定年退職後、自治会長を引き受けたり、菊を育てる会を作ったり、障がい者施設でボランティア活動したり、再就職に向けてワープロ教室に通ったりと、とても活動的だった父。 その存在価値を認めていただけなかったなんて、大変悲しいことです。 しかし、私たちの家族の中で、父の価値に変わりはありません。

父の医療事故をきっかけに、医療事故被害者の仲間とともに、「医療事故市民オンブズマン メディオ」を 1997年に立ち上げました。医療事故被害者の支援と患者のための医療システムを目指して、微力ではありますが、活動していきたいと思います。

私たちの力だけで、本日の判決を迎えることは到底できませんでした。私たちを支えてくれた医療事故被害者のみなさん、弁護士のみなさん、カルテの分析に協力していただいた心ある医師のみなさんに、この場を借りて、御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。


2004年 3月 4日 (木) 13:10 名古屋高裁 1003号法廷
第3回 結審


名古屋地裁 民事訴訟

2003年 3月 27日 (木) 16:30 名古屋地裁 1101号法廷 判決

残念ながら、原告の請求はすべて、棄却されました。


名古屋地裁司法記者クラブ宛に提出した原告のコメントは以下のとおりです。

  1. 判決は、患者が何故手術中に死亡したかの原因について、全く事実認定をしていない。
    医師側を擁護するために矛盾に満ちた内容となった鑑定書に従って、単に医師に過失がないとの弁解を採用しただけの判決で、患者側の真実解明の期待を完全に裏切るものであり、全く理解に苦しむ。

  2. 特に、医学文献では、平成7年当時、未確立の手術方法とされており、かつ、術者自身も2例目の腹腔鏡下の肝癌切除手術を実施するに当たっての、インフォームド・コンセントについて、患者が既に手術室に搬送された後に、初めて行った患者側への説明で、十分に説明義務を尽くしていると判断したことは、驚くべき判決内容である。

1997年 8月13日 私が医療過誤裁判の原告になるまで

1997年 9月 4日 第1回口頭弁論 被告は過失を全面否定

1997年 12月 4日 第2回、第3回口頭弁論 被告がカルテとビデオテープを提出

1998年 4月 23日 第4回、第5回口頭弁論 第1症例の外科診療録が行方不明

1998年 6月 4日 準備期日(1) 裁判官が被告に「無過失であることの主張」を求める

1998年 7月 23日 準備期日(2) 被告が、「死因は DIC のためとし、無過失」を主張

1998年 9月 25日 準備期日(3) 被告主張の矛盾を指摘

1998年 10月 29日 準備期日(4) 被告は、あくまでも DIC の発症を主張

1998年 12月 17日 準備期日(5) 1月 22日、手術のビデオを検証することに

1999年 2月 25日 準備期日(6) ビデオ検証結果を提出

1999年 4月 8日 乙 第28号証 被告医師 陳述書

1999年 4月 15日 第 6回口頭弁論 被告医師 主尋問 1

  1. 被告医師の経験
    肝切除術 50例以上 うち肝硬変患者 約 20名 DICによる術死 3〜4名
  2. 患者への説明は口頭のみ 診療録への記録なし
  3. 肝切除術の適応
    肝動脈塞栓療法・エタノール注入法・内視鏡下マイクロ凝固壊死療法との比較
  4. 腹腔鏡下手術の適応
    確立されているとは言えないが有力な治療 東海地方では例なし
  5. 腹腔鏡下肝切除第 1例 外科カルテを紛失
  6. 患者家族への説明が手術直前になったのは家族の希望
  7. 腹腔鏡下肝切除術の経過
    出血が多く開腹手術へ移行 手術の進捗について陳述書と矛盾する証言

1999年 6月 17日 第 7回口頭弁論 被告医師 主尋問 2

  1. 再開腹手術の経過
    術後ドレーンよりの出血続き再開腹 血液がしゃびしゃびの感じで止血困難
  2. 集中治療室での治療
    肝断端からの出血が継続 生血 7パックを輸血
  3. 再々開腹術の経過
    出血部位は、肝臓外の側副血行路だった
  4. 再々開腹術後の経過
    出血はおさまったが、腎不全・肝不全となり死亡
  5. 死因は播種性血管内凝固症候群 (DIC)
    1,767ml の出血で DIC を起こすとは予測しなかった
  6. DIC の診断基準に合致

1999年 9月 30日 第 8回口頭弁論 被告医師 反対尋問

  1. DIC は予想していなかった
  2. DIC の発症は予見できた
    DIC が起きると思ったら手術はしない
  3. DIC の予防について
    出血量の軽減と手術時間の短縮が重要
  4. 腹腔鏡下肝切除術の適応要件 「肝外発育型の腫瘍」 を欠いていた
  5. エタノール注入療法の適応について
    エタノール注入療法を選択していれば DIC になる危険はなかった
  6. 腹腔鏡による視野の悪さ
  7. 波凝固装置やアルゴンビームコアグレーターによる止血はしなかった
    側副血行路を損傷した
  8. 助手は、医師資格を得て 4年目、2年目の若い医師
  9. マイクロ波凝固装置、アルゴンビームコアグレーターがなく、使えなかった
  10. 死亡診断書や家族への説明に DIC を記載しなかった理由
    カルテにも記載しなかった理由
  11. 第 1回の手術が終了した時点での肝断面などの止血が不十分だった
    1,700cc の出血で DIC が起こらないという医学的な根拠は不明
  12. インフォームド・コンセント
    手術の内容を自分で決めてから、患者や家族に説明する
    亜区域切除が望ましいが、部分切除になるだろうことは説明しなかった
  13. 患者を手術室に移動させてから、家族へ手術について説明した
  14. 本件の手術後、腹腔鏡下での肝切除術はしていない
  15. 癒着をはがす処理
    肝臓と後腹膜の間の側副血行路を切断
  16. 脈管処理
    一番視野がいい状態で行われた最初の脈管処理で出血
  17. ビデオテープに記録した目的 珍しい手術なので学会発表も
    半田病院の態勢 半年前の学会で知った手術を独断で実行可能
1999年 11月 14日 甲第 25 号証 原告 (被害者の長男) 陳述書
  1. 父の思い出
  2. 内科 ・ H医師からの検査結果説明 (1995年6月1日(木))
  3. 外科医の説明を聞くため、半田病院へ (1995年6月6日(火))
  4. 外科・ K医師から手術の説明を受けた父との電話での会話 (1995年6月10日(土))
  5. 手術当日・朝 (1995年6月15日(木))
  6. 手術当日・ K医師の説明 (1995年6月15日(木))
  7. 「手術が終わった」と連絡 (1995年6月15日(木))
  8. 突然、輸血用献血者の要請 (1995年6月15日(木))
  9. 手術終了後の説明 (手術2日目 1995年6月16日(金))
  10. 止血手術開始 (1995年6月16日(金))
  11. 止血手術終了 (1995年6月16日(金))
  12. 意識が戻った父と面会 (1995年6月16日(金))
  13. 父の容体が急変 (手術3日目 1995年6月17日(土))
  14. 手術への疑問
  15. K医師に説明を求める (1995年6月27日(火))
  16. K医師からの診療報酬明細書の説明 (1995年7月13日(木))
  17. 腹腔鏡下手術の危険性
  18. 被告に望むこと
1999年 11月 10日 甲第 26 号証 原告 (被害者の妻) 陳述書
  1. 入院前の私たちの生活
  2. 検査入院 (1995年 5月15日〜)
  3. 癌告知 (1995年 6月 1日)
  4. 腹腔鏡手術への不安
  5. 手術当日 (1995年 6月 15日)
  6. 血が止まらない
  7. 翌日、再度止血手術 (1995年 6月 16日)
  8. 悲しい別れ

2000年 4月 18日 被告訴訟代理人 鑑定申請に関する意見書

2001年 3月 22日 鑑定書

2002年 7月 4日

    結審の予定でしたが、裁判所の意向でもう一度期日を入れることとなりました。 裁判官のうち、右陪席と左陪席が変更になりました。

2002年 9月 5日

    次回 10月 24日を結審とし、 10/17までに被告医師の陳述書を提出することになりました。

2002年 10月 24日

    被告側の陳述書は、弁論開始直前の 12:53 に Fax で弁護士事務所へ届けられました。その不誠実な対応のため、本来、結審のはずだったのですが、次回に延期されることとなりました。被告側弁護士が、「申し訳ありません」と言いつつも、反省する態度を見せていなかったので、閉廷後、「ヘラヘラ笑わないで、せめて申し訳そうな顔くらいできないのですか?」と尋ねたところ、「この顔は生まれつきなもので」と開き直られてしまいました。

2002年 11月 14日 結審

    3月 6日を判決言い渡し日とし、被告側からの反論は 12/16 まで。 その反論に対する原告側の反論は、12/末までと期限が切られました。

2003年 2月 7日

    期限切れにも関わらず、被告医師が陳述書を提出。

2003年 3月 6日

    判決の予定でしたが、期限後に被告が書面を提出し、裁判所が書面採用を決定したため、一旦弁論再開となりました。

2003年 3月 27日 判決


1997年 8月 13日
私が医療過誤裁判の原告になるまで

私の父(当時63歳)は、1995年6月15日、愛知県半田市立半田病院で腹腔鏡下肝切除術を受け、その2日後の6月17日、出血多量により亡くなりました。

入院する前の1ヵ月、父はゴルフコンペで優勝したり、グラウンドゴルフの県大会に出場したりと、いたって元気でした。 肝臓の検査をするために入院してからも、普通に生活していました。 その元気だった父が亡くなるに至った地獄のような3日間を私たち遺族は、一生忘れないでしょう。

「元気だった父が、なぜ死んだのか? 手術ミスだったのではないか?」 主治医に説明を求めましたが、納得のいく回答は得られませんでした。

知り合いの医師に尋ねたり、弁護士に相談したり、自分で調べたりしていくにしたがって、 「腹腔鏡下肝切除術が健康保険適用にならない先端医療であること」 がわかりました。 そこで、カルテや手術を録画したビデオテープを証拠保全し、細部を検討した結果、病院と手術執刀医に責任があると判断しました。

1996年夏、病院の管理責任者である半田市に対して示談を申し込みましたが、半田市は責任を認めず、解決には至りませんでした。

したがって、父の三回忌直後の1997年6月23日、半田市と手術執刀医に対する訴訟を名古屋地裁に起こしました。

提訴後、地裁で記者会見を開いた結果、確認できただけで当日夜のローカルニュース 3局 (NHK、東海テレビ、名古屋テレビ)、翌日の朝刊 5紙 (朝日、中日、読売、毎日、日経)に取り上げていただきました。

その記者会見に向けてマスコミに配布した文書、ならびに新聞から得られた情報を以下に掲載します。

9月4日(木)に、第1回口頭弁論が開かれます。

名古屋地裁は、被告に答弁書を8月中旬までに提出するように指示しましたが、まだ私の手元に届いていません。


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