医療過誤裁判 私の場合 原告 長男 陳述書 13 |
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1:30、眠っていると、突然電話の呼出し音が鳴りました。 病院からの連絡でした。 急いで、みんなで病院に向かいました。 このときの電話の呼出し音は、今でも思い出すことができます。 とても、恐ろしい体験を思い出させる音でした。 その電話の呼出し音は、私だけでなく家族みんな嫌で、その後、他の電話機に交換してしまいました。
1:45、病院に到着しました。 ICU控え室に他の家族がいたので、ICU控え室外の廊下で待機していました。 すると D医師がICUから出てきたので、父の状態を問い合わせました。 D医師は、 「血圧が低く、危険な状態です」 と答えました。 私は苛立つように 「低いって、いくつなんだ?」 と聞くと、 D医師は 「上が30。 K先生がもうすぐ到着するので、 K先生から説明を受けて下さい」 と言って、去っていきました。
2:00、 K医師が到着しました。 着替えてからICUに入室して行きました。
2:30、看護婦に呼ばれ、母と妹と私の3人がICUに入り、 K医師から以下のように説明を受けました。
K「出血はありません。
貧血も進んでいません。
ヒストクリプト? は、40から26に下がりました。
血小板輸血を10人分行ないました。
血小板は11万あり、正常に近い状態です。
ただし、夕方おしっこが出なくなりました」
私「夕方って、具体的にいつですか?」
K「(カルテを繰りながら)16:00ごろです」
私が
「夕方意識を回復した、と聞きましたが?」
と言うと、 K医師は、
「18:00から20:00ごろです」
と、説明を変更しました。
そこで、私は
「20:00ごろ、父三郎と面会しましたが、意識がありました。
そのころ既に、具合が悪かったのですか?」
と言うと、 K医師はドギマギしたような感じで、カルテを繰りながら、
「昼は出ていました」
と答えました。
私「どのくらい出ていたのですか?」
K「500cc くらい。
血圧は、20:00ごろから下がってきました。
高血圧剤を打っても、効果はありませんでした。
肝臓は、GOT、GPTの値が悪い。
GPTが夕方、5,200」
私「夕方って、何時ですか?」
K「夕方です。
GPT の正常時は40、肝硬変でも100。
すなわち肝臓が破壊されている状態です。
手術後、輸血していた頃、出血して低血圧になり、血液が肝臓に流れにくい時期があり、肝細胞がダメージを受けたのではないか? 肝不全の状態です。
CPK(τ) - 筋肉が腐った値 - が、14,000です。
正常時は200以下。
血液中の老廃物が腎臓につまって、おしっこが出なくなる。
急性腎不全です。
血液中カリウムが 8.2。
正常時は 3 から 5。
7以上だと、突然心臓が止まる。
おしっこから出ない。
おしりから、カリウムを吸着するものを入れて、下げようとしている。
つまり浣腸のようなものですが、効果はあまりない。
意識はない。
夕方、体動が激しくて、反応していたので、鎮静剤を流し始めました」
私「腹腔鏡を使わずに、最初から開腹していれば、父は助かったでしょうか?」
K「別の方法を使っていれば、違う結果が出ていたかもしれない」
母「先生、奇跡は起こりませんか?」
K「あきらめないで続けます」
3:15、 K医師の説明後、妻・妹の夫・叔父・従兄弟を加えた 7人で、ICUの父と対面しました。 父の体は、だらっとしており、瀕死の状態であることがわかりました。
私は、 「20:00 ごろは、父の意識はあった」 と言うと、 K医師はカルテのグラフを見ながら、 「22:00 血圧が降下し始めた。 上が100 あった。 0:00ごろ下がって90くらい。 0:30 70 くらい。 22:00 、GPT が 5,200 になった」 と微妙に説明を変更しました。 血圧計の値は、上が 25〜30、下が 18 でした。
K医師から、6月16日夕方呼吸器をはずすのに失敗したことについての説明はありませんでした。 K医師は、20:00ごろ父が意識を回復していることを知らなかったようでした。
母が 「ずっとここで付いていたい」 と言うので、そのようにできないか、私は K医師に相談しました。 すると K医師は、 「ICU内には他の患者もいるので」 と言うので、 「何とかなりませんか?」 と頼むと、 K医師は、 「ICU内に個室があるので、そちらに移れます。 ただし、移動中、呼吸器を停止させるので、危険が伴います」 と言ったので、私は 「個室を使わせてください」 とお願いしました。
3:45、ベッドをICUから、ICU内の個室に移動している間、一旦ICUから退出しました。
4:00、父の容体が悪化した (脈が弱くなった)との連絡がありました。 みんなでICU内個室に入室しました。 計器が「ビービー」異常音を立てる中、看護婦が計器から異常音が出ないように、スイッチを押していました。 強心剤と思われる注射を何本か打った後、 K医師は、心臓マッサージを始めました。
K医師が心臓マッサージの手を休め、 「続けますか?」 と尋ねました。 母は、 「もういい」 とつぶやきましたが、私は K医師を責める気持ちでいっぱいで、父を生き返らせるのはあなたの務めでしょう、という気持ちから 「続けて下さい」 とお願いしました。 しかし、心臓マッサージも効果はなく、 K医師は 「ご臨終です」 と死を宣告し、時計を見て、 「4時15分」 と言いました。
父とのお別れをどのようにすませたのか、よく覚えていません。 元気だった父が、どうしてこんなことになってしまったのだろう、という割り切れなさで一杯でした。 手術ミスで亡くなったのだから、警察に連絡するほうがよいのか、解剖を頼んだ方がよいのではないか、と考えました。 しかし、 K医師の説明は、止血ミスを認めるものだったので、反省してくれるだろうと思っていたことと、父の前で争いごとは避けた方がよいような気がして、実行に移せませんでした。
5:15、父を霊安室に運ぶエレベータの中で、私は K医師に 「父の手術でいろいろな教訓が得られたと思います。 この経験を今後の医療に役立ててください」 と言いました。 K医師の胸を叩き、彼を責めたい気持ちで一杯でしたが、彼が反省し、この失敗をこれからの医療で生かせるように彼が変わってくれることを祈り、とても婉曲な言い方をすることを選びました。 K医師は黙って下を向いていました。
続く
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