医療過誤裁判 私の場合 原告 長男 陳述書 12
最終更新日: 2002年09月16日、 アクセスした日: 12月14日

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1999年 11月 11日
甲第 25号証 原告 長男 陳述書 12

12. 意識が戻った父と面会 (1995年6月16日(金))

母と妹と妻と私の4人は自宅を出、19:30ごろ半田病院に到着しました。 すると、父方の叔父と従兄弟が既に到着していました。

19:45、私は、叔父と従兄弟と3人で、ICUに入り、父と面会しました。 すると、父の意識が回復していました。 そこで、ICU控え室で待っていた母と妹と妻を呼び、全員でICUに入室し、父と面会しました。

父は、ひとりひとりの顔を識別できるようでした。 そして叔父と従兄弟の顔を見たとき、父の目から涙が流れました。 遠くからやってきた叔父と従兄弟を見て、自分が置かれている状態に気が付いたのでしょうか? 父には人工呼吸器が装着されていたので、父は話をすることができませんでした。

私が父に顔を寄せて、 「康一だよ。 わかる?」 と言うと、父はうなずいてくれました。 母や妹に対しても同様でした。 母が 「痛いの?」 と聞くと、首を横に振りました。 何か喋ろうとして、数回頭を円を描くように回してあたりを見ようとしました。 母が 「何か言いたいの? 今、集中治療室の中だよ」 と答えました。 ものを言えない父が可哀相でした。 筆談で話そうかとも考えましたが、筆談用の道具などありませんでした。

私はICU看護婦に、 「いつ意識が戻ったのですか?」 と聞きました。 看護婦は 「夕方17:00ごろです」 と答えました。 私が 「輸血用血液は、まだ必要ですか?」 と聞くと、 「あと1パック残っています」 と答えました。 私が 「それで足りますか?」 と聞くと、 「急変しない限り大丈夫です」 と答えました。

父の血圧は、最初の頃80〜30でした。 ところが、みんなの顔を見て興奮したのか、上が120にまで昇ることがありました。 急激に血圧が上がると、危ないのではないかと思い、私は母に、 「母さん、長くなると良くないから、もう戻ろう」 と言いました。 母はまだ父と一緒にいたそうでしたが、 「お父さん、外で待ってるからね、頑張ってね」 と言い残し、みんなと一緒にICUを退出しました。

20:15、一旦ICUを退出してみたものの、看護婦の 「急変しない限り大丈夫」 という言葉が引っ掛かり、 「 K医師から説明を求めたい」 と考えました。 その旨を看護婦に伝えたところ、 「当直医の D医師から説明を受けられる」 ということだったので、母と2人で再びICUに入室しました。 K医師は不在だったのです。 そこで D医師に会いました。 D医師は、昨夜21:00ごろ、ICUですれ違ったときに 「担当医に聞いてくれ」 と言い放った女医でした。

D医師は、父の経過をあまり把握しておらず、カルテを目で追いながら私の質問に回答していました。 D医師は、父が意識を回復していることすら知りませんでした。 D医師は 「呼吸状態は良くありません。 夕方、呼吸器をはずそうと努めたのですが、うまくいかず、元に戻しました。 輸血量が多かったので、肺や腎臓に影響があるかもしれません。 予断を許さない状態です」 と説明してくれました。 私が 「夕方って、何時頃ですか?」 と聞くと、 「16:00から17:00ごろです」 と答えました。

K医師は、 「変化があれば、連絡する」 と言ってくれたのに、夕方、父が意識を回復した時点で、半田病院は何も連絡をしてくれなかったのです。

全員で自宅に戻り、夕食を摂りました。 「父が明日は、元気になっているかもしれない」 とみんなを元気付け、23:30頃、布団にはいりました。

続く


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